冷遇され続けた聖女は、隣国で王太子付き侍女になって人生謳歌します

(ここは…?)

 シャリーが目を開けると、辺りは夜の闇よりも暗く、静けさと冷たい空気が肌を掠める。

「殿下!ディルク様!」

 声を上げても返ってくる言葉ない。音もなく視界のない空間に、恐怖と不安が込み上げてくる。

「みんな!何処!?」

 暗闇の中を走り出した。
 しばらく走り続けたが、どこへ行っても視界は暗いまま。息を切らしながらその場にしゃがみ込んだ。

「なんで……?」

 そう呟いた時、背後から伸びてきた手に髪を鷲掴みにされた。

「やあ、()()()()

 その声を聞いた瞬間、一気に血の気が引いた。それと同時に全身がカタカタと小刻みに震え出す。

(ど、どうして…?)

 それは二度と顔を合わせることはないと思っていた人物、エルヴマ国の王子リカードだった。

「俺が挨拶してんのに無視すんの?」
「痛ッ!」

 リカードは掴んでいる髪を乱暴に引きあげ、視線を無理やり合わせてくる。黒く淀んだ瞳が、忘れかけていた記憶を無理やりに引き戻してくる。

(嘘だ…意味がわかんない……)

 絶望が心を覆う。

『夢なら早く醒めて!』そう願うが、無情にも痛みが現実だと伝えてくる。

「ははっ、いい顔。それだよ、俺が見たかったのは。やっぱり君が一番いい顔をするね」

 頬を赤らめ、恍惚とした表情で見つめてくる。

 ……この男は、特殊な思考を持っている。俗に言う加虐性欲者(サディスト)だ。暴力が性的興奮に繋がる正真正銘のサディスト。

 そんな彼がまともな抱き方するはずもなく、彼と寝室を共にした女性を治療するのは必然だった。一度寝て懲りる者がいれば、何度も共にする強者もいた。

 聖女という身の私は抱かれることは無かったが、性欲昂進の道具にはされていた。
 女性の中には痛がるのを極端に嫌がる者がいる。そんな時には私が呼ばれ、女性に擬態するように()()()()を受け入れる人形になっていた。

 イカれた趣向。それを受け入れた私も私だ…

「ねぇ、なんで俺から逃げたの?」

 こうして優しく詰め寄る時は、大概怒りを抑えている時だ。

「言ったよね?俺から逃げることは許さないって。何度もその体に教えたつもりなんだけどなぁ?」
「──くっ」

 首を絞めつけながら言い聞かせるように言ってくる。

「なんか言えよ。お前がいなくなったせいで俺の捌け口無くなっちゃんだけど?」

 そんな事、私の知ったことではない。

 反論しようにも首を絞められている上に、体が拒絶反応を見せて力が入らない。必死に酸素を取り込もうとするが、上手く吸えず空気が抜けていく。

 苦しい…怖い……

 そう思う一方で、私が恐怖に顔を歪めれば歪むほどコイツを悦ばしているのだと思うと、悔しさと苛立ちが込み上げてくる。

(私はもう、都合の良いだけの人形じゃない…!)

 キュッと唇を噛み締め、光の灯った眼でリカードを睨みつけた。

「へぇ?しばらく会わない間に随分と生意気な目をするようになったじゃん」

 歓喜と殺意が入り交じる狂熱的な眼にゾッとする。

「あ~ぁ、もう一度、躾直すのかぁ?面倒だなぁ」
「──カハッ!」

 淡々としながら、指を首に食い込ませ絞める力を増してくる。これは躾とかそういう次元じゃない。完全に殺しにかかってる。

(もう、ダメ……)

 こんな状況でまともな思考が出来るはずないと、抵抗する事も諦め、なすがままに身を守るのを放棄した。

 すると、意識が遠のく中で声が聞こえた。

『……!……シ……リー!』

『シャリー!』

 はっきり聞こえた。

(マ…ティアス、殿下……?)

 意識がはっきりすると、絞められていた手が緩み、ドサッとその場に倒れた。
 同時に、新鮮な空気が勢いよく取り込まれ「ゴホゴホッ!」と噎せ返る。

「残念。時間だ」

 声がした方向を見上げながら言った。

「近々迎えに行くよ。そうしたら、二度と俺から逃げられないように鎖にでも繋いでおこうか。君に似合う首輪はもう買ってあるんだ」

 執着と言うより固執。執拗に追い込もうとしてくる姿は正気の沙汰じゃない。

「シャノン、君のご主人は俺だよ。何処に行こうと必ず連れ戻す。君の身勝手な行動が、周りを危険に晒すって事教えてあげる」

 警告とも言える言葉を吐き、暗闇の中へ消えて行った。


 ***


「シャリー!シャリー!」
「───……はっ!」

 悪夢のような再会から目を覚ますと、焦りと不安げな顔のマティアスが目の前にあった。

(夢……?)

 それにしては生々しかった。
 全身は汗に濡れ、首を絞められていた感触まで残ってる。心臓は未だにバクバクと脈打ち、落ち着きを取り戻していない。

「どうした?大丈夫か?」
「……殿下……」

 リカードからのマティアスは癒し効果抜群で、ホッと息をつける。
 そうは言っても、やはり心のダメージが大き過ぎたらしく、全身の震えはおさまらない。

(迎えに行くって言ってた…)

 夢だったはず、夢であって欲しいと願うが、嫌な予感が拭えない。
 もしかして、居場所がバレた?いや、そんなはずない。でも……

 ブツブツと俯きながら自問自答を繰り返す。

「シャリー!」

 名を呼ばれ、顔を上げるよりも早く、大きな腕に抱きしめられた。

「大丈夫。大丈夫だ。落ち着け」

 頭を撫でながら優しく宥められた。
 体を預けるようにマティアスの胸に顔を寄せると、心臓の音が聞こえてくる。

 トクントクンと穏やかに脈打つ心臓の音が、ゆっくりと緊張を解してくれ、優しく包みこむ温もりが不安を拭ってくれる。

 不安な事に変わりない。でも、今だけ……今だけは、マティアスの優しさに甘えてもいいだろうか……