愛を教えてくれた君へ

あの恐ろしい難病から、蓮が奇跡の復活を遂げてから、数年の月日が流れた。
 病室で目を覚ました後の蓮のリハビリは、傍で見ていて涙が出るほど過酷なものだった。一度落ちてしまった筋肉を戻し、再びサッカーができるようになるまで、蓮は何度も悔し涙を流していた。けれど、あの子は決して諦めなかった。
『俺、らなを一生守るって約束したからさ。こんなところでへばってらんねーんだよ』
 そう言って、リハビリ室で汗だくになりながら不敵に笑う蓮の背中を、私はいつも特製のはちみつレモンを持って支え続けた。
 お医者さんたちも「まさに奇跡だ」と口を揃えて驚くほどの驚異的な回復力で、蓮は高校の最後の大会で見事にフィールドへ戻り、今では大学のサッカー部でも相変わらずのエースとして大活躍している。
 そして私は、あの日私を温かく包み込んでくれたお母さんのような、誰かの凍りついた心にそっと寄り添える大人になりたくて、子供に関わる仕事をするための専門学校に通い、毎日勉強に励んでいる。
 おばあちゃんの家を飛び出し、雨宮家の一員になってから、私の人生は180度変わった。
 今ではお母さんのことを、本当の母親のように「お母さん」と呼んでいる。お母さんは私が専門学校の課題で夜更かしをしていると、「らなちゃん、無理しちゃダメよ」と言って、あの深夜に蓮が作ってくれたのと同じ、少し甘くて優しい味の卵焼きを夜食に持ってきてくれる。血の繋がりなんて、本当にただの記号でしかないのだと、この家が毎日証明してくれていた。
 ある、よく晴れた休日の夕暮れ時。
 私と蓮は、並んで街を歩いていた。大学に入って、少し背が伸びて体つきも大人っぽくなった蓮は、相変わらず学校や街中で女の子たちからチラチラと視線を集めている。けれど、私の前での彼はお調子者で、ちょっとツンデレなあの頃のままだ。
「らな、ちょっと寄りたいところあるんだけど、いい?」
「え? どこに行くの?」
 蓮は私の手をきゅっと握ると、少し照れくさそうに笑って、ある場所へと私を導いた。
 たどり着いたのは、住宅街の片隅にある、小さな公園。
 古びたベンチの上に、小さな屋根がついている。
「あ……ここ……」
 そう、ここは数年前、私が雨の中で絶望し、膝を抱えて泣いていた場所。そして、ずぶ濡れのユニフォームを着た蓮が、「お前が邪魔なわけないだろ。うち来なよ」と、私の世界に光をくれた、あの思い出の場所だった。
 夕日がベンチをオレンジ色に優しく染め上げている。あの日、あんなに冷たくて灰色に見えた景色が、今はこんなにも温かくて愛おしい場所に思えるなんて。
「らな」
 ベンチの前に立ち、蓮が私の正面に回って、両肩をそっと掴んだ。
「……うん? どうしたの、蓮くん」
「あのさ……俺、あの病室でさ、意識が遠くて、もう真っ暗な場所に落ちそうになってた時、らなの声が聞こえたんだよね」
 蓮は、私の目を真っ直ぐに見つめた。その黒い瞳は、冗談を言っているようには見えなくて、私の心臓がトクン、と跳ね上がる。
「らながさ、『死なないで、まだ好きって言ってない』って、泣きながら俺の手、がちでギューギュー握ってくれてただろ? あの時さ、あ、俺まだらなに『好き』って言わせてねーわ、って思ってさ。らなを一人にしてたまるかって、身体の中からすげーパワーが湧いてきたんだ」
 蓮は、恥ずかしさを隠すように一瞬だけ視線を泳がせたけれど、すぐにまた、私の目を強く見つめ直した。
「あの時、らなが俺のためにボロボロ泣いて、生きててほしいって言ってくれた時、俺、本当の意味でらなに救われたんだと思う。……だからさ」
 蓮がポケットから、小さな、綺麗な四角い紺色の箱を取り出した。
 パカッと開けられたその箱の中には、夕日の光を浴びて、キラキラと眩しく輝く小さなダイヤモンドの指輪が収められていた。
「え……っ、蓮、くん……これ……っ!?」
 驚きのあまり口を押さえる私に、蓮は私の左手をそっと取り、その薬指に、少し緊張で震える指先で指輪を滑り込ませた。サイズは私の指に驚くほどぴったりだった。
「まだ俺たち学生だし、結婚なんて先の話だけどさ。これは、俺の人生の『予告ホームラン』的なやつ。大学卒業して、俺がちゃんと就職したら、絶対に正式にプロポーズするって決めてるから。……だからさ、これからも、その先もずっと、一人の男として、俺の隣にいてください。俺の奥さんになって、世界一幸せな家族になろう」
 指輪の冷たい金属の奥から、蓮の、生きていることの確かな体温と、熱い、熱い想いが伝わってくる。
 私の目から、大粒の涙が溢れて止まらなくなった。でも、あの雨の日の涙とは違う。病室での絶望の涙とも違う。未来への希望と幸福で満ち溢れた、世界で一番光る涙。
「うん……っ! うん……っ、よろしくね、蓮くん……! 私、世界で一番幸せだよ……っっっ」
 私が泣きながら笑顔で答えると、蓮は本当に愛おしそうに、私の身体をその大きな腕で強く、強く抱きしめてくれた。彼の胸に顔を埋めながら、耳元で響く蓮の心臓の力強い音を聴く。
 『愛とは何?』
 小さな頃、誰にも愛されなくて、自分の価値が分からなくて、ずっとその答えを探していた。
 冷えた心におにぎりを作ってくれる温かさ。
 いなくなった私を、夜遅くまで走り回って探してくれる必死さ。
 病室で、お互いを「失いたくない」と魂から願い、祈り合ったあの奇跡。
 そして今、この広い世界で「一生一緒にいよう」と私を強く抱きしめてくれている、この腕の温もり。
 そのすべてが、私の見つけた『愛』の答え。
 私に人を愛する喜びを、生きる意味を、本当の愛を教えてくれたのは――。
「あーーーっっっ!!! 見つけた見つけたーーー!!! 👆 😂 💕」
 ――その感動の余韻を、1秒でぶち壊す大声が、公園の入り口から響き渡った。
「えっ!?」
「うおっ!? お、お袋!?」
 私と蓮が慌てて飛び退いて振り返ると、そこには、スーパーの買い物袋を両手に下げたお母さんが、ニヤニヤを通り越して満面の爆笑を浮かべて突撃してきていた。
「もう! 二人とも、お母さんを置いてこんな思い出の場所で何イチャイチャ初々しいことやってるのよ〜! 💍 ✨ あらやだ! 蓮、あんた指輪なんていつの間に買ったの!? ママ聞いてないわよ!」
「お、お袋ーーーっ!!! ストーカーかよ!! 付け回してくんじゃねーよ!!! 💦 💦」
 蓮が顔を耳までどころか、首筋まで真っ真っ赤にして、お小遣い帳を隠すように両手で指輪の箱を後ろに隠す。
「何言ってるのよ、たまたまお買い物帰りに通りかかっただけよ〜笑。あーあ、早くらなちゃんが本物の娘(お嫁さん)になってくれないかしらねぇ! 早く孫の顔が見たいわぁ!」
「だーかーらー! 気が早すぎるんだよお袋は!! 💢」
「いいじゃない、らなちゃんも早く家族になりたいわよねぇ?」お母さんが私にウインクをする。
「はいっ、私も早くお母さんの本当の娘になりたいです!」
 私がクスクス笑いながら言うと、蓮は「らなまでお袋の味方すんなよぉ……」と、がっくりと肩を落として、真っ赤な顔のままガシガシと頭を掻いた。
 お母さんはフフッと優しく笑うと、買い物袋を少し持ち上げてみせた。
「さあ! そうと決まれば、今日の夜ご飯は、らなちゃんの大好きな唐揚げをこれでもかってくらい山盛りに揚げるわよ! 蓮のハンバーグは無しね!」
「なんでだよ!! 😭 」
「あはは! お母さん、私お手伝いします!」
「走るぞ、らな! お袋より先に帰ってハンバーグも作らせる!」
「あ、待ってよ蓮くん!」
 夕暮れの街に、 楽しい時間が流れる
 空は、あの初めて三人で旅行にいった日と同じ、燃えるような、でもどこまでも優しいオレンジ色に染まっていた。
 私たちは、繋いだ手を二度と離さないようにしっかりと握りしめ、世界一温かい、私たちの愛する我が家へと向かって走り出した。
 誰も愛してくれなくて、自分の価値が分からなかった私だけど。
 今の私なら、胸を張って、大好きな君の目を見て言えるよ。
 愛を教えてくれたのは、他でもない、君なんだ。