恋は宇宙の果てに

     1

 パソコンのディスプレイが、整然とデスク上に並び、明滅する建設会社オフィス。山際丈史は、借方と貸方に正確に数字をキーボードで打ち込んでいた。しかしその摘要は雑で、彼の仕事に魂が入っていないことは、見る人が見れば瞭然だった。
 山際は振り替え伝票を見るのに、既に疲労していた。自動入力を何故取り入れないのか、旧態依然の事務所のシステムに不満だった。
 山際は、キーボードを叩く指が止まりがちになった。
 老獪な沼野経理部長が、この失態を見逃す筈はなかった。沼野は山際のデスクに歩み寄った。
「山際君……」
「はい、部長」
「最近、仕事に身が入っていないようだね」
「いえ、決してそんなことありません」
「無駄だ。私は全てお見通しだよ」
「どうすれば良いとおっしゃるんですか」
「開き直るのはよせ。睡眠もろくに取っていないんじゃないかね」
「眠れてますよ。仕事に別に支障はないと思いますが」
「いいや、昨日私に提出した書類もミスだらけだった。そんなことが続くようなら」
「どうなるとおっしゃるんですか」
「悪いが、辞めて貰う」
「そんな……」
「君の代わりは幾らでも居る」
「そんな、努力します。今月の結果を見ていてください」 
「あまり期待出来ないが」
「大丈夫です」
「そうか、まあ、今日のところは良かろう」
 沼野は、デスクを離れ、部長室の方に向かった。
 山際は顔色を曇らせ、落胆した。
 仕事の手を完全に止め、机上のスマホを取った。
 山際は、恋人の南博子にコールした。
「博子か、僕だよ」
「私、仕事中なの。電話困るわ」
「そう言うな。今夜逢えないか」
「ええ、それは構わないわ」
「そうか、それじゃ、7時半に居酒屋まえむら、でいいかな?」
「ええ、分かった。7時半ね」
「それじゃ……」
 山際は嘆息して、自分の席を離れた。オフィスのフロアを離れると、CAD室に向かった。
 
 誰も居ない設計室。
 山際はCADの前に腰を下ろした。
 USBメモリを、ポケットから取り出した。CADに接続する。異様な機械の設計図がディスプレイに立ち現れた。
 山際は嘆息した。まだまだ不十分なのだった。殊に動力部分が未定だ。
 山際は考えを巡らせた。
 反物質が重力の影響を受けることで、反重力の存在を否定出来はしない。反物質であっても重力の影響を免れない。当たり前のことだ。そのことと反重力は無関係だろう。
 しかし加速器の中で、幾ら素粒子をぶつけても、反重力は生じない。
 また早坂効果、右回りするコマは浮揚する、は世界中で否定されてしまった。
 一体どうすれば、反重力を得ることが出来るのだろうか。
 山際はマウスを動かした。
 コマの形をした円盤状の建造物の、内部深くに入り込んだ。
 出来れば、水素から電池を駆動させるシステムにしたかった。
 ガソリンや蓄電池でなく、水素をエネルギー源とする計画だった。
 水素自動車を模範とする動力源なのだった。
 国産の水素自動車は世界に類を見ない。出来るならば、それに倣いたかった。

 その折り、内ポケットのスマホが鳴った。設計図を見詰めながら、携帯を取り出した。
 相手の番号は非通知だった。とすれば公衆電話らしい、恐らく私立病院からか。
「誰? お父さん……」
「私だ。どうにかぎりぎりの状態で、病棟の公衆電話まで来ている」
「そんなに体調が悪いんですか」
「悪いな。御前も十分承知だろうが、肝硬変が肝癌まで進行した。長くはないな」
「そんなこと言わないでください」
「私と御前の仲だ。事実を言う……御前には済まないことをしたな。正確には何一つ助力しなかった」
「そうは思いません」
「いや、何一つ親らしいことはしてやっていない」
「いいですよ」
「そう言うな。恐らく最期だから言うんだ。私は御前をほとんど全く目をかけなかった。愛していなかった。息子だとも思ってなかったくらいだ」
「残念ながら、それは事実でしょうね」
「ああ、私は御前の従兄弟の夫を、自分の息子のように扱った。御前のことは常々見捨てていた」
「それは自分の責任でしょう。何に対しても不良だったから」
「それもある。しかし私が恣意的に御前を無視し続けたのだ」
「そのことを、謝罪したいとでも」
「ああ、だから私の機械工場を、御前に相続して貰いたい」
「本当に」
「本当だ。工場は御前の好きに使っていい」
「有難うございます」
「私の罪滅ぼしだ。御前はエンジニアとしては才能があると思う。今は一介の経理課員に甘んじているがな」
「僕は経理課員としても失格です」
「それも私が目をかけなかったからだ。私の声かけ一つで係長にも課長にもなれた筈なのだ」
「……」
「私はもう直ぐ逝く」
「そんなこと言わないで」
「いや、天命だ。もう寿命は残っていない」
「そんな。でも良かったです」
「何が」
「最期に、親子らしい話が出来たから」
「そうだな、私はもう病室に帰る」
 スマホは切れた。
 山際は、椅子に座り直した。深く嘆息した。


      2
 居酒屋まえむら、暖簾をくぐると、カウンターで多数焼き鳥を焼いていた。山際は客の一群の前を通り過ぎ、個室へと向かった。居酒屋職員が案内に来た。案内されるまでもなく、個室の場所は分かっていた。勝手知ったる常連で、予め予約を入れてあった。
 南博子は先に来て、待っていた。
 約束時刻前なのに、既に待っていたことは、山際の勘に触った。
「やあ、早いね」
「貴方から誘うなんて、珍しいから、嬉しかったのよ」
「そうか」
 二人は生ビールと焼き鳥の盛り合わせを注文した。
 山際の口は重かった。博子が話しかけても、何処か上の空なのだった。
 二人はジョッキを乾杯した。
「貴方から誘ってくれるなんて、本当に嬉しかった」
 博子は繰り返した。
「そうかな、仕事で多忙そうだったけど」
「本当に忙しかったの。でもこの間の返事が聞けるのよね」
「まあな」
「嬉しいわ」
「勘違いだな、全くの」
「えっ、何ですって」
「この前、結婚してほしいと誘ったんだよな」
「ええ」
「女の方からな」
「答えはNoなの」
 山際はビールを呷った。
「残念ながらね」
 博子もジョッキを傾けた。
「そんな、酷いわ。私を愛しているって、言ったじゃない」
「言ったかもしれないな」
「とぼけるつもり?」
「何と言うか、考えが足りなかったんだな」
 博子は睨めつけてきた。
「分かったわ。やっぱり貴方はあの社長令嬢が好きなのね」
「関係ない」
「嘘、高城良子とか言ったかしら。あの大手企業の高城建設社長の一人娘」
「彼女の名前を出すな」
「私より、彼女の方を愛しているのね」
「分かっているなら、何も付け加えない」
 博子は凝視を強めた。
「私、貴方を諦めないから」
「それは困る。悪いが……」
「何?」
「もう別れてくれないか」
「それを告げるために、今夜誘ったの」
「残念ながら、そうだ」
「嫌よ、私諦めない」
「僕みたいな凡庸な男の何処がいいんだ?」
「一度心に決めたからよ、貴方を生涯愛すると」
「悪いが、迷惑だな」
「迷惑なの。でも貴方、自分で言うくらい凡庸だから、あの社長令嬢からは相手にされないかも……」
 山際はいささか憤慨した。的を射ていたからだろうか。
「それは彼女は美人よね、私なんかより遥かに。頭も良いし。でも相手にされないなら、意味ないじゃない?」
「いい加減にしてくれ。君が決めることじゃない」
「私は貴方の為を思って、言っているのよ。私を選んだ方が得よ。彼女に振られたら、貴方は独り」
「煩いな。彼女に求婚するさ、真剣にね」
「残念ながら、身分違いよ」
「それは重々承知の上だ」
「お願い、私を選んで。精一杯尽くすから」
「無駄だ。君を心底は愛していない」
「私、貴方のストーカーになる」
「だから、迷惑だと言っている」
「私、貴方にしがみ付いていくわ。絶対に離れない」
「何を言う。狂っているのか」
「一度心に決めたからよ。私、執念深いのよ」
「はっきり言って邪魔だ。僕は高城良子さんを選んだ」
「貴方分かっているの。これで済まないわよ」
「頼むから、別れてくれないか」
「いいえ、何処までも貴方についていくわ」
 山際は頭を振った。
 博子の瞳に涙が滲んでいた。
 それから沈黙が訪れた。


     3
1週間後の深夜、山際の父の建造が私立病院で息を引き取った。
 一時は権勢を誇った建造だったが、葬儀は極めて簡素な家族葬だった。独り息子の丈史が消極的だっただけでなく、生前様々あくどい所業を繰り返していたせいで、誰も弔問に訪れなかったのだ。
 義務的な短い読経と火葬の後、骨壷が狭い納骨堂に安置された。

 それからまた十日程後、山際丈史は自宅から、山田金属株式会社に電話した。
 社長の山田利一が電話を取った。
「はい、山田金属」
「社長、丈史です。建造の息子の」
「ああ、山際さん、どうもこの度は。残念な方を亡くされましたな」
「ええ、有難うございます。で、工場は僕が相続したんです」
「そうですか、どうぞ今後とも宜しくお願い致します」
「ええ、宜しく。で、早速ですが、発注よろしいでしょうか」
「はい、どうぞ何なりと」
「それではですね、タングステンを注文したいんですが」
「タングステンですか、それはまた何故」
「強度の問題です。ダイヤモンド並みに硬度があるから。それとコバルトを」
「タングステンとコバルトですか。まさか炭素も混ぜて、超硬合金を加工なさるおつもりですか」
「専門家にはかないませんね。その通りなんです」
「それはまた何故」
「新しい機械の考案なんですが」
「そうですか、タングステンは粉末でしょう」
「お願い致します。タングステンは余りにも硬いので金属で削れない」
「分かりました。発注承りました」
「有難うございます」
 山際はスマホを切った。

 彼は工程を頭に浮かべた。
 まずタングステンの粉末、コバルト、炭素を型に詰めて、加圧、高圧でプレスする。
 次に焼き固める。約二千から三千度で加熱し、粉末同士を強烈に密着させる。
 それで素速い回転に耐えうる超硬合金が出来る筈なのだった。

 そしてそれから半年後、様々な苦心惨憺を重ねて、新型機械は完成した。山際はそれを、反重力放射マシンと命名した。誰にも知られてはならない秘密の機械なのだった。新型マシンは幾分大型で、軽トラックの荷台に設置した。

 山際は、高校の同級生、村田修一に電話した。高校時代は兎も角、現在は余り親密な間柄でもないが、上手く喫茶店に誘い出すことに成功した。
 スタバやタリーズ等とは異なる、古風な喫茶店深紫の一番奥の席で、山際は村田を待った。やや酸味のある濃いコーヒーを啜りながら、所在なく待っていた。
 約束時刻に20分程遅れて、村田は現れた。
「済まないな。今日は日曜だが、野暮用があって遅れた」
「構わないよ。突然呼び出したりして、こちらこそ済まなかった」
「本当にどうしたんだ、急に。久しぶりだな」
「ああ、久しぶり。此処のコーヒーは旨いよ」
 村田も山際と同じブレンドを注文した。
「車は此処の駐車場に停めたのか」
 山際が訊いた。
「ああ、停めたよ。しかし君の車はなかったみたいだけど」
「いや、今日は軽トラで来た」
「あのトラックは君のか」
「そうだ、僕も仕事の途中でね」
「そうか、それにしても今日は一体何の用事なのかな」
「いや、君は近く良いことがあると、人に聞いたのでね」
「結婚のことか」
「そうだ」
「大分前から決まっていたことだが、現実には中々物事が進まなかった」
「相手は大手企業の社長令嬢だから、君でも敷居が高かったのかな」
「いや、僕は君と違って一流大卒だから、敷居は高いとは感じない」
 村田は意地悪げに微笑した。山際は顔色を曇らせた。
「僕は大学院卒だよ。到底一流とは言えない学校だけどね」
「そうだったな、悪かった。しかし君には高城良子さんは似合わない」
「そうか」
「君も良子さんに熱を上げていたのは知っているが、早くに諦めてくれて、実際有難いと思っている」
「いや……」
「何だ?」
「良子さんを諦めてはいない」
「面白い冗談だな。もう僕との結婚の日取りも決まっているんだぞ」
「だから、話したいと思って呼んだ」
「今更何を話す。おめでとうくらい言って欲しいね」
「言わない。良子さんは僕のものだ」
 村田は驚嘆した。
「何だ。頭がおかしくなったか」
「いや、高校時代、君は勝ち組で、僕は負け組だった。だから君に勝てるとは思わない。しかしこれだけは譲る訳にはいかない」
「意味不明だな。今更何なんだ。確か君には恋人がいたよな。南博子さんだったかな。君はそちらと結婚するんだろう」
「南さんには別れを告げた。しかし彼女は聞き入れない。彼女は僕のストーカーになっている」 
「結構なことじゃないか。彼女なら君にお似合いだよ。訳の分からないことを言ってないで」
「……分かった。そうだな、君におめでとうを言おう」
「分かってくれたか」
「ああ」
 二人はそれから、暫く沈黙して、コーヒーを飲んだ。
 飲み終えると、村田は顔を挙げた。
「それじゃ、僕はまだ野暮用があるから、帰るよ」
「そうか、済まなかったな」
「君も幸せになれよ。南さんと」
 村田は席を立った。山際も伝票を持って立った。割り勘で清算を済ませ、二人は喫茶店を出た。

 駐車場にて、村田は自分の車に乗ろうとした。
 駐車場には、二人以外誰も居ない。
「村田……」
 矢庭に山際が呼び止めた。
 村田は振り向いた。
 山際は、軽トラックの荷台の大型機械から消防ホースのような放射器を引き出した。
「何をするんだ」
 村田は絶叫した。
 山際は放射器から村田に向けて、反重力ビームを照射した。
 村田の躰は浮揚した。続けて大空高く飛び上がった。
 反重力の影響で、村田の躰は大空から、大気圏すら超えて、遠く宇宙に跳ね飛ばされていった。
 山際は額に脂汗をかいて、放射器を反重力マシンに戻した。
 目撃者はいなかった。防犯カメラも近くにはなかった。
 全ては宇宙に飛んで行った。証拠は何一つ残っていない。
 完全犯罪になる筈だった。 


     4
 人を殺してしまった。山際は自室で自責に苦悩した。ウイスキーをストレートで呷った。
 卓上のスマホが鳴った。
 南博子からだった。
 着信拒否してあったのだが、ミートからの着信なのだった。
「何だ、こんな夜中に。午前3時だぞ」
「どうしても逢ってほしいの」
「博子、忠告しておく。僕から離れろ。でないと、大変なことになるぞ」
「大変なことって何?」
「まあ、いい。しかし僕にはもう関わるな」
「貴方を愛しているのよ」
「確かに僕も、嘗ては君を愛していたかもしれない。もう過去のことだ」
「私にとっては過去ではないわ」
「分かって欲しい。僕の心は高城良子一択なんだ」
「きっと貴方、彼女に振られるわ。私のところに戻ってきて、お願い」
「僕から離れないと言うのか」
「ええ」
「なら、仕方が無いな」
 山際はウイスキーを飲み干した。
 山際の瞳は異様に光った。
「じゃあ、逢おう。今から僕の家にタクシーで来れるかな」
「行くわ、待っていてね。30分で着くから」
 スマホを切ると、山際は救いようのない暗い決意をした。

 30分後、深夜タクシーが山際の家の玄関前に停車した。
 山際は予め、軽トラックを玄関前に停めておいた。
 博子がタクシーから降り立った。
「博子、忠告した筈だがな」
「何を?」
「今の僕は、言わば怪物だ」
「何を言っているの。愛しているのよ」
「僕も愛していた。でももうお終いだ」
「何が終わりなの。私は貴方を愛して……」
 山際は、トラックの荷台から放射器を引き出した。
「何をするの、貴方?」
「さようなら……」
 反重力を放射した。博子の躰は宙に浮いた。更に更に夜空の上空へと昇天して行った。
 何故こんなことをしたのか。一時でも、間違いなく、彼女を愛したのではなかったのか。血に飢えた野獣になってしまった。


     5
 ホテルのレストラン、日曜午後1時。山際としては普段、利用をはばかる高級ホテル。彼としては精一杯のお洒落をして、ダークスーツを着て、香水も付けてきた。しかしまず、高城良子が約束通り、来てくれるかどうかが問題だった。
 山際は、レストランの純白のテーブルクロスの上で、新聞を広げた。
 大きく記事が出ていた。神隠しか、原因不明の失踪相次ぐ。
 村田修一と南博子の失踪事件を報じていた。警察の追求は、痕跡、証拠が皆無なせいで暗礁に乗り上げていた。
 二人ともに、失踪する理由は見当たらない。若干俗悪とも感じられる記事は、殺人事件の可能性を解説していた。
 山際は顔を挙げた。
 入り口の方から、高城良子が此方に歩み寄ってきていた。
 山際は席を立って、良子を迎えた。
「来てくださって、有難うございます」
「わたくし、婚約者が失踪したばかりですの。重要な御用とは何でしょう」
「いえ、貴女が心配だったんです。僕は村田の親友です」
「そうですの。村田の行方に心当たりはございますか」
「ありません。村田は彼には似合わないギャンブルの趣味がありましたから、借金を作ったのかもしれません」
「借金なら、私が弁済しますわ」
「逃げる理由にはならないと」
「そうですわ」
「きっと、他に何かあったのでしょう。新聞は殺人事件ではないかと報じています」
「私もそんな気がするんです。彼はもう此の世には居ないのではないかと。そうでなければ、結婚前に行方をくらます筈ありませんもの」
「彼のことは、ひとまず置いて、食事を注文しましょう。気が紛れますよ」
「ええ」
 ウエイターが給仕に来た。山際は一番高いコースを頼んだ。
「鬱になっておられませんか。貴女が心配です」
「なっているかもしれません」
「何処かに、旅行でも行きませんか。北海道とか」
「こんな折にですか」
「こんなときだからです。気分転換が必要です」
「そうかしら……」
「そうです。貴女はまだ若い。他の人生も模索すべきです」
「そうかしら」
「そうです。手始めに、クラシックのコンサートでも行かれませんか。チケットは取れますが」
「私はロックファンですわ」
「それじゃ、そちらのコンサートを探します」
「そうですか。有難うございます」
「村田のことは、一旦忘れましょう。貴女の健康の為に」
「ええ……」
 山際は香水に媚薬を混ぜていた。効果は疑問だったが。
 二人は暫く、言葉少なに食事をした。

 二人はそれから、コンサートに行ったり、旅行をしたりと、細やかな交際を続けた。
 山際は手管を使うというより、本心からの恋愛感情を努めて優しく表出した。
 その心が伝わったのか、1年が過ぎる頃にはすっかり打ち解けた。
 二人が肉体関係を持ったのは、矢張り1年が経過したときだった。
 山際は、良子を為し得る限りの献身をもって愛した。徐々にではあったが、良子の方も、山際に心が傾いてきた。
 そうなると、山際の求婚は時間の問題だった。
 良子は村田のことを忘れていなかったものの、山際の甘い言動に掠め取られていった。
 村田は失踪したのではない、何者か悪人によって闇で殺害されたのだ、と良子に信じ込ませるに至った。
 そうなると、何故遺体が発見されないのかという疑問を生んだが、何処かのヤクザに海に沈められたのかもしれないと、常々言い含めた。
 同時期に失踪した南博子に関しては、良子は全く知らなかった。

 1年半経過した或る日、良子は山際の求婚を受け入れた。
 そして、6月の第二日曜日に二人の婚礼の日取りが決まった。
 
 婚礼の日の早朝、山際は独り、教会の門をくぐった。
 山際は、キリストの彫像に祈りを捧げた。
 自らあやめた二人の魂よ、安らかにと祈った。
 山際は、祈りを終えると、言いようのない惑乱に見舞われた。
 自分は本当は、南博子を愛していたのではなかっただろうか。良子への愛というのは、単なる立身出世の野望に過ぎなかったのではないか。
 考える程に真っ黒な闇に呑み込まれる思いだった。
 自分は一体何という悪辣な失策を犯したのだろうか。
 取り澄ました良子でなく、無垢な博子と結婚した方が、身分相応で、却って幸せではなかっただろうか。
 死の前に、博子の言ったことは実は正しかったのかもしれない。
 後悔の念がどす黒く腹の底から湧き出した。
 教会の十字架やキリスト彫像、華麗なステンドグラスが、山際の心を清く浄化していたらしかった。
 自分は一体どうすれば良いのだろう。自殺するしかないのではないか。とまで考えた。

 その刹那、独りの長身の青年が、静かに教会に入ってきた。
 山際は、どきりと振り向いた。
 青年は、山際の前まで歩み寄った。
「誰だ、君は?」
 山際は尋ねた。
「ロニー島村という者です」
「僕を知っているのか」
「ええ、山際丈史さんですよね」
「何故知っている?」
「僕が未来人だからです」
 山際は嘲笑した。
「バカなことを言うな、君!」
「本当です。2098年から来ました。先程、時間反転機械、即ちタイムマシンに乗って、此処に来ました」
「何だって……」
 山際の嘲笑はゆっくり驚嘆に変わった。
「君は一体何しに来た?」
「反重力マシンを発明したのは僕です。貴方ではない」
「何だと、僕の方が先ではないのか」
「ですから、貴方の存在は僕にとって、非常に目障りなんです。反重力マシンは2097年に僕が発明して、特許を取得しました」
 山際は顔色を変えなかった。
「そんな未来ではなく、僕の方が遥かに先だ。歴史は正しい者の味方だ」
「ですから、貴方には死んで頂くしかないんです。歴史を修正する為にね」
「まさか……」
 未来人は、山際に拳銃様のものを突きつけた。
「これが僕の発明した拳銃型反重力放射マシンです。貴方のものより遥かに小型化しています」
「何だと」
「貴方は発明家というより、罪深い殺人者だ。罪を償って貰いますよ」
「待て、貴様、待て」
 未来人は拳銃の引き金を引いた。
 反重力ビームが山際に照射された。
 山際はゆっくり浮揚した。
 教会の天井まで上昇し、ステンドグラスに躰を突っ込んだ。
 ステンドグラスが蜘蛛の巣状に割れた。
 山際は更に上空へ、大気圏外へ、宇宙の彼方に飛翔して行った。