第1章「雨の始まり」
静かな朝だった。
カーテンの隙間から差し込んだ朝日が部屋に入り、壁に落ちていた。
ユメはゆっくりと目を開けた。
しばらくの間、動かずに天井を見つめていた。
そして静かに顔を横に向け、ベッドの横にある時計を見た。
「まだ時間はある…」
その声は、自分にさえ聞こえないほど小さかった。
ベッドから降り、制服に着替え、髪を整えた。
すべてがいつも通りだった。
まるで昨日のように。
そしてその前の日のように。
階段を下りると、家の中に朝食の匂いが広がっていた。
母はキッチンで朝ごはんの準備をしていた。
ユメは小さく微笑んだ。
「おはよう、ママ。」
母は顔を上げた。
「おはよう、ユメ。よく眠れた?」
ユメは椅子に座った。
「うん…いつも通り。」
母は微笑んだ。
「じゃあ、ちゃんと眠れたのね。」
父はテーブルで新聞を読んでいた。
しばらくして新聞を折りたたみ、ユメを見た。
「今日も学校だな。遅れるなよ。」
ユメはお茶を一口飲んだ。
「うん、パパ。」
この会話はほとんど毎日繰り返されていた。
しかし不思議なことに、決して退屈には感じなかった。
その時、廊下から足音が聞こえた。
弟のユウタが寝癖のままキッチンに入ってきた。
いたずらっぽく言った。
「姉ちゃん、今日も遅れたら、隠してるお菓子見つけるからな。」
ユメはわざと眉をひそめた。
「まず見つけられたらね。」
ユウタは自信満々に言った。
「いつか絶対見つける!」
「夢の中でね。」
母の小さな笑い声が部屋に広がった。
ユメとユウタはそれほど礼儀正しい関係ではないが、こんな小さな冗談がいつも二人の間にあった。
朝食の後、ユメはカバンを手に取った。
靴を履き、玄関へ向かった。
そのとき母の声が止めた。
「ユメ!」
振り返る。
「なに?」
母は窓の外の空を見た。
「今日は気をつけて。雨が降りそうな気がするの。」
ユメは少し間を置いた。
ドアを開けて空を見上げる。
空は青く、雲ひとつなかった。
「たぶん降らないと思う。」
そして小さく笑った。
「でも気をつけるよ。」
家を出た。
朝の空気は涼しかった。
やさしい風が木の枝を揺らしていた。
ユメはいつもの道を歩いた。
ミズカワという町はいつもこうだった。
静かで。
穏やかで。
まるで時間が少しゆっくり流れているような場所。
時々、ここでは何も特別なことは起きないのだと思っていた。
そして正直、そのことは嫌いではなかった。
「ユメちゃーん!」
聞き慣れた声が思考を切った。
ヒナが笑いながら走ってきた。
「おはよう!」
ユメは手を振った。
「おはよう、ヒナ。」
ヒナは隣に並んだ。
「今日も早起き?」
「仕方ないよ。」
「冷たい返事!」
少し先に、キントが待っていた。
「おはよう。」
「おはよう。」
三人は一緒に学校へ向かった。
いつものように。
授業が始まった。
先生の声。
ノートのページをめくる音。
チョークが黒板を走る音。
時間はゆっくりと流れていた。
その時だった。
カツン。
窓に小さな音がした。
ユメは顔を上げた。
数秒後。
カツン。
二つ目の音。
そして三つ目。
あっという間に、雨は空全体を覆った。
終業のベルが鳴った。
生徒たちは次々と教室を出ていく。
廊下は騒がしくなった。
ユメはカバンを持ち、校舎を出た。
外に出た瞬間、雨はさらに強くなっていた。
空を見上げる。
「はぁ…傘、持ってきてない。」
しかし急ぐことはなかった。
ただゆっくり歩き続けた。
雨の音が街に響いていた。
地面、店の屋根、木の枝に雨粒が落ちる。
すべてが雨の音に溶けていく。
そのときだった。
何かが聞こえた。
普通ではない音。
静かなピアノの旋律のような音。
優しく…
美しく…
それでいて、どこか悲しい。
まるで遠くで誰かが何かを叫んでいるのに、その声が音楽に溶けて消えていくようだった。
ユメは立ち止まった。
周りを見回す。
誰もいない。
ただ雨と、濡れた静かな街だけ。
しかし音楽はまだ続いていた。
どこからか分からないまま。
そしてその瞬間――
彼女は初めて感じた。
世界の何かが変わった、と。
雨はまだ降り続いていた

