壁の花がいたので婚約破棄させて連れ帰ってみた。


 土の聖人は帝国属国の一つ、南部のバミルス国という小国に住む。
 確かにそちらからティヴァロニ国王に来るのは時間がかかってしまうだろう。
 というよりも、九神教との戦線を横切らねばならないのでおそらく相当遠回りしなければティヴァロニ国王に辿り着けない。
 それも関係して、彼女の領地にくることが難しいのだろう。
 兄と顔を見合わせてから、頷き合う。

「それならばこちらから神殿にかけ合ってシャレルット子爵領に土の聖人の派遣を急がせよう」
「え……!? そ、そんなことできるんですか!?」
「土の聖人が住むバミルス国も我が帝国の属国だからね。難しいことではないよ。ティヴァロニ国王にとっても有益なことだろう?」
「あ、ありがとうございます! そうしていただければ領民が本当に助かります!」

 本当に嬉しそうなシャーリーに、また先程と同じ感情が湧く。
 自分の家族や、地位のことではなく領民が助かると喜んでいる。
 自分や自分の家族ではなく領民を最優先に考えているのだ。
 貴族としては当たり前のことだが、その当たり前ができる貴族は一握り。
 彼女はその一握りの貴族令嬢。

「ところで、先程から気になっていたのだが、そのドレスは昨日も着ていなかったかな? 同じドレスを持っている、とか?」

 兄が言って初めて彼女が着ているものに目を移す。
 確かに。
 昨日着ていたものと同じドレスなような、そうでないような。

(あまりよく覚えていないな)

 そもそも女のドレスなどいちいち覚えているジルグロッセではない。
 兄は本当によく人を見ているな、と感心してしまう。

「あ、はい。お恥ずかしい話ですが、ドレスはこれと、冬用の長袖を一着ずつしか持っていなくて」
「は? …………。ええと、婚約者の方に贈ってもらったりはしなかったのですか?」
「そんな……! ドレスのような高い物をねだることなんてできません。そういうのははしたないことだと祖母に教わりました。それに、夫ではなくただの婚約者です」
「いや……でも……」

 兄の言い淀みよう。
 ジルグロッセの記憶の中にも、多少の社交マナーや婚約した相手に対する態度の一つに贈り物をする、という項目があった。
 特に皇子たるもの、婚約者の食べるもの、着るもの、住む場所に不自由などさせてはならないと。
 そういう話をされた直後、初陣に出たのでかなり記憶の奥底に埋もれていたことだが。

「それほど困窮している、ということですか。それでしたら、食べるものにもお困りでしょう。ティヴァロニ国王の方に食糧や金銭の支援も頼んでおきますね」
「え? い、いえ、それは……さすがにそこまでしていただくことは……」
「困窮している領地に多少でも支援することは国としての責任です。耐え忍ぶことは美徳に感じますが、それで領地が一つ弱体化してしまえば国防に関わります。ましてシャレルット子爵領は国境領地と隣接している土地。辺境が落ち、次に砦となるべき領地がすでに痩せ細っていては瞬く間にティヴァロニ国王は蹂躙されてしまうでしょう。無論、我が国が戦線を押し返していますから、今のところは安全ですが……」
「綻びがあるのとないのでは守りの意味はまったく異なる。国を守るためにも領地は強くなければ」

 シャレルット子爵領の様子を聞くと、思わず口出しせずにはいられない。
 想像よりもだいぶ、彼女の領地はまずい様子。
 それを放置するティヴァロニ国王もどうかしている。
 そしてそんな手が差し伸べられない状況でも健気に領民を想う彼女に、また先程の妙な感情が浮かぶ。

「で、では、お願いしても大丈夫なのですか?」
「もちろんですよ。帝国としてもティヴァロニ国王が九神教に侵略されるのは快いことではありませんからね」
「あ、ありがとうございます!」

 立ち上がり、思い切り頭を下げるシャーリー。
 その真っ直ぐな姿勢に、また目が離せなくなるった。
 この現象はいったいなんなのだろうか?
 彼女には人を惹きつける、なにかがあるとしか思えない。
 しかしそれがなんなのか。
 彼女を観察していればなにかわかるのだろうか?
 不躾にならない程度に観察してみるか、とじっと見つめてみたが、胸の辺りがぬくぬく、ふわふわとしてくるのみ。
 なんと不思議な現象なのか。

「――とんでもない。無茶を言い出したのはこちらが先。さ、席にどうぞ。デザートをお出しします」
「デザートっ」

 慌てて席に座るシャーリー。
 すぐに彼女の前に果物がたっぷりのったケーキが置かれる。
 それに瞳を輝かせ、一度兄と自分の方を見た。
 兄が笑顔で手を差し出すと、嬉しそうにフォークをケーキに刺す。

「んっ! お、美味しいです!」
「もっと食えばいい」
「そうだね。おかわりはいくらでもあるから、好きなだけ食べるといい」

 兄の笑顔の質が、その瞬間少し変わった。
 怪訝な目で兄を見ると、こちらに見向きもせずに「それで、シャレルット嬢」と彼女に声をかける。

「あ、は、はい」
「正直な話、ルルオール令息との婚約についてはどう思っているのですか? やはり彼を愛しておられる?」
「え? いえ。親戚が勧めてきた婚約ですから、私には選択肢がないと言いますか……」
「では、親御さんがジルグロッセに嫁ぐことを許してくれれば、帝国に来ていただけるということですか?」
「それは……はい。私も貴族ですから、結婚相手になにか望む立場ではないと思っておりますので」

 ふむ、と兄が頷き、手を使用人たちに向かって挙げる。
 手を回せ、という意味だ。
 頭を下げた使用人たちが出ていくのも気づかず、ケーキに夢中になるシャーリー。
 その頬張る笑顔に、また視線が釘づけになる。