壁の花がいたので婚約破棄させて連れ帰ってみた。


「私は九柱目の神、戦神オーディールの生まれ変わりなのだ! 『神の書』を読める知識の神アルヴァーニュの転生者が現れたというのなら、お前たちこそ証明してみせろ! 言いがかりである! 私は神の生まれ変わりだ! この異端者どもが!」
「――と、申しております」
「そうか。わかった。引き続き(くつわ)を噛ませて黙らせておけ。口だけでのし上がった男の言葉など、聞く必要もない」
「ハッ」

 牢の兵に任せ、服も着せられない全裸の男を一瞥して去る。
 投獄されたロドリゲスと思しき初老の男は、口を開けばあのようなことしか言わない。
 拷問を行う許可はまだ皇帝から出ておらず、オーディール神教国にいる諜報員の報告待ち。
 ジルグロッセ自身、本物のロドリゲス・クセスを見たことがあるわけではない。
 あれが影武者か本人か、はっきりとわかるわけではない。
 実際想像していたよりもあの男の口が立つようには思えないからだ。
 三十年。三十年だ。
 戦火が起こって十三年。
 ロドリゲス・クセスが九神教を掲げてから、世界が混沌としたこの長い時間。
 言葉にすれば短いものだが、ジルグロッセの半生はロドリゲス・クセスが引き起こしたこの混沌に翻弄されてきた。
 あんな小物であっては困る。
 いや、正確には認めたくない。
 詐欺師というのは度胸のある小心者。
 自分を過大に見せるために嘘を平然と吐き捨てる生き物。
 世界を巻き込んだ稀代の詐欺師であればなおさらただ口の上手いだけの小物である可能性は高い。
 だが、そのためにいったいどれほどの命が奪われ、不幸が生まれたか。
 奴には絶対にそのツケを支払ってもらわねばならない。
 安穏とした生活も死も、やつには絶対に与えてはならない。

(俺にも)

 地下牢からの階段を上り、表に出ると伝令兵が駆け寄ってくる。
 皇帝から呼び出し。
 溜息を吐く。
 城に戻り、皇帝の執務室へと訪れるとそこにはシャーリーもいた。
 目を見開く。

「なぜシャーリーまで?」
「国民を納得させる必要があるのと、捕えた男が本当にロドリゲス・クセスかどうかも含めシャーリー嬢に『神の書』へ問うてもらおうと思っている」
「は?」

 それはつまり、シャーリーを国民が多くいる場所へ引きずり出すということか。
 思わず父を睨むと「それだけではない」と微笑まれる。

「そのタイミングで、お前の婚約者であると発表する。同時にすれば敵方の動きも多少変わるだろう」
「……変わる?」
「お前の婚約者では、政治的な意味も含まれるからな」
「しかし――」
「どちらにしても、いつかは発表することだろう」

 父の提案は政治的にはその通りにした方がいいのだろう。
 戦場育ちのジルグロッセには納得こそできるが不安の方が大きい。
 発表の場というのは、暗殺の危険がもっとも大きなタイミングだからだ。
 大勢の人間の中に、一人目立つ場所に立たされる恐怖もよく知っている。
 だからジルグロッセは魔法で自衛する術も覚えた。
 魔法で結界を張り、己の声は拡張して聞き届けやすくするなどの工夫をしてきたのだ。
 だが、シャーリーは貴族にしては魔法が使えない。
 その代わりに『神の書』を読める神力を持っている。
 それが聖人、聖女の特徴。
 だからこそ『神の書』を読むことは証明になる。
 しかし、それでシャーリーの身を危険に晒すのは――。

「ジルグロッセ様、私も望んでいることなのです」
「君も?」
「はい。もう、白黒つけてしまいましょう。真実を伝えても問題ないことならば、伝えてしまえばいいのです。そしてどうか、これ以上ジルグロッセ様は傷ついたりご自分を責めたりしないでくださいませ」
「――!?」

 本当に驚いた。
 なにを言われているのか一瞬理解ができないほど。

「な、なにを言って……」
「私、なんとなくわかります。ジルグロッセ様がお優しいことも、戦争でとても疲弊しておられることも。体ではなくお心が」
「…………」

 疲弊している。
 体ではなく、心が。

(そうかもしれない)

 もう疲れている。
 人の命を奪うことに躊躇はなく、なんの感情も抱かない。
 敵を倒すことは、作業だ。
 将として味方兵を守り、敵に最大の損害を。
 けれどそれは確かに自分の中のなにかを削っている。

(彼女には見通されているのか。そうか――)

『真実』と『予言』。
 知識の神アルヴァーニュは、それを伝える。

「もちろん警備は厳重に行う。だが、お前の婚約者であるシャーリー嬢を知識の神アルヴァーニュの転生者と公表し、ロドリゲス・クセスがただの詐欺師であると国民の前で真偽を明らかにすれば九神教側には決定的なことになるだろう。オーディール神教国のあった南部全域を帝国領として使うよう貴族を何人か選出している。あとのことは任せて、お前は帝都でシャーリー嬢とゆっくりしなさい。本当なら、お前をあの土地の領主にして統治を任せたいところだが……それは働かせすぎだとシャーリー嬢に言われてしまったからな」
「父上……」

 ぐっと漏れそうになった言葉を飲み込む。
 彼女を見ると、微笑まれる。
 眼鏡に反射して見えづらいが、その新緑の瞳のなんと優しいことだろうか。

「シャーリー、本当にいいのだな?」
「はい。もうとっくに覚悟の上です」