壁の花がいたので婚約破棄させて連れ帰ってみた。


「俺と結婚しろ」
「は――はい?」



 帝国歴369年、リリンジュの月。
 戦地が落ち着き、花嫁探しに連れ回される日々。
 長兄に連れられ、聖人、聖女を多く輩出しているティヴァロニ王国王太子の誕生日パーティーに招かれた。
 気は進まない。
 戦場はいつ再開されるかわからない緊張状態。
 今は九神教教主ロドリゲスの生誕祭とやらで戦端は縮小されつつある。
 だが、おそらくそれは補給期間にすぎない。
 大陸の七割を取り戻された結果、補給に時間が掛かるようになった。
 ただそれだけの話。

「眉間に皺ができているよ、ジル。そんなんじゃお嫁さんが来てくれないってば」
「興味がないのです。イガルダ兄上」
「まあ、そう言わずに。結婚していないのはお前だけなんだから。ティヴァロニ王国は聖女が一番多い国だ。王太子の婚約者以外に二人もいるらしいよ。紹介してもらおう」

 じとりと睨む。
 聖女――世界を創造した八柱の神々の転生した存在。
 女性ならば聖女、男性ならば聖人。
 彼らは神の力の一端を使うことができ、神殿に所属して世界の均衡を保ち、消費されて枯渇した土地に神力を与え蘇らせる役割を持つ。
 ティヴァロニ王国はその聖人聖女を多く輩出している国。
 この国が帝国の属国になったのは、九神教の手が伸びたため。
 そしてジル――ジルグロッセが連れてこられたのは政略結婚の相手を探し出すためだ。
 深い溜息を吐く。
 正直、すでに兄たちは結婚して子どもも生まれている。
 自分が結婚する必要性を感じない。
 十四の時から戦場に出て、他国からの通称は『血飢えの皇子』。
 確かに積極的に戦地を駆け巡ってきたが、それはすべて帝国と、ひいては帝国に庇護を求めて傘下に降った国々を守るため。
 だというのに、その通り名を知る令嬢たちの怯えた表情よ。
 紹介された聖女たちの顔色も悪く、いかにも『選ばれませんように』『気に入られませんように』と祈るかのよう。
 話しかけてくる令嬢もおらず、酒を煽りながら壁の端のソファーにどかりと腰掛ける。

「……?」

 その時、同じく近くの壁に設置されているソファーに紅茶のような髪と若葉のような瞳を持つ令嬢が眼鏡を押し上げながら熱心に本を読んでいるのを見た。
 王太子の誕生日を祝うパーティー中に、読書……!?
 あまりのことに硬直して、目を丸くして不躾にも凝視してしまう。
 少し身を前に出して顔を覗くと、とても楽しそうに本に熱中している。
 その横顔に目が離せなくなった。

「ジル」
「兄上」

 残念、見つかった。
 隙を見て婚約者候補探しを煙に撒こうとしたが、失敗。
 だが、兄が同じように読書に熱中する令嬢を見つけて、きょとんとしてしまう。
 外交に慣れている兄から見ても彼女はかなりおかしいらしい。

「シルヴァー王子、彼女は?」
「え?」

 ソファーから立ち上がる。
 兄を追いかけてきたらしい金髪碧眼の青年は、本日の主役であるティヴァロニ王国の王太子。

「ああ、彼女はシャーリー・シャレルット子爵令嬢、ですね。本好きで有名なご令嬢ですよ」
「婚約者はおられるのですか?」
「えーーーーー……と……」

 あまりにも言い淀む。
 王太子でありながら、と不審な目で見ていると、兄が王太子の眼差しの先へと顔を向ける。
 それにつられて視線の先を追う。
 先程紹介された聖女たちの肩に手を回し、笑顔で話している男がいた。
 あまりにもチャラチャラとした姿。

「――まさか……あれが彼女の婚約者なのですか?」
「え、ええ。セルジュール・ルルオール伯爵令息です」
「ずいぶん仲のいい女性が、多い方なのですね」

 兄のやんわりとした言い方と笑み。
 社交に明るくないジルグロッセにも嫌味であるとわかる。
 それに対して居心地の悪そうな渇いた笑みで「お恥ずかしい限りで」とごまかす王太子。
 彼は悪くなどない。
 どう見ても王太子の誕生日パーティーにかこつけて女性を侍らせる男が悪い。
 顔は確かに悪くない。
 いや、むしろ贔屓目に言って兄や王太子と同等の美貌だ。
 だが、あまりにも軽薄。
 もう一度近くのソファーで読書する彼女を見る。

(結婚する? あの軽薄な男と? この勤勉な女性が?)

 無性に腹が立った。
 絶対に似合わない。
 仲が良好ならば、彼女は一人で壁の花などやっていないだろうし、婚約者の男は婚約者以外の肩を抱いて笑顔を振り撒いたりしないはずだ。
 その確信から、彼女の前へ移動する。
 なにを言う気だ、と兄が後ろから駆け寄ってくるが無視した。
 そして、本に熱中していた彼女の目の前に立つ。
 突然本に影が差して驚いた彼女が顔を上げると、二メートル近い長身の筋肉質男が見下ろしていれば何事かと目と顔を開けて硬直もすることだろう。
 だが、そんなことは些事だ。

「俺と結婚しろ」
「は――はい?」
「ジ、ジル!?」
「ジルグロッセ様!?」

 素っ頓狂な声で聞き返される。
 だが、その聞き返しが「はい?」であったことをいいことに彼女の腕を掴んで立たせた。

「この娘を俺の婚約者にする。そこのお前!」
「ひ!? は、はい!」
「貴様とこの娘は婚約破棄する! 貴様のような女誑しはこの娘の婚約者に相応しくない! この娘はこのままロゲオスに連れて帰る! 王太子、手続きは勝手にしておけ」
「あ、あ、あ、は、は、はいっ……!?」
「ジル!」

 強引な自覚はあったが、戦場育ちの皇子などこんなものだと多めに見てもらえるだろう。
 兄の避難の混じった声は聞こえないふりをして、掴んだ腕を少し緩める。
 見下ろすと目を白黒させて現状がまったく理解できていないシャーリーに言い放つ。

「お前に拒否権はない。すぐに実家に戻って輿入れの準備をして来い」
「え、あ、え、あ、あの……あの!? ど、どなたですか!?」