winterlovesong 雨の中の恋歌

 そんな敬子がスナックで働くようになったのは5年後のこと。 古くからの友達 金沢清美に誘われてのことだった。
金曜日の仕事が終わった午後9時。 清美に連れられて敬子はスナック 宮子にやってきた。
 「おやおや清美ちゃんじゃないか。 あんたが言ってた子ってこの子かい?」 「そうよ。 この子なら可愛いしスタイルもいいし男も寄ってくるんじゃないかと思って。」
「そうかい。」 清美に言われてママは敬子を上から下まで嘗め回すように見詰めた。
 「あんた、胸はなんぼだい?」 「覚えてません。」
「しょうがないなあ。 清美ちゃん 見てやってくれよ。」 半分呆れた顔でママは煙草を燻らせている。
 「見なくても分かるわよ。 これだったらEカップね。」 「そう。 売れそうね。」
敬子にはその意味が分からなかった。
 昔のスナックならホステスは酔っ払った男たちを煽動して2階に上がったもんだ。 何をしてるのかというと、、、。
「今夜は私を好きにしていいわよ。 私の体に興味が有るのよね?」 耳元で囁きながら二人でベッドに入る。
そのまま朝まで一緒に過ごしてその分の金を払わせるのである。 今では警察もうるさく鳴ったからそんな店は無くなってしまったが、、、。
 それでも飲んだ後の男たちを相手にして遊んでいる店は確かに在る。 夜の仕事に色恋は付き物なのだから。

 敬子はママに言われるままに常連らしいおじさんの隣に座った。 「吉岡さん 今夜入った新しい子だから大切にしてやってね。」
「オー、胸も大きいし可愛いみたいだしママもいい女を拾ったなあ。」 「お世辞はいいから飲みなさいよ。」
 清美は敬子の心配をしながら隣のボックスでじいさんの相手をしている。 こっちはこっちでなかなかに飲むらしい。
初めての仕事が終わった後、敬子はフラフラになって店を出た。 「こんなに酔っ払っちゃって、、、。」
「初めてだから、、、。」 「そうよねえ。 あんた、お酒の飲み方も知らないんだもんねえ。」
清美は倒れそうな敬子をアパートまで送っていくのが常だった。
 清美もこの店に努めて3年目。 毎晩毎晩酔っ払いの相手をしてきた。
酔った振りをして胸を触ってくる男だって居る。 最初はすごい顔で睨み返したりしたんだそうだ。
そのたびにママが怪訝そうな顔をする。 「女の体は商品なんだから触ろうと何をしようと我慢してなさい。」
営業が終わるとママは苦虫を噛み潰した顔で清美に諭すのである。 以前、胸を触られたからって店を飛び出していったホステスのこともこの時に知った。
 「飲み屋はね、飲んでなんぼ、絡んでなんぼの仕事なんだよ。 男たちはその夜限りだと思って付き合いなさい。」 さすがは水商売の女だ。
景気がいい時には万円札を気兼ねなく恵んでくれる男たちも景気が悪く鳴れば100円玉さえけちるようになる。 それが社会の定め。
その中でこの店も荒波に耐えてきた。 その店の一員に敬子もなったわけだ。
 2週目の金曜日のこと。 役所で働いているという兼田義則という男が飲みに来た。 「おやおや、兼田君じゃないか。 久しぶりだねえ。」
ママの懐かしそうな笑い声が聞こえる。 「うちにも新人さんが入ったからあんたに紹介するよ。」
 兼田はママに教えられるままに敬子の隣に座った。 「敬子ちゃん 役所勤めの兼田君だ。 よろしく頼んだよ。」
それから兼田は水割りを頼んで煙草に火を点けた。 「よく来るんですか?」
「2年ぶりかな。 しばらく忙しくて来れなかったんだ。」 そこへ清美が水割りを運んできた。
「今夜は悪酔いしないのよ。」 敬子にそう言ってから隣のボックスに座る。
 「前に来た時にはマリアちゃんって居たんだけどなあ。」 「マリアなら結婚して辞めたわよ。」
「そっか。 残念だなあ。」 「もしかして好きだった?」
「あんな英語が喋れる子って居ないから。」 「あの子はフロリダかどっかで生まれたのよ。」
「だからか、、、。」 兼田は水割りを飲みながら敬子を見詰めた。
「何か付いてますか?」 「目と鼻。」
「ブ、それくらい誰にだって付いてるわよ。」 水割りを飲もうとしていたママが噴き出した。
 「ママ、汚いなあ。」 「ああ、ごめんごめん。 あの客が変なことを言うもんだから。」
敬子はサッと立ち上がるとカウンターの奥へタオルを取りに行った。 「あの子は動きが速いなあ。」
「昼間は看護婦をしてるのよ。」 「だからか。」
 15人も入ればいっぱいのそう大きくはない店、、、そこで敬子は兼田と知り合った。 以来、彼は敬子を指名して飲みに来るようになった。
兼田も役所勤めだからか金曜日に飲みに来る。 敬子もそれに合わせてペンダントやブローチなどを揃えるようになってきた。
 そして時には連れ立って夕食を食べに行ったりもするようになる。 そんな二人を清美は羨ましそうに見送るのだ。
「ねえねえ私たちも夕食を食べに行きましょうよ。」 「夕食? 飲んでるだけでいいよ。」
「優しくないんだなあ。 友田さんは。」 「いいじゃねえか。 その分飲んでるんだから。」
「水ばかりじゃお腹空いちゃうわよ。」 「じゃあおにぎりでも買ってくれ婆?」
友田絹雄は財布から千円札を取り出すと清美の前に置く。 「あったかいご飯が食べたいなあ。」
 「清美も行きたいのか?」 カウンターで飲んでいた大島文明が振り向いた。
「そうねえ。 お腹も空いたし大島さんならおごってくれそうだし、、、。」 「そうか。」
大島と友田は建設会社の作業員。 暑い夏は働いて働いて金を貯め、寒くなってくると分厚い財布を持って遊びに出る。
 いつもは宿舎暮らしなのに冬になると風俗宿で寝泊まりしているという。 「働くのは遊ぶためだ。」
この二人が飲み屋に現れるようになると木枯らしが吹いてくる。 そして春一番が吹き始めると音も立てずに居なくなるのである。

 「じゃあママ、行ってくるよ。」 「いいけど清美まで食べないんだよ。」
「分かってるってば。」
清美が大島と二人で焼き鳥屋に出掛けた後、友田はママと顔を突き合わせて飲んでいる。 「静かな店だねえ。」
「そりゃそうさ。 あんたと私しか居ないんだから。」 有線が流れているわけでもない。
流しが気休めに歌っているわけでもない。 ラジオが騒いでいるわけでもない。
薄暗い照明の下でおじさんとおばさんが飲んでいるだけである。 電話が鳴ることも無い。
前は電話もうるさく鳴っていた。 でもママはそれが嫌いで電話を切ってしまった。
新しい客はそれほど来なくなったが古くから飲みに来る男たちはたくさん居る。 中にはママのホステス時代からの長い付き合いの客も居る。
 今の町長 永山武治もその一人。 彼はママを何度も抱いてきた男だった。
「何だ? 店を出すのか?」 「そうなのよ。 この店でもいい加減長く働いたから独立しようと思って。」
「寂しくなるだろう。 あんたが抜けたら。」 「大丈夫よ。 この店はそう簡単には潰れないわ。」
 永山はそう言うと3000万の札束を彼女に渡した。 「花向けだ。 回転したら飲みに行くよ。」
「ありがとう。 来てね。」 それが20年前の話だ。
 まだまだホステスの間では風俗紛いの女が多かった。 その中でこの店は開店したんだ。
雑居ビルの地下1階。 階段を下りるとすぐの店だ。
真新しいネオンサインを見付けた永山はうずうずしながらドアが開くのを待っていた。
 開店と同時に入ってきたのは永山だった。 「始めたんだな?」
「そうよ。 ホステスも二人用意したわ。」 「あんただけでいいよ。」
「そうもいかないよ。 私じゃあ物足りないって客も居るからさあ。」 そこへ水割りを運んできたのが清美。
「可愛い子も捕まえたんだなあ。」 「そりゃあねえ、、、。 誰かみたいに胸さえ有ればってわけにはいかないからさあ。」
「言ったなあ?」 「言うわよ。 私だってママなんだから。」
 以来、客もけっこう入れ替わったもの。 ホステスだって何人か入れ替わったっけ。
兼田は緊張しながら飲んでいる敬子に名刺を渡して帰っていった。 「あんたも客が付いたんだねえ。」
「え? 何ですか?」 「ママ、敬子はまだ慣れてないんだから教えてやらないと、、、。」
「だったらそれはあんたに任せるわ。」 「んもう、、、。」
 営業が終わって店を出た時、清美は敬子が貰った名刺に目を通した。 「この人は前はマリアって子の客だったの。 これからはあんたの客ね。 役所のお偉いさん候補だから大事にしてね。」
「分かった。」 とはいうものの、今夜もまた飲み過ぎたらしく手頭が、、、。
 土曜日はいつも夕方までゴロゴロしている。 客によっては飲み過ぎて店の帰りに思い切り吐いちゃう時だって有るんだから。
痛む頭を抱えて敬子は布団の中で転がっている。 カモメ内科は土日休みだったから。
 安田内科に移ってからもホステスは続けている。 なんとか土曜日は休ませてもらっているけど。
 夜になるとまたまた少しだけ着飾ってスナックに行く。 そしてこの日は奥のほうで仕事をしている。
「明日は内科で働くんだもんねえ。 酔い潰れると大変だから。」 清美も土曜日だけは敬子に気を使っている。
 ママはいつもの通りにネオンを点けると奥の棚を見回した。 「ウイスキーが減ってるわね。 頼んでおいて。」
棚の下のほうにはキープされたボトルが並んでいる。 冷蔵庫にはビールや日本酒も入っている。
 清美はキープされたボトルを見回した。 (敬子の客もキープしてるんだなあ。)
兼田恵子と書かれたボトルを見付けた清美はクスッと笑った。

 今夜も友田と大島が真っ先に飲みに来た。 「お金持ってるのねえ?」
「おっかねえ。」 「くだらないこと言わないの。」
「分かった分かった。 角は出さなくていいから飲ませてよ。」 「変な人。」
「俺が変じゃなかったら日本はもっといい国になってるぞ。」 「あんたくらいじゃ変わらないわよ。」
今夜もママと友田のバトルが始まったようだ。 敬子はカウンターの奥でコップを洗いながら耳を澄ましている。
 土曜日だけバイトしている涼子が大島の隣に座った。 「いい姉ちゃんじゃねえか。」
「こらこら、うちはソープじゃないんだからそんなことは言わないの。」 「いいじゃん。 一回くらい。」
「ダメダメ。 そんなことしたらママに殺される。」 「殺さないわよ。 捕まりたくないんだから。」
涼子と清美とママがあっちでこっちで言い合っている。 今日は賑やかになりそうだ。
 敬子は時々水割りを作ってはテーブルに運んでいる。 「今夜は飲まないのか?」
「明日も仕事だから。」 「何処で働いてるんだい?」
「安田内科。」 「ああ、あの変な医者が居る病院か。」
「変な医者?」 「そりゃそうだろう。 今時日曜日に働く医者なんて居ないぞ。」
「まあまあいいじゃない。 日曜日だって何曜日だって。」 『日曜日は休むもんだ 。 働くなんてけしからん。」
 困惑している敬子の傍に清美がやってきた。 「相手にしなくていいわよ。 出来上がってるんだから。」
「でも、、、。」 「いいの。 あんなのはほっときなさい。」
 それから清美は文句を言っているおっさんに向き直った。 「今夜はこれでおしまいね。 米沢さん 出来上がってるからまた今度にしましょう。」
そこへ涼子が水を持ってきた。 「これでも飲んで少し目を覚ましてから帰ってね。」
 米沢宗之は呆然とした顔で水を飲んでいる。 やがて立ち上がるとフラフラと店から出て行った。
 「あの人さあ、気前はいいんだけど酔っ払うと誰彼構わずに噛み付くのよねえ。 手に負えないわ。」 「まあいいじゃない。 ここしか無いのよ あの人には。」
「そうかもしれないけど毎回毎回これじゃあ堪らないわ。」 「いいじゃない。 最初の頃はそこいらでゲーゲーベーベー吐きまくって大変だったんだから。」
「そんなことも有ったっけなあ。 早いわねえ 10年なんて、、、。」 12時を過ぎるとママは店の片付けを始める。
そしてゴミ箱というゴミ箱にはお湯を掛けて回る。 それが済むとネオンを消して鍵を掛けるんだ。
 今夜もいい感じで酔っている。 タクシーを呼び付けると住み慣れたマンションまで帰っていく。
ママの宮子は50を過ぎても独身で一人暮らし。 ホステス時代は毎晩のように誰かに抱かれていたけれど、今はそんな男も居ない。
 寂しくないと言えば嘘になるけれどだからといって誰かを捕まえたいとも思わない。 恋愛というやつに無縁なんだと思い込んでいる。