浮気相手の子を「育てろ」と押しつけられたので、罪のない少女は丁重に育てつつ、夫だけを優雅に制裁することにしました

「最近は、もう会ってもくれんのです。それで、彼女のことを調べるうちに……あなたが、ご友人だと知りました」

 メガエリス卿は麗しい顔に似合わぬ、しおれた声でそう言った。

「まあ。そうなのですか」

 話がようやく見えてくる。要するにこの方は、私にスノーフレークとの間を取り持ってほしいのだ。
 女嫌いで知られた男が。女である私に縋ってまで。

「なぜ、そこまで?」

 私が問うと、メガエリス卿は一片の迷いもなく言い切った。

「彼女に一目惚れしたのです。私の唯一は彼女しかおりません。我が真実の愛ですぞ」

 唯一。
 真実の愛。

 四十がらみの、酸いも甘いも噛み分けたであろう男の口から出るには、ずいぶんと青臭い言葉だった。
 けれどその美しいティールの瞳には、まっすぐで不器用なほどの熱だけがあった。

「…………それは、それは」

 気の利いた相槌ひとつ、出てこなかった。

 まだ何か訴えたげな彼を、私はやんわりと押しとどめ、帰るようにと宥めて、その場を辞した。
 立ち話で片のつく話ではないし、何より先に、当人に会わねばならない。



 孤児院の奥、シスターたちの居室を訪ねると、スノーフレークはまるで幽霊でも見たかのような顔で私を迎えた。

「スノーフレーク? 外にリースト伯爵がいたけれど、あれは」
「え、エレオノーラ! なんで急に……い、いえ、彼は、まだいましたか!?」
「帰るよう促したわ。あのままじゃ不審者にしか見えないもの」
「そ、そう。よかった……」

 心底ほっとしたように、彼女は胸を撫で下ろした。
 長い真っ直ぐな銀髪をいつものように三つ編みにして、元侯爵令嬢とは思えない、庶民のような地味で装飾のない綿のブラウスとスカートを着ている。
 菫色の瞳は相変わらず、触れれば壊れそうに儚い。
 同い年のはずなのに、彼女はいつも、この世のものではないような透明さを纏っている。学園を卒業した頃から、もうずっとそうだった。

 先触れもなく押しかけた私を責めるでもなく、スノーフレークは慣れた手つきで茶を淹れてくれた。
 湯気の向こうで、その指がわずかに震えているのが見えた。

「か、彼に……求婚されたのです。もちろん、お断りしたのだけれど」

 なるほど。この様子だとそれに動揺して、リーゼや私への手紙の返事どころではなかったようだ。
 ということは、あの男との縁は半年ほどか。孤児院を設立した正妃様が亡くなられたのはその少し前だもの。

「まあ。年はだいぶ離れているけれど、悪い話では……」

 言いかけて、私は口をつぐんだ。
 この孤児院は神殿寄りの運営だから、シスターであっても婚姻を禁じる規定はない。
 教会系列ならお勤めの間は独身が推されるけれど、ここは違う。
 だから、求婚そのものは咎められる話ではないのだ。条件だけ見れば良縁だが……

「無理です……あなただって、知っているでしょう……?」

 カップとソーサーを私の前に置いたあと、スノーフレークは力なく項垂れた。

 知っている。そう、お互いに一番親しい友人だった私は知っている。
 もうずっと前。まだ私たちが若く、学園を卒業したての頃、彼女の身に何が起きたのか。
 なぜ彼女が、侯爵令嬢の身分も約束された未来も捨てて出家したのか。

 その理由を私は知っている。
 当時、誰にも言えずにいた彼女がただひとり、私にだけ打ち明けてくれたのだから。

「リースト伯爵のような名家に、私が嫁げるはずが、ありません。しかも彼は初婚の当主です。ありえない」
「スノーフレーク。でも、それは」
「だって、私は」

 菫色の瞳が、揺れた。

「純潔を、失っているのだもの」

 その一言を、彼女はまるで自分の罪状を読み上げるかのように口にした。

 私たちが学園を卒業して、もう随分と年月が経っている。
 でも彼女はまだ苦しんでいる。
 彼女は奪われた側で、罪を犯したのは男なのに。
 傷つけられた側が、こうして今も自分を「損なわれた傷物の女」だと信じ込んでいる。
 その理不尽さに、私の胸の奥で静かな怒りが、ゆっくりと熱を持ち始めた。

 けれど、ここで激してはいけない。彼女の前で声を荒げてはいけない。



 私は冷めかけた茶を一口含んだ。
 さて。どこから解けば良いだろうか。

 今までは孤児院のシスターに言い寄るような不埒な男はいなかった。
 ここは正妃様が訳ありの女性に職を与える職場として作った側面もあるから、外部の無関係者は簡単には入れないのだ。

 だがそこに、陛下に近しい人間としてメガエリス卿がやってきた。彼女に求婚した男としてだ。

 見た感じ、スノーフレークは求婚の拒絶に頭がいっぱいで、メガエリス卿への嫌悪感などはないように見える。

 せっかくだから、彼には長く絡まったこの糸を解く役に立ってもらおうと考えた。



 ところがその方策を考える前に、当の本人が私の子爵家を訪れたのは、なんとすぐ翌日のことだった。
 朝には先触れの手紙を持った執事が正装姿の使者として来て、午後に訪問を受けた。

 行動が早い。手際も見事だ。

 そして私は察知した。

 ――この男、本気で私の親友を落とすつもりだ。