「まあ、桂さんの溺愛っぷりを見るからにそんなこっちゃろうとは思っちょったが…」
龍馬は目の前の勇ましい青年を見た。とても女には見えない。こいつに斬られて死んで行った者たちは浮かばれんな。そんな事を頭の片隅で考えた。
すると、志乃が口を開いた。
「でも、分かりません。聞き込みなら、わざわざ桂さんの補佐を降りずとも出来ますが……」
「ああ、その点に関しては、宮部君が話そう」
桂の言葉に皆が宮部を見た。宮部鼎蔵は肥後藩士で肥後勤皇党という尊皇攘夷派の組織をまとめる将である。吉田松陰とも知り合いであった経歴からも、長州藩からの信頼は厚かった。
「今回の狙いは薩摩、会津じゃ」
宮部は独特の野太い声で言った。
「会津は元より幕府の犬じゃ。じゃが、問題は薩摩よ」
「確かに、私も昨日佐幕派を斬りましたが…」
「うむ。薩摩は表向きは尊王を掲げてはおる。じゃが、近頃の動きは妙じゃ」
「長州を疎んじ始めている」
久坂が低く言った。
宮部は静かに頷いた。
「その通りじゃ。薩摩が何を考え、誰と手を結ぼうとしておるのか。それを探らねばならん」
「島原に薩摩や会津の者が出入りしているという話もある」
桂が言葉を継ぐ。
「島原はただの遊郭ではない。公家、諸藩の志士、幕府の役人。様々な人間が集まる情報の集積地だ」
「そこで私が必要になるという訳か」
志乃が呟くと、龍馬がニヤリと笑った。
「そういうことじゃ。男が入れん場所もあるきのう」
「なるほど」
志乃はようやく話の全貌を理解した。
「私からも良いですか?」
手を挙げたのは稔麿だった。彼はチラリと私に視線を向けた後、少し微笑んで、話し始めた。
「もし、もし仮に志乃の正体がバレた時は、どうします。遊女ならば何があるか分かりませんし、武器は持ち込めないでしょう」
稔麿の問いに皆が黙った。
「……その時は死ぬ。舌を噛みちぎってでも死んでやる」
志乃の覚悟に誰もが息を呑んだ。
志乃は分かっていたのだ。この作戦において、己の命など軽い。大事なのは、薩摩・会津の企みを知る事なのだ。
「死ぬ……か…それも立派だが、私はやはり了承できない。誰かが護衛の為に共に行く事は出来ないんですか?」
稔麿はまだ食い下がった。久坂はその様子を見て鼻で笑った。
「おいおい、そんな事この作戦においてはどうでもいいだろ。私情を挟むなよ、吉田君」
「私情ね。もちろんそれもあるが、志乃が欠けることへの打撃は痛いだろう」
「薩摩と会津にしてやられる打撃の方が大きいと思うが?」
久坂の言葉に稔麿は黙り込んだ。確かに久坂の言う通りだ。志乃の命ひとつよりも、長州藩の命運の方が重要だ。
桂は二人のやり取りを見て、志乃が昨夜語った事を思い浮かべた。
『久坂君とはどうにも……。頭脳は尊敬しますが、話していると息が詰まるのです』
『その点、稔麿はそういった堅苦しさが無いのが好きです。彼は《智仁勇》全てを併せ持っていると、私は思います』
確かに久坂の言は正しい。
国家の大事を前にすれば、一人の命など取るに足らぬ。将たる者、時には非情な決断も下さねばならない。
だが、人は理だけでは動かぬ。
己が捨て駒になると知ってなお命を預ける者は少ない。その点、稔麿は兵を数ではなく人として見ていた。
だからこそ、人が集まるのだ。
将として適しているのはどちらか。桂には答えが出ていた。
「確かに。久坂君の言うことにも一理あるが、吉田君の考えに私は賛成する」
「桂さん…」
久坂にとって、桂と稔麿の態度は理解し難かった。
二人とも志乃を高く買っているのは分かるが、それ以上の情が判断を曇らせているようにも見えた。
「店には護衛を一人、紛れ込ませよう」
桂の言葉に、久坂はすかさず口を開いた。
「しかし、それでは本末転倒でしょう。護衛を付ければそれだけ露見する危険も増える」
久坂は未だ口を開かない二人の男を見た。
「お二人の意見を聞きたい」
他藩の小競り合いを前に、二人はまず沈黙した。
「私は…」 先に口を開いたのは宮部だ。
「私は忠親殿の身を案じるのも大事だとは思うが、我らの動きが露見する方が問題じゃと思う。それに、彼は腕が立つのだから、護衛など入れずとも良いと考える」
宮部が話し終わると、全員の視線が龍馬に集まった。数で言うと二対二だ。龍馬がどちらに着くかで、この議題は決することとなる。
「わしゃあ、忠親殿が決めれば良いと思うがのぉ」
龍馬は志乃と目を合わせた。確かに、それが最適案だった。志乃が護衛の有無を決めるのが一番後腐れが無いのだ。龍馬は志乃の黒曜石のような瞳を見つめた。吸い込まれそうなほど、暗い。
すると、志乃は口を開いた。
「稔麿や桂さんの気持ちは有難いですが、私は一人でやれます。護衛は無しで行きましょう」
その一言で、全てが決まった。
潜入開始は三日後。文久三年、八月十八日と決まった。
政変は、もうすぐそこまで近付いている。
龍馬は目の前の勇ましい青年を見た。とても女には見えない。こいつに斬られて死んで行った者たちは浮かばれんな。そんな事を頭の片隅で考えた。
すると、志乃が口を開いた。
「でも、分かりません。聞き込みなら、わざわざ桂さんの補佐を降りずとも出来ますが……」
「ああ、その点に関しては、宮部君が話そう」
桂の言葉に皆が宮部を見た。宮部鼎蔵は肥後藩士で肥後勤皇党という尊皇攘夷派の組織をまとめる将である。吉田松陰とも知り合いであった経歴からも、長州藩からの信頼は厚かった。
「今回の狙いは薩摩、会津じゃ」
宮部は独特の野太い声で言った。
「会津は元より幕府の犬じゃ。じゃが、問題は薩摩よ」
「確かに、私も昨日佐幕派を斬りましたが…」
「うむ。薩摩は表向きは尊王を掲げてはおる。じゃが、近頃の動きは妙じゃ」
「長州を疎んじ始めている」
久坂が低く言った。
宮部は静かに頷いた。
「その通りじゃ。薩摩が何を考え、誰と手を結ぼうとしておるのか。それを探らねばならん」
「島原に薩摩や会津の者が出入りしているという話もある」
桂が言葉を継ぐ。
「島原はただの遊郭ではない。公家、諸藩の志士、幕府の役人。様々な人間が集まる情報の集積地だ」
「そこで私が必要になるという訳か」
志乃が呟くと、龍馬がニヤリと笑った。
「そういうことじゃ。男が入れん場所もあるきのう」
「なるほど」
志乃はようやく話の全貌を理解した。
「私からも良いですか?」
手を挙げたのは稔麿だった。彼はチラリと私に視線を向けた後、少し微笑んで、話し始めた。
「もし、もし仮に志乃の正体がバレた時は、どうします。遊女ならば何があるか分かりませんし、武器は持ち込めないでしょう」
稔麿の問いに皆が黙った。
「……その時は死ぬ。舌を噛みちぎってでも死んでやる」
志乃の覚悟に誰もが息を呑んだ。
志乃は分かっていたのだ。この作戦において、己の命など軽い。大事なのは、薩摩・会津の企みを知る事なのだ。
「死ぬ……か…それも立派だが、私はやはり了承できない。誰かが護衛の為に共に行く事は出来ないんですか?」
稔麿はまだ食い下がった。久坂はその様子を見て鼻で笑った。
「おいおい、そんな事この作戦においてはどうでもいいだろ。私情を挟むなよ、吉田君」
「私情ね。もちろんそれもあるが、志乃が欠けることへの打撃は痛いだろう」
「薩摩と会津にしてやられる打撃の方が大きいと思うが?」
久坂の言葉に稔麿は黙り込んだ。確かに久坂の言う通りだ。志乃の命ひとつよりも、長州藩の命運の方が重要だ。
桂は二人のやり取りを見て、志乃が昨夜語った事を思い浮かべた。
『久坂君とはどうにも……。頭脳は尊敬しますが、話していると息が詰まるのです』
『その点、稔麿はそういった堅苦しさが無いのが好きです。彼は《智仁勇》全てを併せ持っていると、私は思います』
確かに久坂の言は正しい。
国家の大事を前にすれば、一人の命など取るに足らぬ。将たる者、時には非情な決断も下さねばならない。
だが、人は理だけでは動かぬ。
己が捨て駒になると知ってなお命を預ける者は少ない。その点、稔麿は兵を数ではなく人として見ていた。
だからこそ、人が集まるのだ。
将として適しているのはどちらか。桂には答えが出ていた。
「確かに。久坂君の言うことにも一理あるが、吉田君の考えに私は賛成する」
「桂さん…」
久坂にとって、桂と稔麿の態度は理解し難かった。
二人とも志乃を高く買っているのは分かるが、それ以上の情が判断を曇らせているようにも見えた。
「店には護衛を一人、紛れ込ませよう」
桂の言葉に、久坂はすかさず口を開いた。
「しかし、それでは本末転倒でしょう。護衛を付ければそれだけ露見する危険も増える」
久坂は未だ口を開かない二人の男を見た。
「お二人の意見を聞きたい」
他藩の小競り合いを前に、二人はまず沈黙した。
「私は…」 先に口を開いたのは宮部だ。
「私は忠親殿の身を案じるのも大事だとは思うが、我らの動きが露見する方が問題じゃと思う。それに、彼は腕が立つのだから、護衛など入れずとも良いと考える」
宮部が話し終わると、全員の視線が龍馬に集まった。数で言うと二対二だ。龍馬がどちらに着くかで、この議題は決することとなる。
「わしゃあ、忠親殿が決めれば良いと思うがのぉ」
龍馬は志乃と目を合わせた。確かに、それが最適案だった。志乃が護衛の有無を決めるのが一番後腐れが無いのだ。龍馬は志乃の黒曜石のような瞳を見つめた。吸い込まれそうなほど、暗い。
すると、志乃は口を開いた。
「稔麿や桂さんの気持ちは有難いですが、私は一人でやれます。護衛は無しで行きましょう」
その一言で、全てが決まった。
潜入開始は三日後。文久三年、八月十八日と決まった。
政変は、もうすぐそこまで近付いている。
