財閥令嬢の私が、三つ子の不良御曹司に世界を教えられるなんて

優斗に連れられて長い廊下を歩きながら、私は何度も帰りたいと思っていた。

書斎へ近づけば近づくほど足取りは重くなり、胸の奥には嫌な予感がじわじわと広がっていき、まるで見えない鎖で引きずられているような気分になっていた。

父に呼び出されて良い話だったことなど、一度もない。

いつだって命令か叱責。それだけ。

いつだって西園寺家のため。

そこに私自身の気持ちが入り込む余地はほとんどなかった。

だから私は無意識に優斗の背中を見ていた。

少しでも現実逃避をしたかったのかもしれない。

優斗は何も言わなかった。

ただ私の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれていた。

それだけで少しだけ救われる。


やがて書斎の前へ辿り着く。

重厚な木製の扉。

幼い頃から何度も見てきた扉。

それなのに今でも苦手だった。

この向こうには父がいる。

そして私の人生を勝手に決める人がいる。

優斗がノックをする。

「お嬢様をお連れしました」

すぐに低い声が返ってきた。

「入れ」

たった一言。

それだけなのに胃が痛くなる。

私は小さく息を吐いた。

逃げたい。

でも逃げられない。

西園寺家の娘だから。

私は覚悟を決めて扉を開いた。


書斎の中は相変わらずだった。

壁一面に並ぶ本棚。

重厚な机。

高級そうな革張りの椅子。

そして窓際には父――西園寺裕作が座っている。

数か月ぶりに見る父の姿だった。

けれど懐かしいという感情は湧いてこない。

緊張と警戒心だけが胸を支配していた。

後ろで扉が閉まる。

優斗は廊下で待機だ。

この部屋には私と父しかいない。

それだけで息苦しかった。


裕作は私を見る。

感情の読めない目だった。

「久しぶりだな」

私は反射的に微笑みを作った。

幼い頃から身につけた仮面だった。

「はい。久方ぶりのご来訪、心待ちにしていました」

もちろん嘘だった。

心の底から嘘だった。

けれど本音を言ったところで何も変わらない。

むしろ面倒になるだけだ。

だから私は完璧な令嬢を演じる。

父の望む娘を。

裕作は特に何も言わなかった。

嘘だと分かっているのかもしれない。

あるいは興味すらないのかもしれない。

「とりあえず座りなさい」

「はい」

私は父の向かいの椅子へ腰を下ろした。

膝の上で両手を重ねる。

緊張を隠すためだった。

裕作はしばらく私を見ていた。

そして何の前置きもなく本題へ入る。

「お前を呼んだのは、お前の結婚について話すためだ」

結婚。

その言葉に私は少しだけ目を伏せた。

驚きはない。

いつか来る話だと分かっていた。

西園寺家の娘として生まれた時点で、私の結婚は恋愛ではなく取引になるのだろうと理解していた。

それでも。

実際に口にされると胸が重くなる。

「お前は道明寺家に嫁に出すことに決めた」

私は顔を上げる。

「高校を卒業したらすぐに結婚してもらう」

その声は淡々としていた。

まるで来月の予定を説明するかのように。

道明寺。

私は頭の中でその名前を反芻した。

道明寺グループ。

世界各国に拠点を持つ巨大多国籍企業。

西園寺家ですら無視できないほどの超巨大財閥。

正直、驚きはなかった。