財閥令嬢の私が、三つ子の不良御曹司に世界を教えられるなんて

道明寺家を出発したリムジンが西園寺邸の門をくぐった時、私はどこかほっとした気持ちになっていたのだけれど、その安堵は玄関ホールへ足を踏み入れてから十分もしないうちにあっさりと打ち砕かれてしまった。



荷物を部屋へ運ぼうとしていた私の前へ執事の一人が現れ、まるで最初から待ち構えていたかのようなタイミングで「会長がお呼びです」と告げたからだ。



私は思わず足を止め、小さく息を呑んだ。



お父様。



せっかく帰ってきたというのに、またお説教だろうか。



それとも何か新しい命令だろうか。



どちらにしても気が重かった。



私は荷物を使用人へ預けると、そのまま重い足取りで書斎へ向かった。



本当なら優斗に「ただいま」と言いたかったし、自室で一息つきたかったし、温かい紅茶でも飲みながら道明寺家での十日間をゆっくり振り返りたかったのだけれど、どうやらそんな時間は与えてもらえないらしい。



書斎の前へ到着すると、私は制服のスカートの皺を軽く整えてから深呼吸を一つし、扉をノックした。



「入れ。」



低く威圧感のある声が返ってくる。



私はゆっくりと扉を開いた。



相変わらず広い書斎だった。



重厚な机。



壁一面の本棚。



窓の外に広がる庭園。



そして、その中央に座るお父様。



まるでこの屋敷そのものを支配している王様みたいだった。



私は机の前で立ち止まり、頭を下げる。



「ただいま戻りました。」



けれど、お父様は私の挨拶など気にも留めなかった。



開口一番。



「どうだ?」



それだけだった。



私は少しだけ戸惑いながら答える。



「はい、皆さんと仲良くなれたと思います。」



本当だった。



翼様とも。



蓮様とも。



碧様とも。



最初の頃とは比べ物にならないくらい打ち解けられたと思う。



だから少しだけ褒めてもらえるのではないかと期待した。



けれど。



お父様の次の言葉は予想の遥か斜め上だった。



「夜の営みは?」



私は一瞬、何を言われたのか理解できなかった。



思考が止まる。



顔が熱くなる。



耳まで熱くなる。



そして数秒後、ようやく意味を理解した私は慌てて首を振った。



「そ、それはまだです。」



声が裏返る。



恥ずかしかった。



というより。



なぜ父親とそんな話をしなければならないのだろう。



お父様は眉一つ動かさない。



まるで天気の話でもしているかのような顔だった。



「どうせ結婚するんだから早く済ませておきなさい。」



私は思わず俯く。



お父様の口調には一切の情がなかった。



そこにあるのは娘を心配する父親の言葉ではなく、商談を進める経営者の言葉だった。



「男側に責任感が生まれる。」



私は何も言えなかった。



反論しても意味がない。



今までの人生で嫌というほど学んできた。



お父様は自分の意見を変えない。



誰が相手でも。



たとえ娘でも。



だから私は黙って聞くしかない。



「とにかく、来春までには三人のうち誰かからプロポーズされるようにすること。」



まるで業務命令だった。



期限付きの。



私は唇を噛み締める。



道明寺家で過ごした十日間を思い出した。



翼様。



蓮様。



碧様。



三人とも優しかった。



楽しかった。



けれど。



私は彼らを恋愛対象として見ていただろうか。



分からない。



まだ分からない。



なのに。



もう結婚の話ばかりだ。



私自身の気持ちなんて誰も聞いてくれない。



それでも。



私は逆らえなかった。



「はい……」



小さな声で答える。



お父様は満足そうに頷いた。



そして興味を失ったように書類へ視線を戻す。



「話は以上だ。」



それだけだった。



十日ぶりに帰ってきた娘へ掛ける言葉が。



それだけだった。



私は胸の奥に重いものが沈んでいくのを感じながら、一礼する。



「失礼します。」



そして静かに書斎を後にした。



扉が閉まった瞬間。



私はようやく大きく息を吐いた。



なんだか急に疲れてしまった。



道明寺家にいた時には感じなかった息苦しさが、再び胸の中へ戻ってきたような気がして、私は誰もいない廊下をゆっくりと歩きながら、無意識のうちに「優斗に会いたいな」と考えていた。