【side 優斗】
夜の西園寺邸は静かだった。
広大な屋敷の廊下には人の気配がほとんどなく、聞こえてくるのは遠くで働く使用人たちの足音と、時計の針が刻む規則正しい音だけで、その静けさは普段なら優斗にとって心地良いものだった。
けれど。
今日だけは違う。
いや。
六花が道明寺家へ行ってからの三日間ずっと違った。
優斗は自室の机に向かっていた。
本来なら執事見習いとして勉強をしなければならない時間だ。
けれど開かれたままの資料はほとんど頭に入ってこない。
視線だけが文字の上を滑っていく。
そして気付けば。
また六花のことを考えている。
昔からそうだった。
気付いた時には好きだった。
いつからなのかなんて覚えていない。
ただ。
小学校へ上がる頃にはもう特別だった。
屋敷の庭で転んで泣いていた六花。
バイオリンの練習が嫌だと駄々をこねていた六花。
紫苑や玲央に振り回されて怒っていた六花。
そんな姿を見ているうちに。
いつの間にか目で追うようになっていた。
けれど。
優斗は最初から分かっていた。
六花は西園寺家の令嬢だ。
自分とは住む世界が違う。
将来はどこかの財閥。
あるいは名家。
そういった家の御曹司へ嫁ぐのだろう。
それは当たり前の未来だった。
だから。
想いを伝えようと思ったことは一度もない。
叶うはずがないと知っていたから。
ただ傍にいたかった。
幼馴染として。
執事として。
それだけで十分だと思うようにしていた。
社交パーティーでエスコートする時も。
旅行先で荷物を持つ時も。
送り迎えをする時も。
毎日顔を合わせる時も。
六花が笑っていてくれるなら、それだけで良かった。
本当に。
それだけで幸せだった。
だが。
今。
六花はいない。
屋敷のどこを探してもいない。
朝食の席にも。
図書室にも。
温室にも。
バイオリン室にも。
どこにもいない。
たった三日。
たった三日なのに。
屋敷全体から色が消えたような気さえする。
優斗は小さく息を吐いた。
そして机の引き出しを開ける。
中には一枚の写真が入っていた。
去年のクリスマス。
屋敷の庭で撮った写真だった。
中央で笑う六花。
その後ろで不機嫌そうな玲央。
六花を抱き締めている紫苑。
そして端の方に自分。
何度見たか分からない写真だ。
優斗は苦笑する。
我ながら重症だと思う。
しかし。
今の悩みはそれだけではなかった。
問題は道明寺家だ。
道明寺翼。
道明寺蓮。
道明寺碧。
三人とも財閥御曹司。
容姿端麗。
頭脳明晰。
将来有望。
まさしく政略結婚の相手として理想的な存在だ。
特に蓮。
女に人気だという話は優斗も聞いている。
雑誌にも載っていた。
SNSでも話題になっていた。
六花が見たらどう思うだろう。
優しい言葉を掛けられたら。
一緒に過ごす時間が増えたら。
もし。
本当に恋をしてしまったら。
優斗は目を閉じた。
胸の奥が痛む。
六花が誰かと結婚する未来は覚悟している。
それはずっと前から分かっていた。
けれど。
分かっていることと。
受け入れられることは別だ。
ましてや。
六花自身がその相手を好きになってしまったら。
きっと笑顔で祝福しなければならない。
執事として。
幼馴染として。
西園寺家に仕える人間として。
そうするべきなのだろう。
だが。
優斗は拳を握り締めた。
そんな未来を想像するだけで苦しかった。
窓の外を見る。
遠くに東京の夜景が広がっている。
そのどこかに道明寺家の屋敷がある。
そして。
六花もいる。
優斗は小さく呟いた。
「六花……」
返事はない。
当たり前だ。
それでも。
今だけは。
少しだけ。
六花が早く帰ってきてほしいと思わずにはいられなかった。
【side 優斗 fin 】
夜の西園寺邸は静かだった。
広大な屋敷の廊下には人の気配がほとんどなく、聞こえてくるのは遠くで働く使用人たちの足音と、時計の針が刻む規則正しい音だけで、その静けさは普段なら優斗にとって心地良いものだった。
けれど。
今日だけは違う。
いや。
六花が道明寺家へ行ってからの三日間ずっと違った。
優斗は自室の机に向かっていた。
本来なら執事見習いとして勉強をしなければならない時間だ。
けれど開かれたままの資料はほとんど頭に入ってこない。
視線だけが文字の上を滑っていく。
そして気付けば。
また六花のことを考えている。
昔からそうだった。
気付いた時には好きだった。
いつからなのかなんて覚えていない。
ただ。
小学校へ上がる頃にはもう特別だった。
屋敷の庭で転んで泣いていた六花。
バイオリンの練習が嫌だと駄々をこねていた六花。
紫苑や玲央に振り回されて怒っていた六花。
そんな姿を見ているうちに。
いつの間にか目で追うようになっていた。
けれど。
優斗は最初から分かっていた。
六花は西園寺家の令嬢だ。
自分とは住む世界が違う。
将来はどこかの財閥。
あるいは名家。
そういった家の御曹司へ嫁ぐのだろう。
それは当たり前の未来だった。
だから。
想いを伝えようと思ったことは一度もない。
叶うはずがないと知っていたから。
ただ傍にいたかった。
幼馴染として。
執事として。
それだけで十分だと思うようにしていた。
社交パーティーでエスコートする時も。
旅行先で荷物を持つ時も。
送り迎えをする時も。
毎日顔を合わせる時も。
六花が笑っていてくれるなら、それだけで良かった。
本当に。
それだけで幸せだった。
だが。
今。
六花はいない。
屋敷のどこを探してもいない。
朝食の席にも。
図書室にも。
温室にも。
バイオリン室にも。
どこにもいない。
たった三日。
たった三日なのに。
屋敷全体から色が消えたような気さえする。
優斗は小さく息を吐いた。
そして机の引き出しを開ける。
中には一枚の写真が入っていた。
去年のクリスマス。
屋敷の庭で撮った写真だった。
中央で笑う六花。
その後ろで不機嫌そうな玲央。
六花を抱き締めている紫苑。
そして端の方に自分。
何度見たか分からない写真だ。
優斗は苦笑する。
我ながら重症だと思う。
しかし。
今の悩みはそれだけではなかった。
問題は道明寺家だ。
道明寺翼。
道明寺蓮。
道明寺碧。
三人とも財閥御曹司。
容姿端麗。
頭脳明晰。
将来有望。
まさしく政略結婚の相手として理想的な存在だ。
特に蓮。
女に人気だという話は優斗も聞いている。
雑誌にも載っていた。
SNSでも話題になっていた。
六花が見たらどう思うだろう。
優しい言葉を掛けられたら。
一緒に過ごす時間が増えたら。
もし。
本当に恋をしてしまったら。
優斗は目を閉じた。
胸の奥が痛む。
六花が誰かと結婚する未来は覚悟している。
それはずっと前から分かっていた。
けれど。
分かっていることと。
受け入れられることは別だ。
ましてや。
六花自身がその相手を好きになってしまったら。
きっと笑顔で祝福しなければならない。
執事として。
幼馴染として。
西園寺家に仕える人間として。
そうするべきなのだろう。
だが。
優斗は拳を握り締めた。
そんな未来を想像するだけで苦しかった。
窓の外を見る。
遠くに東京の夜景が広がっている。
そのどこかに道明寺家の屋敷がある。
そして。
六花もいる。
優斗は小さく呟いた。
「六花……」
返事はない。
当たり前だ。
それでも。
今だけは。
少しだけ。
六花が早く帰ってきてほしいと思わずにはいられなかった。
【side 優斗 fin 】
