「もしもし」
相手を確認した瞬間、少しだけ肩の力が抜けた。
「どうされたのですか? 紫苑兄様」
電話の向こうから聞こえてきたのは、聞き慣れた兄の声だった。
『いや、六花の声が聞きたくなった』
私は思わず額へ手を当てる。
嫌な予感しかしない。
『三日も六花不足だと、流石に俺の命が持たない』
「ご冗談はよしてください」
本当に何を言っているのだろうこの人は。
私は小さくため息を吐きながら続ける。
「今、道明寺様たちとフードコートでランチをするところなんです」
『何?』
紫苑兄様の声が止まる。
嫌な予感がさらに強くなる。
「ですから、そろそろ切りますね」
『いや待ってくれ!!』
思わず携帯を耳から少し離した。
大きい。
声が大きい。
『フードコートだと!?』
周囲の視線が集まり始める。
やめてほしい。
本当にやめてほしい。
『六花、フードコートにいるのか!?』
「そうですけど……」
数秒の沈黙。
そして。
『すぐに西園寺へ帰って来い!!』
私は目を閉じた。
やっぱり。
『そんな平民まみれの空気が澱んでいる空間に六花がいるなんて……!』
私は頭が痛くなった。
『六花は綺麗な空気だけ吸って生きていれば良いものを!!』
何を言っているのだろう。
本当に何を言っているのだろう。
私は思わず少しだけ語気を強めた。
「何をおっしゃっているんですか?」
紫苑兄様が黙る。
「また平民平民って」
私自身も驚くほど自然に言葉が出ていた。
「そんなこと言ったら、西園寺グループの子会社は平民まみれじゃありませんか」
一瞬。
電話の向こうが静かになる。
そして。
『そうだ』
肯定した。
私は思わず頭を抱えそうになった。
『だが六花が子会社などと触れ合う機会はないから安心しなさい』
全然安心できない。
私は小さく息を吸った。
そして静かに言う。
「でも」
周囲の喧騒の中で。
私は自分でも不思議なくらい落ち着いていた。
「私たちの生活は社員さんたちのお陰で成り立っているんですよ」
電話の向こうが静かになる。
「それを忘れないでください」
言い終えた瞬間。
私自身も少し驚いていた。
こんな風に兄へ反論したのは初めてかもしれない。
けれど。
それは本心だった。
西園寺家が豊かなのは社員の方々のお陰だ。
工場で働く人。
店舗で働く人。
運送をする人。
営業をする人。
事務をする人。
その人たちがいるからこそ、西園寺家は成り立っている。
だから。
平民だからと見下すのは違うと思った。
その言葉を聞いて。
向かいに座る三人の様子が少し変わったことには気付かなかった。
翼様は黙ったまま私を見ている。
蓮様も驚いた顔をしている。
碧様も珍しく視線を向けていた。
三人とも。
どうやら私が思っていた以上に、この会話を聞いていたらしい。
その頃。
電話の向こうでは紫苑兄様が慌て始めていた。
『ちょ、ちょっと六花怒らないで!!』
怒ってはいない。
少し呆れているだけだ。
『とにかくすぐに佐々木を迎えに行かせるから、そのまま本社においで!!』
「行きません」
『会いたくて仕方がないんだよ!!』
「迎えなんてやめてください」
『六花ぁ……』
「GWが終わるまでは西園寺には戻りません
私はきっぱりと言った。
『六花……』
なんだか捨てられた犬みたいな声だった。
少しだけ罪悪感が湧く。
でも帰らない。
絶対に帰らない。
「とにかく、それ以上要件がないなら切ります」
『待っ――』
私は通話終了ボタンを押した。
プツッ。
電話が切れる。
静かになる。
そして。
私はようやく顔を上げた。
すると。
目の前の三人が、なぜかさっきまでとは違う表情で私を見ていた。
