財閥令嬢の私が、三つ子の不良御曹司に世界を教えられるなんて

翌日から始まった花嫁修行は、六花が想像していたものとはまるで違っていた。

もっと厳しい礼儀作法の講義があり。

花嫁としての教育があり。

道明寺家の人々から細かく評価されるのだと思っていた。

ところが実際には、

「好きに過ごしていいよ」

と雅臣に言われて終わりだった。

最初は意味が分からなかった。

しかし後になって理解する。

道明寺家が見たいのは作られた令嬢ではない。

素の人間性なのだ。

だから誰も六花に課題を与えない。

誰も指示を出さない。

自由に過ごしなさい。

ただそれだけだった。


けれど六花には自由を楽しむ余裕などなかった。

父の言葉が何度も頭をよぎる。

『三人のうち誰かを射止めてこい』

『結婚相手の選択肢を三つやる』

『西園寺の後ろ盾があれば後継者になれる』

あの冷たい声。

感情のない目。

六花には分かっていた。

もし失敗したら。

父は絶対に不機嫌になる。

そしてその不機嫌を向けられるのは自分か玲央お兄様だ。玲央兄様はお父様の反対を押し切ってアイドルになったから、今でも度々衝突している。

自分のせいで玲央兄様にとばっちりをくわせるわけにはいかない。

だから六花は頑張った。

朝食の席では自分から話しかけた。

庭園を散歩している翼にも声をかけた。

書斎で本を読んでいる碧にも話しかけた。

ゲームをしている蓮にも話しかけた。

とにかく何か接点を作ろうとした。

しかし結果は散々だった。

蓮は返事こそするものの、

「へぇ」

「そうなんだ」

「ふーん」

で終わる。

碧に至っては、

「そう」

で終わる。

そして翼。

翼が一番酷かった。

庭園で話しかけた時も。

昼食で隣になった時も。

どこか冷たい。

ある日。

六花が勇気を出して話しかけた。

「翼様は普段どのようなご趣味をお持ちなのですか?」

すると翼は本から目を上げる。

そして。

ふっと鼻で笑った。

「どうせ裕作さんの命令でここに来たんだろ?」

六花の表情が固まる。

「かわいそーに」

その声には同情が混じっていた。

だがそれ以上に。

蔑みがあった。

まるで。

自分の意思を持たない人形を見るような目だった。

六花は何も言い返せなかった。

事実だったからだ。

父の命令で来た。

結婚相手を探しに来た。

否定できない。

翼は再び本へ視線を戻す。

「俺ならそんな人生ごめんだけどな」

その言葉が妙に胸へ刺さった。

六花はその場を離れた。


腹が立った。

悲しかった。

悔しかった。


でも。

一番苦しかったのは。

翼の言葉が正しいと思ってしまったことだった。

その日の午後。

六花は一人で庭園を歩いていた。

すると使用人たちの声が聞こえてくる。

道明寺家で働く若いメイドたちだった。


本来なら立ち去るべきだった。

しかし。

偶然聞こえてしまった。

「いいなぁ六花様」

六花は足を止める。

「西園寺家に生まれたってだけで、何の努力もしないで翼様たちの誰かと結婚できるなんて」

クスクスと笑い声が上がる。

「ほんとよね」

別のメイドが続けた。

「性格まで猫かぶっちゃって」

「どうせ普段は使用人を奴隷みたいに使ってるんでしょう?」

「そうそう」

「西園寺家では一般庶民のことを『下賤な平民』って呼ぶらしいわよ」

笑い声。

六花は立ち尽くした。

否定したかった。

私はそんなこと思っていない。

使用人を見下したことなんてない。

奴隷だと思ったこともない。

でも。

否定できない部分もあった。

佐々木は確かに言っていた。

下賤な平民。

玲央も言っていた。

平民。

紫苑も似たようなことを言っていた。

六花自身は思っていなくても。

西園寺家がそう見られているのは事実だった。

メイドたちは六花が近くにいることに気づいていない。

だから本音だった。


六花は静かにその場を離れた。

胸が苦しい。

道明寺家へ来てからずっとそうだった。

翼には馬鹿にされる。

蓮には興味を持たれない。

碧は何を考えているか分からない。

使用人たちには嫌われている。

私は何をしているのだろう。

父の命令で。

結婚相手を探して。

好かれようとして。

嫌われて。

笑われて。

気付けば目の奥が熱くなっていた。

けれど泣いてはいけない。

泣いたところで誰も助けてくれない。

そう思いながら歩く六花の姿を、

少し離れた廊下の陰から、

たまたま蓮が見ていたことには、気づかなかった。