婚約者に捨てられた魔女です。このたびおじさま、拾いました。

 ヴィルはとても働き者だ。

 毎朝の店外掃除はいつも完璧にこなしてくれるし、客に対する愛想もいい。いつも細々とした気配りを忘れず、常連客が好む席やメニューまで自然と覚えてしまう。
 包丁の扱いが非常に上手く、今や接客だけでなく、調理の一端を伯母から任されるほどだ。

 その上、身体能力も極めて高い。

 以前、店のすぐ側で小さな男の子が木の上から降りられなくなった際など、はしごも使わず軽々と枝に飛び移り、怯える男の子を片腕で抱えて降りてきた。
 しかも、着地の音は驚くほど軽やかだった。
 
 また、店へ納品に来た馬車が荷崩れを起こした際、落ちてきた酒樽を咄嗟に受け止め、通行人への被害を防いだこともある。
 どう考えても、人ひとりで支えられる重さではなかったはずだ。

 店内で酔った男性客同士が喧嘩を始めた際には、乱闘に発展する前にふたりの首根っこを掴み、冷静に店の外へ追い出していた。
 ガラの悪い客がいなくなった店内は、拍手喝采であった。

 気づけば彼が店に立つようになってから、客足は以前よりも少しずつ増えていた。
 伯母こだわりの珈琲や、料理の評判ももちろんあるだろう。しかし、女性客たちの目当てはどう考えてもヴィルだ。

 今日もまた、店内は大勢の女性客で賑わっていた。

「お待たせいたしました。琥珀亭特製、季節野菜のキッシュとじっくり煮込んだスパイスカレーです」
「わぁ! 美味しそう。ありがとうございます!」

 店に立つ時、ヴィルは髪が邪魔にならないよう整髪料で丁寧に撫でつけている。
 そのせいで整った額や高い鼻筋がより際立ち、ただでさえ目を引く容姿が一層人目を惹くようだ。

「こちらこそ、再度のご来店ありがとうございます」

 魅惑の微笑みに、若い女性客ふたりが「わぁ!」と黄色い歓声を上げる。

「前回来た時、すごく忙しそうだったのに。覚えててくださったんですか?」
「お客様のお顔は一度見たら決して忘れません」
「すごーい! 嬉しいっ」

 顔を見合わせしばしきゃっきゃと喜びあった女性たちが「どうする? 聞いてみる?」というように目配せし合う。
 やがてひとりが、意を決したようにヴィルに問いかけた。

「あのぉ、ヴィルさんっておいくつなんですか? ご結婚はされてますか?」
「ふふ……内緒です。それでは、お飲み物を用意して参りますので、ごゆっくりお召し上がりください」

 嫌みなく会話を自然に打ち切ったヴィルは、空いた食器を手際よく回収しながら、何事もなかったかのようにカウンターの内側へ戻ってきた。
 その背中を、女性客たちが名残惜しそうに見送っている。

「はぁぁ……。今日もすごい人気ですね……」
「銀髪の男が物珍しいのでしょう。お医者様も、私はこの辺ではなく北部出身ではないかと仰っていました」

 絶対そういうことではないと思う。
 しかし、どうもヴィルは自分に向けられている好意に対して鈍感のようだ。
『若い女性がおじさんをからかっているだけですよ』と、いつも軽くあしらっている。

(ヴィルさんさえその気になれば、よりどりみどりだと思うけどなぁ……)

 カウンターの空いた席を台拭きで綺麗に拭いながら、ちらりと横目でヴィルの様子を伺う。
 端正な顔立ちはもちろんのこと。毎朝、早起きしては川沿いをランニングし、腹筋や背筋などの運動も欠かさない彼は、相変わらずの肉体美を誇っている。

 王都にいた時ですら、ネアはこれほど美しい男性を見たことはない。

「――アちゃん。ネーアーちゃん」
「うあぁぁぁあ、は、はいっ!」

 ぼーっとヴィルに見とれていたせいで、厨房のほうから聞こえてくる伯母の声に気づくのが遅れ、妙な返事をしてしまった。
 見ればカウンターの上に、ミルクティーの入ったカップがふたつ、湯気を立てている。

「ヴィルさんに見とれるのはほどほどにして、これ、三番テーブルのお客様に持っていってちょうだいね」
「み、見とれてなんかいません! 行ってきます!」

 どうかヴィルに、伯母の軽口が聞こえていませんように――と祈りながら、ネアはトレイの上にソーサーとカップを載せる。
 幸いにしてヴィルは、ちょうど来店した客の案内に行っており、こちらの会話が届かない場所にいた。

(三番テーブルは……と。うわ……っ)

 指定されたテーブルを確認するなり、思わず表情が引きつった。
 そこに腰掛けていたのは、癖のある赤毛にそばかすが特徴的な、若い男女。

(セルジュ様と、エレノール様……)

 最近よく琥珀亭に通うようになった、この辺り一帯を治める領主、ランベル子爵家の双子の兄妹である。

「お待たせいたしました。ご注文のミルクティーでございます」
「やあ。今日も俺のネアは可愛いな。その艶やかな黒い髪……まるで黒真珠のようだ」
「セルジュったら、ほーんと趣味が悪いのね。こんなちんちくりんのどこが可愛いって言うの?」

 なぜか初対面からやたらとネアを気に入り、顔を合わせるたびに口説いてくるセルジュと、毎回嫌みを言ってくるエレノール。
 瓜二つの顔からそれぞれ放たれる台詞の温度差に、風邪を引いてしまいそうだ。

「エレノール様の仰るとおり、一店員にもったいないお言葉でございます。それでは、ごゆっくりお召し上がりくださいませ。失礼いたします」

 面倒なことになる前にさっさとその場を立ち去ろうとしたが、セルジュはそれを許さなかった。

「ちょ、待てよ」

 強引に腕を引っ張られ、ネアは背後によろめいてしまう。
 なんとか転ぶことは免れたが、急にバランスを崩したせいでトレイを床に落としてしまった。

 ――ガシャーン!

 大きな音に、店内中の客がネアたちへ注目を浴びせる。

「大変失礼いたしました!」

 周囲に頭を下げながら急いでトレイを拾い上げると、悪びれもしない様子でセルジュが話しかけてくる。

「なあ、今日ここの仕事が終わったら一緒に飲みに行かないか? おすすめの店があるんだ」
「申し訳ございません、明日の準備などもしなければいけませんので……」
「そんなもの、あの下男に任せときゃいいだろ」

 くいっとセルジュが顎で尊大に指し示した先には、注文を取るヴィルの姿があった。

「ちょっとセルジュ! わたしの麗しのヴィル様を下男なんて言わないでちょうだい!」

 この時ほど、エレノールの発言を全面的に支持したいと思ったことはない。

『明日の準備』というのはセルジュの誘いを断るための方便であったが、たとえそうであったとしても『そんなもの』だの『あの下男』だのと言われては堪ったものではない。

「ヴィルさんは琥珀亭の大切な従業員で、わたしの同僚です! それに以前から申し上げていますが、琥珀亭はそういったお店(、、、、、、、)ではありませんので、お客様との個人的な交流はいたしかねます!」

 何を期待しているのか知らないが、店員と親密な交流がしたいのなら、繁華街のほうにそういった店だってある。
 きっぱりと断ったつもりだったが、セルジュは一瞬ぽかんとした後、なぜか嬉しそうに笑った。

「あーそっか、分かった。照れてるんだな? それとも、遠慮しているのか?」
「……はい?」
「確かに僕はランベル子爵家の跡取りで、平民である君とは天と地ほどの身分差がある! だけど心配することはない。これは遊びじゃなくて本気だ。ちゃんと愛人として、一生面倒を見てやろう!」

 本気の割に、妻ではなく愛人にするつもりしかないあたり、すがすがしいほどのクズ仕草である。
 呆れるあまり、言葉が出ない。そんなネアを見て、何を勘違いしたのか。

「感激のあまり声が出ないんだろ? わかるぜ、その気持ち。まったく、僕って罪な男だな」

 ふぁっさ……とセルジュが自身の前髪をかき上げる。
 人目がなかったら、そして法というものがなければ、その前髪を魔法で燃やしてやりたいくらいだった。

「ほら、もっとこっち来いよ。俺の隣に座って、一緒にふたりの未来でも語らおうぜ」
「ぎゃっ……」

 セルジュが腕を腰に回してくる。その感触に、ぞわりと全身が粟立つ。
 こんな目に遭うくらいなら、ガマガエルとキスしたほうが幾分かマシだと思える。

「あーあ、付き合ってらんない。私は別の席に行くわよ、セルジュ」

 エレノールがうんざりとしながら席を移動しようとするが、待ってほしい。兄の暴走を止めてからにしてくれないだろうか。

 周囲を見回すも、客達はやっかいごとに関わりたくないとばかりに視線を逸らす。領主の息子の不興を買えば、何をされるかわからない――とでも思っているのだろう。

 頼みの綱のルヴェナも、厨房のほうで作業をしているのか姿が見えない。
 半泣きになりながら、どうやってこの腕から抜け出そうか必死で考えていた、その時だった。

「――お客様、店員への過度な接触はお控えください」

 ネアの背後から伸びてきた大きな手が、セルジュの腕を容赦なく掴み上げる。
 驚いて背後を振り仰ぐと、そこにはヴィルが佇んでいた。
 客相手に微笑んではいるものの、その表情は常より冷ややかに見える。

 だが、その冷酷な表情が今のネアにとっては、何より頼もしかった。

「きゃっ、ヴィル様!」

 席を離れようとしていたエレノールが、目を輝かせながら慌てて椅子に腰掛け直した。
 セルジュは眉間に皺を寄せながら、不愉快さを隠そうともせずヴィルを睨みつける。

「あ? なんだお前、僕は今ネアと話してるんだ、邪魔を――ッいででででで!」
「そのネアさんが大変困っておいでです。紳士として、女性を困らせるような行為はいかがなものかと」
 
 ギリギリ、とヴィルがセルジュの腕を捻り上げる。

「いだいっ! いだいっ! 離せこの下男! 僕を誰だと思ってるんだっ!!」
「ランベル子爵令息セルジュ様とお見受けいたしますが、違いましたでしょうか?」

 苦悶の表情を浮かべ悪態をつくセルジュに、ヴィルはどこまでも冷静だった。

「ランベル子爵は我が琥珀亭の店長とは、昔馴染みだと伺っております。よき友人であり、商売相手だとも……。あなた様のここでの行いを、ランベル子爵は承知の上なのでしょうか」
「ッ! わかった! もう帰る! 帰ればいいんだろ!!」

 その言葉に、ヴィルがようやく拘束を緩めたらしい。セルジュはヴィルの腕を振り払い、真っ赤な顔をしながら大股で店を出て行った。
 乱暴に閉められたドアの上で、ベルがチリンチリンと大きな音を立てる。

「ちょっと待ってよセルジュ! ――お騒がせしてごめんなさい、ヴィル様。これ、おつりは要りませんので」

 テーブルの上に数枚の紙幣を置き、ぺこりと頭を下げたエレノールが慌てて兄を追いかけていく。
 張り詰めていた空気がようやく緩み、店内には再び穏やかなざわめきが戻ってきた。