花は散れども

志乃達が気が付いた時には、船を一目見にやって来た野次馬で辺り一帯埋め尽くされていた。こうなっては志乃は弱い。毛利家の姫が、護衛も付けず出歩いているのが明らかになれば、かなりまずいことになる。

「皆、帰るぞ」

未だ小さくなっていく船を見つめる四人が、志乃の様子に気が付いて我を取り戻した。前に清五郎、左右に栄太郎と晋作。後ろに秀三郎と、志乃を囲うようにして四人は帰路に着いた。

「毎度すまぬ事だ」

志乃が珍しく弱々しくなって呟くと、四方を固めた四人は吹き出すように笑った。

「明日は槍が降るな」
「間違いない」

口々にそう呟くものだから、志乃は赤くなって俯いた。

「お、お前ら来ちょったか!」

群衆の中から聞き慣れた声がした。栄太郎の影に隠れて分からないが、この声はきっと俊輔だ。

伊藤俊輔。同い年の彼も松下村塾の塾生の一人である。根っから明るい人間で、人の懐に入り込むのが何より得意。同い年ながら誠に天晴れな男だ。

「お、志乃もおるのか!」
「馬鹿、声が大きいわ!」

秀三郎がゴツンと拳骨を落とすと、俊輔は痛がりながらもニコニコと笑うのを止めなかった。

「お前らも船を見に来たんじゃろ?」
「もちろん」

俊輔は自然と志乃を隠す輪に加わり、頭をかいた。起きてすぐ来たのだろう。所々から寝癖が飛び出ている。

「どう思った」

栄太郎が聞いた。

「正直、怖い!それに…あれに勝たんといけんと思うと、気が遠くなる」

誰もが自然と口に出さなかった弱音を、俊輔は平然と口にした。志乃自身も、船が雄叫びをあげる姿が、今も瞼の裏に焼き付いている。

「先生も、あれを見たんじゃろうか」

晋作が口を開いた。前述の通り、吉田松陰は船を見るだけに飽き足らず、そこに盗み入り、交渉までやってのけている。

六人は顔を見合わせた。

少なくとも今の彼らに、あの船へ乗り込む勇気は無かった。

「俊輔、わしらに着いてきてええんか」
「ええ、ええ。元々ひとりで来たけえ、一緒に先生のとこ行かせてくれ」

それから、六人は静かに帰路を辿った。

何を話していいやら、分からなかった。夷国の存在が余りにも大きく感じ、圧倒されきっていたのだ。

松下村塾に帰って来ると、すぐに先生が迎えてくれた。志乃達が意気消沈して帰ってくるのを見越していたのだろう。昼飯には豪勢な肉鍋が用意されていた。

飯をたらふく食べると、頭の中も落ち着いてくる。

ようやく夷国船をこの目で見た興奮が湧いてきて、六人は先生を囲むように座り、思い思いに喋り始めた。

「先生は、幕府が夷国に勝てると思いますか」

秀三郎の言葉に、皆が先生を見た。

「今のままでは勝てない」

志乃は思わず項垂れた。

「が、勝つ方法はある」

先生は答えた。その言葉に皆が興奮した。

先生は続ける。

「覚えているかい。鉄砲もまた異国から伝わったものだ。それでも日本人はあっという間に使いこなし、自ら作るようになった」

「夷国に勝つためには、まず夷国を知らねばならん。知らぬ相手には勝てんからね」

なるほど、と志乃は思った。先生はいつだって冷静に物事を考えていらっしゃる。志乃達がただ圧倒されるばかりだった夷国船を、先生は学ぶべき相手として見ている。

志乃の中で、また松陰への尊敬の念が深まった。

先生のようになりたい、心からそう思った。