吉田松陰は、弟子達に劣らず才木溢れる若者である。ペリーの黒船来航を聞き付けては、その船に乗り込み、自分を夷国に連れていけと、堂々吠えてみせたこともある。そのおかげで、幕府から敵とみなされ今は蟄居の身である。無断で家から出ることは許されていない。
「私が共に行ってあげられたなら……」
生徒四人が寝静まった後、誰にも届かぬ声で松陰は呟いた。
明日、この子達は英国船を見て何を思うのだろう。
英国に恐れをなすのか。
あの国のようになりたいと目指すのか。
傍観するだけで何も思わない子もいるかもしれない。
それで構わない。
この子達が自らの目で見、自らの頭で考える事こそ重要なのだ。
眠りこける四人の顔を見る。
どの子も、類い稀なる気質を持ち、この国を憂う心を持っている。この子達ならば、欧米諸国に引けを取らない<日本>という国を作っていけるだろう。自分が導いてあげられれば嬉しいが、咎人の立場でそれが出来るだろうか。
答えはまだ出なかった。
さて、松陰のそんな心はつゆ知らず、志乃達五人は早朝、松下村塾を出て萩沖の方へ向かった。段々と空はしらみ始め、夜露に濡れた草が足元を濡らした。まだ静かな松本村の細道を、五人は昂る思いで歩いた。
「志乃、そねえ急がんでも船は逃げん」
小石を蹴りながら早く早くと進む志乃を、秀三郎が咎めた。
「桂さんの話では明六つ頃じゃ!ぐずぐずしちょったら見逃す!」
「そうお前が騒ぐから、予定より早う出たじゃろうが!そねえ先行きたいんやったら、一人で行っちまえ!」
秀三郎の言葉に、今まで静かにしていた二人が口を開いた。残りのひとり、晋作は素知らぬ顔である。
「まあまあ、そねえ言うちゃいけん」
「若の身に何かあれば、わしらはただじゃ済まん」
秀三郎は怒ると言葉が荒くなるフシがある。それを治めるのはいつも清五郎と栄太郎の役目であった。当の本人はというと然程気にせず、咎められた秀三郎を見て勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
まるで自分が勝ったとでも言いたげな顔である。
「若、火に油を注ぐな」
栄太郎は志乃の顔を見て苦笑いした。
「よし、走るぞ!」
志乃は今日一番の声を上げて、走った。すぐに晋作が追い付いた。その次は栄太郎、清五郎と続く。
「あ、お前ら!わしはお前らの為に…て、おい!人の話を聞け!!」
萩沖は未だ夷国の侵入を待ち、穏やかな波が登り始めた陽光に照らされてキラキラと輝いていた。
「栄太郎、これはもう行ってしまったという事か?」
「いや、わしらが早すぎただけのような…」
手頃な岩を見つけた四人は先にそこで腰を下ろした。少し遅れて秀三郎が追い付いた。秀三郎は基本的に万能な男だが、足だけは速くなかった。だがしかし、この五人の間だけでの話であるが。
「お前ら……わしを置き去りにしよって…」
「何を言うちょる。お前が勝手に置き去りになっただけじゃろうが」
晋作は快活に笑いながら秀三郎の背をばしばし叩いた。秀三郎は悔しそうに石ころを蹴飛ばし、空を仰いだ。その表情がふいに強ばる。
しばらくそのやり取りを面白おかしく見守っていた志乃達だが、明らかに表情の固まった秀三郎を見て、すぐに海に目を向けた。
ブオオオン
龍が叫ぶような音が、海の向こうから轟いた。五人の視線はもう海に釘付けだ。
遥か沖合。朝霧の向こうに、黒い粒が三つ浮かんでいる。粒は次第に大きくなって、今や握りこぶしぐらいの大きさになった。
風の流れが不自然に揺らめき、髪が荒く靡いた。
「あれが……夷国船…」
その呟きが自分から出たのか、はたまた他の誰かから出たのか分からなかった。
志乃達が知る船は木で出来ていて、櫂を手で漕いで進むものだ。それなのにあの船は何だ。まるで船が意志を持ち、自分から動いているようでは無いか。
ブオオオン
再び異様な音が辺り一帯にこだました。
まるで龍が海底から吼えているようだ。いや、龍などではない。あの黒い船が鳴いているのだ。
「勝てるんか……こんなもんに…」
その呟きが、やけに脳にこびり付いた。
「私が共に行ってあげられたなら……」
生徒四人が寝静まった後、誰にも届かぬ声で松陰は呟いた。
明日、この子達は英国船を見て何を思うのだろう。
英国に恐れをなすのか。
あの国のようになりたいと目指すのか。
傍観するだけで何も思わない子もいるかもしれない。
それで構わない。
この子達が自らの目で見、自らの頭で考える事こそ重要なのだ。
眠りこける四人の顔を見る。
どの子も、類い稀なる気質を持ち、この国を憂う心を持っている。この子達ならば、欧米諸国に引けを取らない<日本>という国を作っていけるだろう。自分が導いてあげられれば嬉しいが、咎人の立場でそれが出来るだろうか。
答えはまだ出なかった。
さて、松陰のそんな心はつゆ知らず、志乃達五人は早朝、松下村塾を出て萩沖の方へ向かった。段々と空はしらみ始め、夜露に濡れた草が足元を濡らした。まだ静かな松本村の細道を、五人は昂る思いで歩いた。
「志乃、そねえ急がんでも船は逃げん」
小石を蹴りながら早く早くと進む志乃を、秀三郎が咎めた。
「桂さんの話では明六つ頃じゃ!ぐずぐずしちょったら見逃す!」
「そうお前が騒ぐから、予定より早う出たじゃろうが!そねえ先行きたいんやったら、一人で行っちまえ!」
秀三郎の言葉に、今まで静かにしていた二人が口を開いた。残りのひとり、晋作は素知らぬ顔である。
「まあまあ、そねえ言うちゃいけん」
「若の身に何かあれば、わしらはただじゃ済まん」
秀三郎は怒ると言葉が荒くなるフシがある。それを治めるのはいつも清五郎と栄太郎の役目であった。当の本人はというと然程気にせず、咎められた秀三郎を見て勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
まるで自分が勝ったとでも言いたげな顔である。
「若、火に油を注ぐな」
栄太郎は志乃の顔を見て苦笑いした。
「よし、走るぞ!」
志乃は今日一番の声を上げて、走った。すぐに晋作が追い付いた。その次は栄太郎、清五郎と続く。
「あ、お前ら!わしはお前らの為に…て、おい!人の話を聞け!!」
萩沖は未だ夷国の侵入を待ち、穏やかな波が登り始めた陽光に照らされてキラキラと輝いていた。
「栄太郎、これはもう行ってしまったという事か?」
「いや、わしらが早すぎただけのような…」
手頃な岩を見つけた四人は先にそこで腰を下ろした。少し遅れて秀三郎が追い付いた。秀三郎は基本的に万能な男だが、足だけは速くなかった。だがしかし、この五人の間だけでの話であるが。
「お前ら……わしを置き去りにしよって…」
「何を言うちょる。お前が勝手に置き去りになっただけじゃろうが」
晋作は快活に笑いながら秀三郎の背をばしばし叩いた。秀三郎は悔しそうに石ころを蹴飛ばし、空を仰いだ。その表情がふいに強ばる。
しばらくそのやり取りを面白おかしく見守っていた志乃達だが、明らかに表情の固まった秀三郎を見て、すぐに海に目を向けた。
ブオオオン
龍が叫ぶような音が、海の向こうから轟いた。五人の視線はもう海に釘付けだ。
遥か沖合。朝霧の向こうに、黒い粒が三つ浮かんでいる。粒は次第に大きくなって、今や握りこぶしぐらいの大きさになった。
風の流れが不自然に揺らめき、髪が荒く靡いた。
「あれが……夷国船…」
その呟きが自分から出たのか、はたまた他の誰かから出たのか分からなかった。
志乃達が知る船は木で出来ていて、櫂を手で漕いで進むものだ。それなのにあの船は何だ。まるで船が意志を持ち、自分から動いているようでは無いか。
ブオオオン
再び異様な音が辺り一帯にこだました。
まるで龍が海底から吼えているようだ。いや、龍などではない。あの黒い船が鳴いているのだ。
「勝てるんか……こんなもんに…」
その呟きが、やけに脳にこびり付いた。
