「琴葉様、奥様がお呼びです」
ライブから数日後。
事務所へ顔を出した私に、秘書の女性がそう告げた。
「分かりました」
短く返事をして、私は専用フロアの最上階へ向かう。
磨き上げられた床に、自分の姿が映り込む。
相変わらず嫌な場所だ。
静かで、綺麗で、息が詰まりそうなくらい完璧で。
どこにも傷なんてなくて、逃げ場なんてない。
まるで私みたいだと思った。
綺麗に飾り立てられているだけの、中身のない人形。
そんなことを考えながら、一番奥の部屋の前で足を止める。
コンコンコン。
三度ノックをしてから重い扉に手をかけた。
「失礼します」
「あぁ琴葉、来たのね」
母は机の向こう側で書類を眺めていた。
縁の細いメガネに、綺麗に結ばれた長い髪。
隙のない化粧。相変わらず完璧だ。
完璧すぎて、見ているだけで息が苦しくなる。
部屋には数人のマネージャーが、母の顔色をうかがいながら立っていた。
誰も逆らわないし、意見も言わない。
まるでこの部屋だけ別世界みたいだった。
「さぁ、座りなさい」
私は母の指示通り、向かい側のソファへ腰を下ろした。
母は書類から顔を上げ、そして私を見て満足そうに微笑んだ。
「この前のライブ、とても良かったわ」
「ありがとうございます」
反射的に言葉が出る。
褒められたから喜び、笑い、感謝する。
もう体に染みついてしまった反応だ。
そこに感情はない。
あったとしても、そんな物はさっさと消さないとやっていけない。
「やっぱり琴葉は私の期待を裏切らないわね」
母はそう言った。
だけど、その言葉はどこか遠かった。
私を見ているようで、見ていない。
昔から、母は私を見ているけど私自身を見ているわけじゃない。
その視線はいつも私を通り越して、別の誰かへ向けられている。
だから、どれだけ褒められても嬉しくない。
認められても、満たされない。
だって母が見ているのは、私じゃないから。
「それで、本題だけど」
母が一冊の台本を机の上へ置く。
私は視線だけ向けた。
興味なんてない。どうせまた仕事の話だ。
どうせまた断れない。
私の知らないところで全て決まっているのだから。
