Please let me hear your voice-君の声を聴かせてー

歩と友香が並んで歩くようになったのは、あの日の雨から少し経った頃だった。

友香はよく笑うようになった。
歩の前だと、自然と表情が柔らかくなる。
ピアノを弾いてる時と表情が違う。
明るく楽しそうな顔だった。
歩も、友香の前だと少しだけ饒舌になる。

ふたりの距離は、
傘の下で縮まったまま、ゆっくりと、でも確かに近づいていった。

「歩くん、今日も一緒に帰ろ?」

友香がそう言うと、
歩は照れたように頷いた。

「……うん。いいよ」

その声は、
雨の日より少しだけ明るかった。

大学は違うけれど近かったため、ふたりは連絡先を交換して、
会う機会がゆっくり増えていった。

歩は奥手で、
自分から誰かを誘うことはほとんどない。
でも、友香が隣にいると、
その奥手さが少しずつほどけていく。


ふたりは大学の門を出て、
並んで歩き始めた。

夕方の風が、
友香の髪を揺らす。

歩はその横顔を見て、
少しだけ胸が熱くなった。

「歩くん、今日の授業どうだった?」

「……うん。まあ、普通かな」

歩は笑った。
その笑顔は、
友香に向けられるときだけ少し柔らかくなる。

友香も笑った。
ふたりの笑顔は、夕方の光の中で静かに重なった。

――その光景を、
麻衣は少し離れた場所から見ていた。

偶然ではなかった。
最近、ふたりが一緒に帰ることが増えているのを、
麻衣は知っていた。

友香は麻衣の友達で、
歩は、麻衣が小さい頃から大切に思っている人だった。

だから、
ふたりが並んで歩く姿を見ると、
胸の奥がほんの少しだけ揺れた。

いつの間にか二人は付き合い始め、身も心も一つになった。
ふたりにとっては幸せの絶頂だった。
でも、そんな時、
歩の歩き方が、
ほんの少しだけ重たくなっていることも。

気づいたのは麻衣だけだった。
歩がいつもと違うことに……。

歩は時々、
立ち止まるように呼吸を整えていた。

ほんの一瞬。
友香には気づかれないほどの短い影。

麻衣はその影を見て、胸の奥が静かに痛んだ。

「……歩くん、無理してないよね」

誰にも届かない声で、
誰にも聞かれない場所で。

ふたりの恋は、
優しく始まっていた。

でもその優しさの中に、歩の体調の“微かな影”が
静かに差し込んでいた。

麻衣は気づいていた。
けれど、誰にも言わなかった。

その影が、どれほど深いものなのかを、まだ誰も知らなかった。