咲良がなりふり構わず道を走っていくと、わずか数十メートル先に、探していた後ろ姿を見つけた。
踏切の向こう側に、夕陽に照らされながら、ゆっくりと歩みを進める綾瀬先輩の背中。
「待ってっ……!!」
咲良は残ったすべての力を振り絞り、大きな声で叫んだ。
その声に反応して、先輩が驚いたようにゆっくりと振り返る。
さっき別れたばかりの咲良が、息を切らし、肩を激しく上下に動かして立っている姿を見て、先輩は「咲良ちゃん?」と大きく目を見開いた。
「あの……っ!」
顔を一気に真っ赤に染めながら、咲良は声を絞り出そうとする。
けれど、冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んだせいか、喉が震えてなかなか言葉が続かない。
先輩は、咲良が自分を見送るために追いかけてきてくれたのだと思ったのだろう。
少しだけ嬉しそうに表情を緩めると、「咲良ちゃん!」とにっこり笑いかけてくれた。
夕暮れの残光に照らされる先輩の笑顔。
それを見た瞬間、咲良の胸の奥は、自覚したばかりの恋心に拍車をかけるようにぎゅーっと激しく締め付けられた。
空は溶けるようにオレンジから群青へと変わっていく途中で、世界は少しだけ静かに、時を止めていた。
――――カン、カン、カン、カン
規則正しく鳴り響き始めた、踏切の警報音。
遮断機がゆっくりとスローモーションのように下りていく。その向こう側に彼がいる。
金色の髪が夕陽の名残を受けてキラキラと光り、まるでこの世界のどこにも属していないみたいに、眩しくて特別に思えた。
――“ 綾瀬 蓮 ”。
心の中でその名前を呼ぶだけで、こんなにも怖くて愛おしいものだったなんて、今まで全く知らなかった。
すぐにでも恥ずかしさから逃げ出したくなるのに、地面に縫い付けられたかのように足は一歩も動こうとしない。
あの日、中学時代の暗い過去からずっと、咲良は「もう人は信じない」と心に決めていた。
他人の優しさも、浮ついた甘い言葉も、全部うわべだけの“偽物”なんだと思い込もうとしていた。
――なのに。
どうしてこの人だけは、他と“違う”と思ってしまうんだろう。
「咲良ちゃん……?どうした?」
警報音の隙間を縫って、少し離れた場所から彼が咲良を見つめ、優しく名前を呼んだ。
その声がどうしようもなく心地よくて、咲良の心を縛り付けていた強がりや警戒心が、ゆっくりと剥がれ落ちていくような音がした。
――言わなきゃ。
このまま何も言わずに終わらせたら、きっと一生後悔する。
咲良は震える手を胸の前でぎゅっと握りしめた。
「あのっ……!!」
肺の中にめいっぱい溜まっていた空気を吐き出すように、思い切り声を張り上げる。
綾瀬先輩が驚いたように目を見開いた。
その戸惑った表情すらも、ずるいくらいにかっこいい。
伝えたい言葉は、もうここまで出かかっている。
なのに、肝心なところで息が詰まってしまう。
でも、もう止まれない。後戻りはしない。
「…………っ、!!」
だめだ、まだうまく言葉にならない。
こんなにも伝えることが怖いと思ったのは、人生で初めてだった。
でも、それ以上に――。
“伝えたい”
やっと、気づいてしまったから。
今までずっと逃げてきたこの気持ちに、気づかないふりをして自分を誤魔化してきた。
けれど、もう自分の心に嘘をつきたくない、迷わない。
「蓮先輩っ……!!」
咲良がその大切な名前を叫んだ瞬間、世界を遮る警報音の向こうで、今まで見ていた景色がほんの少し、鮮やかに変わった気がした。



