ORANGE×BOY


「あの日……、夕方の空き地のベンチで何もなくて空っぽだった俺の視界に、咲良ちゃんが初めて入ってきた」

綾瀬先輩の声は、先ほどまでの激しさとは打って変わって、どこまでも優しく、包み込むように穏やかだった。

「額に汗をかいて、怖がって必死に何かから逃げてきたその小さな姿を見た瞬間、初対面なのに、初めて『守りたい』って思った」

言葉の一つひとつが、夕暮れの静寂に染み込んでいく。

「茂みに隠れている咲良ちゃんを見た時さ、なんでこんな子を傷つける奴がいるんだろうって、世の中ほんと腐ってんなぁって……そんなことばかり考えてたよ。それからまたコンビニで出会ったとき、俺の見た目に怖がってるのなんてすぐに気がついたし、何かしら拗らせてんだろうなぁーって。でもさ、毎日会うたびに、冷たくても返事をしてくれる咲良ちゃんがいて」

咲良は背中を向けたまま、ただじっとその言葉を耳の奥へと滑り込ませていた。

「だったら、こっち向いてくんねぇかなぁって。咲良ちゃんの視界に、早く俺を映して、いっぱいにしたいっ……それしか考えてなかった。誰がどう思っていようが、見た目とか、カーストとか、そんなのぶっちゃけどーでもいい。だけど、咲良ちゃんは色々努力して、周りを気にして、これ以上自分を傷つけないように、今まで悩んで、ひとりで守ってきたんだもんな。……気づけなくてごめん」

切なげに紡がれる先輩の謝罪に、咲良の胸の奥がぎゅうっと締め付けられる。

「だけど、見る方向さえ変われば、ほんとそれって地球でほんの小さな転がっている石みたいな、小さくてどうでもいいことに変わったりすんだよ。少なからず咲良ちゃんも、海里や爽、凌久や茉那ちゃん達に出会って、思う所や何かが変わって、気づいたことが一度でもあるんじゃねーの? ……それでも俺はさ、この地球上に、咲良ちゃんを好きな俺がいて、俺に向き合おうとしてくれる咲良ちゃんがいる。今はただそれだけでいいって、俺はそう思うよ」

最後まで真っ直ぐに想いを告げられ、咲良は何も言葉が出なかった。
溢れて流れる涙をぬぐうのに必死だった。

でも、綾瀬先輩の言葉が、どうしても嬉しくて、恥ずかしくて――。

「それは……つまり……告白ですか……?」

消え入りそうな、か細い声でようやくそれだけを答えた。
すると、背後で先輩が息を呑む気配がした。

「…あー、しまった。俺、全部言っちゃったわ」

少しだけ顔を赤くした先輩が、焦ったように呟く。

足音が近づき、咲良のすぐ隣に先輩が立った。

覗き込んできた先輩の視線に気づきながらも、咲良はうつむいたまま動けない。

ただ、自分の耳の先が、夕陽のせいではなく真っ赤に染まっているのだけは自覚していた。

綾瀬先輩はそれに気づいたのか、クスッと愛おしそうに笑う。

「あのー、咲良ちゃん?そろそろこっち向いて欲しいんですけど?」

「嫌です……!私、今すっごく恥ずかしい顔してるからっ……」

咲良は顔を真っ赤にして、涙を手で拭いながら、頑なに両手で顔を隠した。
グスッ、と小さく鼻をすする音が、二人の間に響く。

綾瀬先輩は、そんな咲良をどこまでも優しい目で見つめると、そっと大きな手を彼女の頬に添えた。
吸い寄せられるように、咲良は隠していた手をゆっくりと離す。

その瞬間、視界に飛び込んできたのは、綺麗な夕陽の光を髪に反射させてきらきらと輝く綾瀬先輩の姿だった。

あまりの美しさと、そこに宿る深い情熱に心臓がドクンと跳ね上がり、咲良は先輩の綺麗な顔から目を逸らせなくなる。

(綾瀬先輩は……いつも、こんな目で、私をずっと見てたんだ……)

見つめ合う二人の距離が、静かに狭まっていく。

綾瀬先輩は少しずつ顔を近づけ、咲良の唇へと、ゆっくりと自身の唇を重ねようとした。

咲良もまた、吸い込まれるようにそっと目を閉じ、すべてを受け入れようとした。



――その時。

「ねぇ、ママー!あのカップル、チューするのー?」

静寂を切り裂いたのは、近くを通りかかった小さな子どもの無邪気なはしゃぎ声だった。

我に返った咲良と綾瀬先輩は、驚いて弾かれたように距離を取る。

「こら、じろじろ見ないの!」

母親が慌てた様子で、小さな女の子の手を引っ張ってそそくさと歩き去っていった。

あまりにも完璧すぎるタイミングの邪魔に、咲良はなんだかおかしくなってしまい、思わず「ふふっ」と吹き出して笑ってしまった。

「あー!すげぇいーとこだったのにー!」

綾瀬先輩は頭を抱え、これ以上ないほど悔しそうな顔をしている。

「ってか、本当ですよ!どさくさに紛れて何しようとしてるんですかっ!」

咲良は真っ赤になった顔を隠すように、わざとツンと怒ってみせた。

「え?でも咲良ちゃんも満更でもなかったじゃーん?」

先輩はニカッと悪戯っぽく笑う。

その指摘に、咲良はみるみるうちに顔に熱がこもっていくのを感じた。

「…っ!」

(ちょっと!私、今、何しようとしてた!?なんて顔してたの……!?)

恥ずかしさでまた破裂しそうになっている咲良を愛おしそうに見つめ直し、先輩はふっと表情を和らげた。

「咲良ちゃん。もうすぐ暗くなるし、送っていくよ」

そう言って、自然な動きですっと咲良の手を包み込んだ。
今度はもう、拒む理由なんて何もなかった。

「あ…はい、…ありがとうございます」

咲良は小さく頷き、綾瀬先輩の大きくて温かい手を、今度はしっかりと握り返した。

オレンジ色から紫へと移り変わる夕陽が、歩き出した二人を優しく照らす。

並んで歩く二人の歩幅は、いつの間にかとても小さく、同じリズムになっていた。

そんな二人のぐっと縮まった距離を証明するように、道に映る二つの影がぴったりと寄り添いながら斜めに長く伸びていった。