ORANGE×BOY


その頃、倉庫の中の咲良は、「茉那……まだかな……」と、膝を抱えたまま小さく呟いていた。
容赦なく沈んでいく夕日が、頼りない影を床に落としている。
扉を必死に叩き続けた右の手のひらは、じんじんと熱を持って赤く腫れ上がっていた。

「はぁ……なんでこうなっちゃうかなぁ……」

しょんぼりと肩を落とし、咲良は高い位置にある小さな窓を見つめる。
そこから差し込む僅かな光を眺めていると、自然と頭に浮かんでくるのは、やはり綾瀬先輩のことだった。

(綾瀬先輩のあの黒髪、すごく似合ってたな……。先輩にも幼い頃があって、あんな風に真っ直ぐな目をしていた時期があったのかな)

学校での噂や『ヤンキー』という言葉。
そんな枠組みだけで、自分が勝手に彼との間に線を引いていたことに気づく。

(チャラいとか、不良とか、そういうのは関係ないんだ。先輩はどんな姿をしていようと、私を真っ直ぐに見つめてくれる、たったひとりの『綾瀬先輩』なんだよね……)

自分の心にストンと落ちてきた答えに、胸の奥が温かくなる。
その時だった。

「咲良ちゃん――っ!!」

静寂を破り、扉の向こうから、息を切らした愛おしい声が響く。
咲良は弾かれたように目を見開いた。

「え……!?綾瀬、先輩……っ!?」

「咲良ちゃん!大丈夫!?今ドアを開けるから、ちょっと後ろに下がって!」

綾瀬先輩に言われるがまま、咲良が慌てて数歩後ろへ下がった瞬間。
――ガンッ!!!
激しい衝撃音とともに、頑丈に引っかかっていた古い扉が、おもいっきりこじ開けられた。

バッと視界が開け、差し込んできた眩しい光と一緒に、一人のシルエットが飛び込んでくる。

「綾瀬、先輩……っ」

そこにいたのは、黒髪のウィッグを被ったままの、額にびっしょりと汗をかいた綾瀬先輩だった。
息を激しく切らしながら、先輩は遮るもののなくなった空間で咲良の姿を捉える。

「え。なんで、ここに……?」

咲良がそう問いかけるより早く、強い力で身体を引き寄せられた。
気がついた時には、咲良は綾瀬先輩の逞しい腕の中にすっぽりと包まれていた。

「よかった……っ!無事で、本当によかった……!心配した……っ!」

耳元で、先輩の切羽詰まった声が震えている。
ぎゅっと 強く抱きしめられ、トクトクと速いテンポで打つ先輩の鼓動が、自分の背中にまで響いてくるようだった。

「ちょっと、え……っ!?あ、綾瀬先輩!?」

急激に顔が熱くなり、恥ずかしさに耐えかねて先輩の胸を押し返そうとした、その時。

「――っ、痛っ……!」

思わず短い悲鳴が漏れた。扉を叩いて痛めていた右手のことを、完全に忘れていたのだ。
綾瀬先輩はハッとしたように目を見開き、大慌てで咲良から少し身体を離した。

「ご、ごめん!どこか怪我したのかっ!?どこが痛む!?」

血相を変えて自分を覗き込んでくる先輩に、咲良は少し顔を赤くしながら、そっと右手を差し出した。

「……ちょっと、右手を……」

「見せて」

先輩の大きな手が、咲良の右手を壊れ物を扱うかのように優しく包み込む。
赤く腫れ上がった手のひらを見つめ、先輩はまるで自分が傷ついたかのように、痛ましげに眉を下げて悲しそうな顔をした。

「……腫れてるね、酷くなったら大変だ。保健室で先生に見てもらおう」

いつもは自信満々で、おちゃらけている先輩が、自分のためにそこまで必死になって、今にも泣きそうな顔をしている。
そのギャップと、必死すぎる表情がなんだかおかしくて、咲良の口から、ふっと小さな笑いがこぼれた。

「ふふっ……」

「――え?」

綾瀬先輩は動きを止め、完全に固まった。
咲良がなぜ笑ったのかと言えば、助けにきてくれたヒーローであるはずの先輩が、まだ『応援団の黒髪ウィッグ』を被ったまま、汗だくでシリアスな表情を作っているそのギャップが、たまらなく可笑しかったからだ。

「え!?さ、咲良ちゃんが笑ってる……!?(俺の前で笑ったの、初めて……!?)」

先輩がみるみるうちに顔を赤くしていく。
咲良はさらに可笑しくなって、お腹を抱えるようにしてクスクスと声を上げて笑った。

「だって……っ、その姿のまま、ものすごい勢いで走ってきたんだなって思ったら、なんだかおかしくって……!」

「あ、これっ…?」

恥ずかしそうに頭をかく先輩を見つめながら、咲良は心からの笑顔を浮かべていた。
夕暮れのオレンジ色の光が、咲良の笑顔を柔らかく照らし出す。

先輩は、そんな咲良の姿に完全に目を奪われ、ぼーっと立ち尽くしていた。
怒ったり、困ったり、照れたりする顔しか知らなかった。
初めて見る、自分に向けられた無防備で、ひだまりのように愛らしい笑顔に吸い込まれる。

(うわ、可愛い……。つかめちゃくちゃ可愛い……!!!)

先輩の胸の奥で、コントロールを失った心臓が、今日一番のうるささで暴れ回っていた。