いつもみたいに、まとわりつく犬のようにしばらくはしゃいでいる綾瀬先輩が、さらりと咲良の前を去っていく。
背中を向けて歩き出す彼の、どこか名残惜しそうな、だけど執着を感じさせない鮮やかな引き際を、咲良はただぼーっと見つめることしかできなかった。
つい数十秒前まで、目の前で揺れていた綾瀬先輩の笑顔が、頭に焼き付いて離れない。
「もー!咲良ってば、遅いよ~!」
慌てて運動場に戻ると、弾んだ声とともに茉那が駆け寄ってきた。
額にうっすらと汗をにじませ、ポンポンを手に持った親友の姿に、咲良はハッと我に返る。
「ごめん、ごめん」
引きつりそうな頬を無理に動かして、小さく苦笑いを浮かべた。
そんな咲良を、茉那は悪戯っぽく目を細めて覗き込んでくる。
「どうせ、また綾瀬先輩とイチャイチャしてたんでしょー?」
「――っ、し、してないわよ……!」
心臓がドキリと跳ねた。
図星を突かれたような衝撃で、一気に顔が熱くなるのが自分でも分かった。
慌てて視線を泳がせるのを見て、茉那は「あはは!」と嬉しそうに声をあげる。
「あ、図星じゃんー!もう、分かりやすすぎ!」
小突いてくる茉那に言い訳もできず、咲良はただ、熱を持った頬を両手で押さえることしかできなかった。
やがて、グラウンドの中央がにわかに騒がしくなる。
体育祭のクライマックス――応援団のフィナーレが、いよいよ始まろうとしていた。
喧騒の真ん中に、その人はいた。
衣装の演出なのだろう、いつもとは違う、光を反射してキラキラと輝く黒髪のウィッグを身に着けた綾瀬先輩。
その姿が視界に飛び込んできた瞬間、咲良はまた、息をするのも忘れてぼーっと見とれてしまった。
地を震わせるような、女子生徒たちの黄色い歓声が響きわたる。
「綾瀬先輩ーっ!!、カッコいいーっ!」
「こっち向いてー!」
「きゃー!!」
その熱狂の渦の中心で、綾瀬先輩は不敵に、だけど誰よりも眩しく笑っていた。
(そっか……。学校では『不良』なんて言われて一目置かれてるけど、綾瀬先輩はやっぱり、すごく人気なんだなぁ……)
遠く離れた場所から、綾瀬先輩の輝きを見つめる。
近づくことすら躊躇われるほどの熱気の中で、胸の奥が、冷たい水に浸されたように静まり返っていくのを感じた。
(なのに、私……)
いつも、真っ直ぐに自分へと向けられる先輩からの好意。
それを照れ隠しで冷たくあしらって、彼の本当の気持ちにちゃんと向き合おうともしていない。
拒絶するわけでもなく、受け入れるわけでもない。
そんな風に、先輩の優しさに甘えてハッキリしない態度を続けている私は――なんて卑怯なんだろう。
胸の奥が、チクリと痛んだ。
小さな針で刺されたような罪悪感が、じわじわと身体中に広がっていく。
「あれ……?咲良、なんだか元気ない……?」
さっきまで一緒に盛り上がっていた茉那が、咲良の横顔を見て、心配そうに眉をひそめた。
これ以上、親友に余計な心配をかけたくなくて、慌てて引きつった笑みを作る。
「ううん、なんでもない!」
大きく首を横に振って、咲良は再び、遠いグラウンドの中央へと視線を戻した。
歓声に包まれる綾瀬先輩の姿が、太陽の光の中で、少しだけ滲んで見えた。



