体育祭の熱気は、初夏の青空へと吸い込まれていくようだった。
全学年合同で開催される伝統の体育祭は、朝から尋常じゃない盛り上がりを見せていた。
グラウンド中から響く歓声と太鼓の音が、鼓膜を心地よく震わせていた。
「やったあ! ぬいぐるみゲットー!」
借り物競争に出場した親友の茉那が、大きなくまのぬいぐるみを抱えて、はしゃぎながら戻ってくる。その無邪気な笑顔に、咲良も思わず笑みがこぼれた。
けれど、次にクラス対抗リレーのバトンを握ったときは、自身の心臓が跳ね上がった。
(絶対に、足を引っ張るわけにはいかない……!)
無我夢中でトラックを駆け抜け、前の走者を抜き去る。
ゴールテープを胸で切った瞬間、クラスの女子たちから黄色い悲鳴が上がった。
そして見事、一位を獲った。
息を切らしながらも、咲良は大きな達成感に包まれていた。
しかし、体育祭の本番はここからだった。
午後のメインイベント、応援合戦。
グラウンドの中央に、ひときわ大きな歓声が沸き起こる。
「「「キャーッ! 綾瀬先輩――! こっち向いて――!」」」
女子生徒たちの視線を一身に集めて登場したのは、応援団長を務める2年生の綾瀬先輩だった。
さすが学校一の有名人。
普段は少し夕陽のような綺麗な金髪に、きらりと光るピアスがトレードマークの、誰もが憧れるイケメンの先輩である。
しかし、今日の綾瀬先輩は、いつもと違っていた。
「……あれ?黒髪…?」
なぜか今年の応援団は、伝統という名目のもと、全員が「黒髪」で揃えるルールらしい。
現れた綾瀬先輩の髪は、ツヤのある漆黒に染め上げられていた。
しかも、いつも耳元で主張していたピアスは外され、端正な顔立ちがいつも以上に引き締まって見える。
チャラさが消え、どこか硬派で、息をのむほど端正な「黒髪の綾瀬先輩」。
(うそ、あのウィッグここで使うの…?)
ドクン、と心臓が大きな音を立てる。
あまりの破壊力に頭がクラクラするのを隠すため、咲良は必死に平静を装った。
胸の鼓動が周囲に聞こえてしまわないよう、ただじっとグラウンドを見つめる。
隣にいた茉那が、咲良の様子に気づいて、ニヤリとしながら口元を歪めた。
「ねえ、咲良~。綾瀬先輩がもし普段からずーっと黒髪で、ピアスもしてなかったら……今頃とっくにロックオンされてたんじゃないのぉー?」
「は?!そ、そんなことないしっ……!」
図星を突かれて、一気に顔が沸騰するように熱くなる。
動揺を隠すように声を荒らげてみせたけれど、赤くなった耳たぶまでは隠せそうにない。
「あ、なんだか暑い暑い!私、ちょっと冷たい飲み物買ってくる!」
「あー!咲良照れてるー!」
茉那の追及から逃れるように、咲良は踵を返した。
トントンと地面を蹴って、グラウンドの隅にある自動販売機へと、半分駆け足で向かう。
冷たいお茶のボタンを押し、ガコンと落ちてきたペットボトルを拾い上げ、火照った頬に押し当てた。
その冷たさに、少しだけ息をつく。
「……何が『そんなことない』、だよ。私」
一人になって、小さく呟く。
あんな風に、いつもと違う真剣な表情で、黒髪をなびかせて笑う先輩を見せられたら、意識しないなんて無理に決まっている。
冷えたペットボトルを両手で包み込み、私はトボトボと歩き出した。
校舎の影に入った、その時。
「――お。リレー1位の咲良ちゃんじゃん!」
頭上から、少し低くて、耳に心地よく残る声が降ってきた。
驚いて顔を上げると、そこには白い応援団の長ランを肩に羽織った、綾瀬先輩が立っていた。
近くで見る黒髪は、やっぱり心臓に悪い。
「あ、綾瀬、先輩……!?お疲れ様です……」
緊張で声が震えてしまう。
綾瀬先輩はフッと優しく微笑むと、汗で少し額に張り付いた黒髪を、細い指先でラフに掻き上げた。
「追いかけっこでも思ったけど、咲良ちゃんやっぱり足速いね!……で、どう?これ!」
そう言って、綾瀬先輩のはファッションをみせる如く
くるりと回った。
茉那にからかわれて赤くなっていただけの顔が、先輩の姿をまじまじと見た瞬間、今度こそ爆発しそうなくらい熱くなった。
「どうって…似合ってますよ」
情けない声を上げて一歩下がると、綾瀬先輩は驚いたように目を見張り、それから、いたずらっぽく目を細めて笑った。
「えぇ!?咲良ちゃんが珍しく素直だー!……じゃあさ、この後、俺の競技もちゃんと見ててね!」
「えっ、綾瀬先輩?!」
そういってさらりと、掛けていく綾瀬先輩。
そのまま、ひらひらと手を振ってグラウンドへ戻っていく後ろ姿を、咲良はただ呆然と見送るしかなかった。



