ORANGE×BOY


お昼休み。
 教室の窓からなんとなく校庭を見下ろしていた咲良は、外のざわめきがいつもより一段と大きいことに気づいた。

「……何、あれ」

 グラウンドの一角に、不自然なほど大きな人だかりができている。
 男たちの野太い掛け声と、それに混ざる、きゃあきゃあと黄色く弾ける女子たちの歓声。
風に乗って届くその熱気は、どう考えても普通の昼休みの風景ではなかった。

「あー!あれ、応援団の練習じゃない!?」

 隣から割り込んできた茉那が窓に顔を寄せ、瞬時に目を輝かせる。

「ちょっと見に行こうよ、咲良!」
「え、私は別にいいよ……」
「いいからいいから!ほら、行くよ!」

 半ば強引に手首を引っ張られ、咲良はしぶしぶ教室を後にした。

 階段を駆け下りて外へ向かうと、初夏めいた眩しい日差しが校庭を白く照らしている。

 踏みしめる土の匂い、遠くから響くホイッスルの音、風にバタバタと揺れる大きな応援旗。
まるで青春のど真ん中を切り取ったような景色のなか、その中心にいたのは――やっぱり、綾瀬先輩だった。

(……え。学ラン着てる……?)

 咲良は思わず足を止めた。
 普段の着崩した制服姿とは違い、応援団仕様の黒い学ランに身を包んだ綾瀬先輩は、妙に凛々しく、圧倒的に男っぽく見えた。
ただ腕を組んで立っているだけなのに、周囲の空気を支配するような存在感があって、ギャラリーの視線を全部さらっている。
 近くには海里先輩や爽先輩もいて、真剣な表情で掛け声に合わせながら動きを確認していた。

「……ほんと、どこにいても目立つ人」

 ぽつりと咲良が苦笑した、その瞬間だった。

「お!」

 ふいに、綾瀬先輩がこちらを振り返り、咲良の姿を見つけた。

「咲良ちゃんじゃん!」

 さっきまでの凛々しい表情が嘘のように、ぱっと顔を明るくして、わかりやすく犬のように目を輝かせる。

「何、何!?もしかして、俺に会いに来てくれたのー!?」
「違います」

 咲良は一秒の猶予もなく、バッサリと切り捨てた。

「茉那に無理やり連れてこられただけです」
「えー、つれないなぁ」
「用は済んだので、もう帰りますね」
「ちょ、待って待って!」

 踵を返そうとした咲良の前に、綾瀬先輩がするりと回り込む。
 無駄に軽やかでスマートな身のこなしに、咲良は少しだけむっとした。

「何ですか、もう」
「いいからこれ見てよ」

 にっこりと悪戯っぽく笑った綾瀬先輩が、後ろにいた爽先輩から何かを受け取っている。

 次の瞬間、咲良は驚きで言葉を失った。

 綾瀬先輩が手にしたのは、黒髪のウィッグだった。
 それを、慣れた手つきでさらりと頭に被る。
さらに、きらめいていた耳元のピアスを、躊躇いなく外してポケットに仕舞い込んだ。

 ――たったそれだけのことなのに。
 一瞬にして、先輩のまわりの空気がガラリと変わる。

「……え」

 金髪もなく、ピアスもない綾瀬先輩は、まるで別人だった。
 普段のやんちゃで軽薄そうな雰囲気が綺麗に削ぎ落とされ、代わりに現れたのは、どこか静かでクールな――驚くほど端正な、黒髪の男子高生の姿。

 もともと彫刻のように整いすぎていた顔立ちだからこそ、色を抜かれ、シンプルになった姿は、ひどく上品で色っぽかった。
 まっすぐな黒髪が涼しげな額に落ちて、長いまつ毛の影が白い頬に濃く落ちている。
 口元は相変わらず少しだけ意地悪そうに微笑んでいるのに、全体の印象は、胸が苦しくなるほど落ち着いて見えた。

(なに、これ……。反則、でしょ……)

 いつもなら言い返せるはずの言葉が、喉の奥に張り付いて、どうしても出てこない。
 黒髪になった綾瀬先輩のまっすぐな瞳に見つめられ、咲良の心臓は、ドクドクと狂ったような鼓動を刻み始めていた。


 ――そっか。
 綾瀬先輩も、最初からこうだったわけじゃないんだ。

 当たり前のことなのに、黒髪になったその姿を目の当たりにした瞬間、ストンと腑に落ちた気がした。
 “ヤンキー”という分かりやすいラベルの奥に、別の時間を積み重ねてきたひとりの男の子が、たしかに存在している。
 いつから今のような金髪になったのか、その裏に何があったのか、今の自分は何も知らない。
けれど、この人には“金髪の不良”という今だけではない、もっと深くて静かな過去があるのだと、咲良はその一瞬で思い知らされてしまった。

(自分が知らない綾瀬先輩を、もっと知りたいと思ってしまうのは――どうしてなんだろう)

 胸の奥がキュンと切なく痛む。
そんな咲良の動揺を察してか知らずか、綾瀬先輩がにこりと、いつもの眩しい笑みを浮かべた。

「どう?咲良ちゃん!ちょっとは惚れ直した?」

 じゃーん!と効果音がつきそうなほど、いたずらっぽく胸を張る先輩。
 そのいつも通りの無邪気さに、咲良はようやく我に返る。
けれど、一度跳ね上がってしまった胸の鼓動は、ちっともおさまってくれない。

(何それ……なんか、ずるい…)

 完全にノックアウトされかけた心を必死に隠すように、咲良はふいっと視線を斜め下に逸らした。
そして、できるだけ何でもないふうを装って、ツンとした声を絞り出す。

「……別に。でも、金髪よりは悪くないんじゃないですか」

 途端、ぴたり、と綾瀬先輩の動きが固まった。
 え、と言いたげに丸くなった綺麗な瞳。
次の瞬間――。

「うわぁ、何それ……っ!」

 綾瀬先輩の顔が、これ以上ないほどぱあっと輝いた。

「咲良ちゃんが、初めてデレたっ…!」
「ち、違いますっ!」
「いや今の絶対、超貴重なデレじゃん!ごちそうさまでーすっ!」
「違いますってば!ただの客観的な意見です!」
「やばい、今日から毎日『初デレ記念日』としてお祝いしなきゃ!」
「勝手に変な記念日をつくらないでくださいよ!ってかなんでちょっと乙女になってるんですか!」

 ニヤニヤと心底嬉しそうに顔を覗き込んでくる綾瀬先輩に、咲良はもう一度、本日何度目か分からないため息をついた。
 でも、その口元からこぼれたため息は、さっきまでよりもずっと、柔らかくて温かいものに変わっていた。

「茉那、もう帰るよっ!」

 これ以上ここにいたら、茹でお上がった顔を見られてしまう。
限界を迎えた咲良は、隣でニヤニヤと一部始終を見守っていた大親友の腕をがっちり掴んで引っ張った。

「ちょっと、咲良ぁ!もー、そんなに分かりやすく照れなくてもいいじゃん!」
「照れてないから!ほら、早く行くよ!」
「はいはい、お熱いことで」
「ちがうからっ!」

 茉那のからかうような声に、咲良の頬はさらに赤さを増していく。
 振り返ることはできなかったけれど、背中に受ける綾瀬先輩の視線が、初夏の日差しよりも優しく、どこまでも心地よく咲良を包み込んでいた。