ORANGE×BOY


夏休み前の生ぬるい風が、教室の窓から吹き抜けていく。
 高く青い空に白い雲がゆっくりと流れる季節。
それだけでなんだか胸がそわそわしてしまうのは、きっと近づく体育祭のせいだけではない。

 紫苑学園の校内は、いつもよりずっと浮き足立っていた。
 放課後のグラウンドから響くホイッスルの音。
廊下を行き交う、色鮮やかな鉢巻きを手にした生徒たち。
教室の後ろに積まれた模造紙やペンキの甘い匂い。どこを見渡しても、お祭り前特有の熱気で満ちている。

 咲良の所属するクラスも例外ではなく、今日のホームルームは種目決めで大騒ぎだった。

「リレー出たい人ー!」
「はいはいはい!」
「障害物どうする?」
「騎馬戦、男子の人数足りるかな!?」

 あちこちから声が飛び交う。
黒板には、チョークの音荒く次々と名前が書き込まれていく。

 咲良は机に肘をつき、小さくため息をもらした。

 こういう“みんなで盛り上がる行事”は、正直そこまで得意ではない。
嫌いではないけれど、輪の中心で騒ぐようなタイプでもないのだ。
 けれど、咲良には一つだけ、クラスに隠し通せなかった特技があった。――足が、無駄に速いこと。

 中学時代は目立たないように手を抜いていたのに、高校に入ってすぐの体育の授業で全力疾走してしまい、一瞬でクラス中にバレてしまったのだ。

(……この間の、綾瀬先輩との『校内追いかけっこ事件』でも、何かと散々目立っちゃったしな……)

 脳裏に浮かぶのは、端正な顔立ちに意地悪な笑みを浮かべた、憧れの先輩の姿。
 思い出すだけで、心臓がトクンと跳ねる。
 あの日以来、咲良は自分の中にある“綾瀬先輩への特別な感情”――そして、綾瀬先輩の周りにいる女性への、みっともないほどの嫉妬心を自覚してしまったのだ。

 自覚してからはもう、なるべく平静を装お装ってはいるが、いつも通り教室に訪れる綾瀬先輩の顔を見ると、なんだか心が落ち着かなかった。

「小鳥遊さん、リレーでるでしょ?」
「うんうん、絶対!小鳥遊さん、逃げないでよー?」

 クラスメイトたちの容赦ない推薦に、咲良は現実に引き戻される。
観念したように、小さく手を挙げた。

「……わかりました。やります」
「やったー!」

 わっと沸き立つ教室。
 隣の席では、借り物競争の茉那と、当然のようにリレーの欄に名前を書き込まれていた咲良。

「ふふーん。うちらのクラス、これで女子リレーは無双しちゃうんじゃない?」
「別に無双したいわけじゃないんだけど……」
「またそういうこと言うー!」

 茉那はケラケラと笑いながら、黒板を見上げた。そして、悪戯っぽく目を輝かせる。

「ねえねえ。障害物リレーの『借り物競争』で、私と咲良が交代して、綾瀬先輩のこと借りちゃうのどうよ?」
「はぁ!?」

 咲良は跳び上がる勢いで、即座に眉を寄せた。

「何ふざけたこと言ってんの!そもそも綾瀬先輩、学年違うじゃん!」

 必死に声を潜めながら抗議する咲良に、茉那は「え?」と心底意外そうな顔をした。

「……え、咲良、知らないの? 紫苑学園の体育祭って、一年から三年まで合同だよ?」
「……は?」

 咲良は一瞬、言葉を失った。

「それ、本当なの……?」
「本当だってば!縦割りの『色団』でチームを組むから、先輩も後輩もごちゃまぜ。全員で優勝を狙うの」
「……ちょっと、大がかりすぎて引くんだけど」
「何でよ!最高に楽しいじゃん!」

 茉那の楽しげな声が、今の咲良の耳には全く入ってこなかった。

 頭の中で、ひとつの巨大な危機感がむくむくと膨れ上がっていく。
 一年から三年まで、合同。
 ということは――。

(ただでさえ最近、気まずくてどんな顔していいかわかんないのに……普通に接触する機会、増えちゃうじゃない……!?)

「最悪……」

 思わず本音がポロリとこぼれると、茉那が思い切り吹き出した。

「あはは! 咲良、顔に出すぎ!」
「だ、出してない!」
「いや、めちゃくちゃ『嫌だー!』って顔に書いてある。もう、綾瀬先輩とは仲直りしたんでしょ?」
「そう、だけど……っ!」

 咲良はむすっと唇を尖らせ、窓の外に視線を逸らした。
 仲直りはした。
それは本当だ。
 けれど、自分の恋心を自覚してしまった今、体育祭というただでさえ距離が近くなるイベントで、あの眩しすぎる太陽みたいな笑顔の先輩がまた名前を呼んで関わってくるなんて。

 想像しただけで、初夏の風よりも熱い何かが、咲良の頬を赤く染め上げていくのだった。