そんな親友と、誤解をされたままの金髪ヤンキーとのやりとりが、行われているとも露知らず。
日陰のベンチに腰掛けたまま、咲良は完食したはずのお弁当の袋を静かに片付ける。
手持ち無沙汰になってスマホの画面をタップし、デジタル時計の数字を眺めた。
……おかしい。
一人で過ごす時間は、自分の体感速度の三倍くらい遅く進んでいる。
咲良は本日何度目かもわからない、世界を呪うような深いため息をついた。
「はぁ……。教室、戻りたくないなー。綾瀬先輩と鉢合わせしそうだし……」
地面に視線をやりそう呟いた、まさにその刹那だった。
「咲良ちゃん……っ!」
静寂を強引に切り裂くようにして降ってきたその声に、咲良の心臓が最悪のリズムでドクンと跳ね、胸の奥が物理的な質量を持ってズキリと痛んだ。
反射的に顔を上げると、そこには肩を激しく上下させ、額にうっすらと汗を滲ませた綾瀬先輩が立っていた。
走ってきたのだろうか。
なぜ、そんなに必死な顔で、学校中の視線が集まるリスクを冒してまで、こんな僻地にいる自分を捜しに来たのだろう。
「あ、綾瀬……先輩……?」
喉の奥から、乾いた声がこぼれ落ちる。
咲良は彼に見せるための防衛の仮面を慌てて貼り付け、悲しみの色彩を帯びそうになる自分の瞳を隠すようにそっと視線をそらした。
お弁当の袋をぎゅっと握りしめ、事務的なトーンを意識して言葉を紡ぐ。
「風邪、治ったんですね。良かったです。元気そうで」
これ以上ないほど冷淡な、壁を作るための挨拶。ゆっくりと背を向けた咲良からは、彼の表情は見えない。
けれど、綾瀬先輩はさらに一歩、自分のパーソナルスペースへと踏み込んできた。
「茉那ちゃんから……全部聞いたよっ。ちょっとだけでいいから、俺と話しをさせてくれない?」
その言葉が、咲良の心の中のどろどろとした感情を激しくかき混ぜた。
ーー茉那から聞いた?
一体何を?
私が勝手に彼の部屋に踏み込んで、勝手に自意識を暴走させて、勝手に傷ついて逃げ出した、あの無様な失態を笑い話にでもしに来たのだろうか。
悲しみは一瞬で、鋭利な防衛本能へと形を変える。
咲良は振り返らないまま、精一杯の棘を言葉に混ぜて言い放った。
「私は綾瀬先輩と話すことなんて、何もありません。あ、ちなみに。綾瀬先輩の家に来ていたあの綺麗な女性と、どうぞお二人で末永く、仲良くお幸せになってください」
そう言って、咲良はサンダルの爪先を校舎の方へと向け、足早に歩き出す。
背後から、「ちょ、ちょっと待てって! それはっ!」という焦ったような声が追いかけてくる。
けれど、今の咲良には彼のどんな言葉も、自分をこれ以上傷つけないためのノイズにしか聞こえなかった。
「何も聞きたくないっ!来ないでっ!」
咲良は叫ぶように拒絶を投げ、文字通り中庭のアスファルトを蹴って走り出した。
視界がまた、嫌な水膜でぼやけていく。
(――違う。私のバカ、そんなこと言いたいわけじゃないのに……!)
走りながら、自分の言葉の子供っぽさと素直になれない歪んだ自意識に、猛烈な自己嫌悪が襲いかかる。
本当は理由を聞きたかった。
先輩の口から、安心する言葉を聞きたかった。
自分だけが一途だなんて、嘘だったのと言い詰めたいだけだったのだ。
「咲良ちゃん!待って、マジで!」
背後から、咲良よりも圧倒的に大きくて力強い足音が、凄まじい速度で接近してくるのが分かった。
驚いて振り返ると、綾瀬先輩が本気の目をして自分を追いかけてきている。
学校の有名人である金髪のヤンキー先輩と、地味を自称する一年の女子生徒が、昼の中庭で全力の追いかけっこを演じている。
客観的に見て不条理の極みだ。
「(な、何で追っかけてくるのっ?!)」
咲良はさらにギアを上げ、必死にサンダルを動かす。
こうして、咲良と綾瀬先輩とのよくわからない心の境界線をめぐる、前代未聞の全力の逃走劇が幕を開けたのだった。



