「ちょ、ちょっと待って!俺は彼女なんていないし、呼んでないし、部屋にも上げてないよ!? 何か凄まじい、それこそ天文学的なレベルの誤解が生じてると思うんだけど!?」
学校中の羨望を独占しているはずの金髪の王子様は、今や完全に余裕を失い、我が物顔で侵入したはずの1年の教室で必死に茉那ちゃんに言い寄っていた。
けれど、親友の防衛大臣である茉那も、ここで怯むようなヤワな精神構造はしていない。
箸を握りしめたまま、さらに怒りのボルテージを上げて綾瀬先輩に詰め寄った。
「嘘じゃないです! だって咲良は、綾瀬先輩の看病の帰りに、玄関で二十歳くらいの綺麗な女の人とばったり出くわしたって、泣きそうな顔で言ってました! 私は本人から直接、嘘偽りのない証言を聞いてるんですから! しかもその人、先輩のことを下の名前でめちゃくちゃ馴れ馴れしく呼んでたって…!」
容赦ない弾道で放たれる茉那の言葉に、綾瀬先輩は頭を激しく左右に振った。
「いやいやいや! 俺、本当に彼女とかマジでいないから! 誓って咲良ちゃんだけだから!っていうか待て……その女、二十歳くらいで綺麗で、俺を下の名前で……。………あ」
綾瀬先輩の言葉が、唐突に停止した。
まるで頭の中に最悪の爆弾が投下されたかのように、綺麗な目を大きく見開く。
それから、全てを察したように手のひらで乱暴に額を覆い隠し、天を仰いだ。
「マジか……。あいつ、何やってんだよ……。灯……」
深い後悔の闇に沈んでいくような綾瀬先輩の呟きを、茉那ちゃんの鋭い聴覚が見逃すはずがなかった。
「あかり!? ちょっと、いま自分から『あかり』って言いましたよね!? やっぱり女の名前じゃないですか! はい、もう言質とりましたからね! スマホに録音済みですから! やっぱり他の女がいたんじゃないですか! きゃー! 綾瀬先輩、顔が良いだけの最低男じゃん!!」
完全にヒートアップして、クラス中の男子すら味方につけそうな勢いで叫ぶ茉那に対し、綾瀬先輩はついに限界を迎えたように両手を前に突き出した。
「ストーーープ!! 頼むから一回落ち着いて! それ、俺の姉貴だから!!」
教室の空気が、一瞬でピキリと凍りついた。
茉那は口を半開きにしたまま、文字通り目を点にして完全に固まってしまう。
「…………は?」
お弁当箱のタコさんウインナーが、重力に従って掴んでいた箸からポトリとご飯の上に落ちた。
「え? ……お、お姉さん???」
あまりにも予想外すぎる斜め上の真実に、茉那はただただびっくりして、壊れたおもちゃのようにパチパチと瞬きを繰り返す。
綾瀬先輩は、肺の中の空気をすべて吐き出すような深いため息をつくと、がっくりと肩を落とした。
「…そう。正しくは、うちの年の離れた兄貴の奥さん。つまり、俺にとっては義理の姉。あの人、グラフィックデザイナーやってて見た目だけは若いし無駄に華やかだけど、中身はただのお節介な既婚者だから。……つーか、マジか。咲良ちゃん、そんなことで誤解して怒ってんの……?」
自分が寝込んでいる間に起きた特大の悲劇。
そして、自分のせいで咲良がどれほど深く傷つき、自分の前から逃げ出してしまったのかを悟り、綾瀬先輩はショックを隠せない様子で、開け放たれた窓の向こうの遠い空を、ひどく切なそうな目で見つめるのだった。
「うわー、マジかよ……」



