ORANGE×BOY


どれくらいの時間が経ったのだろう。
 肌に触れる空気の温度が少しだけ変わった気配で、咲良は深い眠りの底からゆっくりと浮上した。

「……咲良ちゃん?」

 鼓膜を優しく揺らしたその声は、眠っていた意識を一瞬で現実の世界へと引きずり戻した。
 がばっと跳ね起きるようにして身体を起こすと、視界が急激に覚醒する。
ベッドの上には、いつの間にか上体を少しだけ起こした綾瀬先輩がいた。
その瞳には、さっきまでの虚ろなモヤは一切なくて、しっかりと咲良を捉えている。

「あっ、綾瀬先輩……!?あ、あの!体調、大丈夫ですか……?」

 頭が混乱したまま、咲良は裏返りそうな声を上げた。
 綾瀬先輩は、まだ少し額に汗を滲ませながらも、いつもの太陽みたいな、けれどどこか照れくさそうな笑みを浮かべていた。
その表情には、学校で見せる傲慢なまでの自信は影を潜めていて、少しばかり恥ずかしそうな、不慣れな色彩が混ざっている。

「えーっと…うん…。まさか、本当に見舞いに来てくれたんだね!その、ありがとう。なんかさ、格好悪いとこ見せたな、ごめん」

 いつもより明らかにトーンの低い、しおらしい声。
 そのギャップに、咲良の左胸の奥がドクンと嫌なリズムで跳ねた。
大嫌いなはずのヤンキーなあやし先輩の、見たこともない弱さと素直さに、心臓が不躾なほどドキドキと暴れ始める。
これではまるで、自分が彼に特別な感情を抱いているみたいではないか。

「あ、えっと!その……。全然、教室に来なかった、から……」

 自分の声が震えているのが分かって、咲良はたまらなくなって無理やり視線を右斜め下の床へと反らした。
顔が急激に熱くなっていくのが分かる。
咲良はこの狭くて静かな密室の中で、自分のうるさい心臓の音が先輩にまで聞こえてしまっていないか、それだけが本気で心配だった。

 咲良が必死に自分の自意識と戦っていると、すぐ横から、シーツの擦れる音と共に盛大なため息が聞こえてきた。
 驚いて振り返ると、綾瀬先輩は片手で自分の顔をすっぽりと覆い隠すようにして、天を仰いでいた。耳の付け根が、ほんのりと赤くなっている。

「やっべ、まじで嬉しいんだけど。これ、嬉しすぎてまた熱あがるかも…」

 綾瀬先輩は覆っていた手を少しだけずらして、指の隙間から、困ったような、けれど酷く愛おしそうな瞳で咲良をまっすぐに見つめてきた。

「これって……さ。少しは、俺のこと心配してくれたってことで、いいんだよね?」

 心臓を素手で掴まれたような衝撃が走る。
 長い睫毛の奥にあるその綺麗な瞳に射抜かれて、咲良の思考回路は完全にショートした。

「……っ!」

まただ。
またこの人は、人の都合などお構いなしに、一瞬で主導権を奪っていく。
このままでは、自分が自分でなくなってしまいそうで、咲良は猛烈に恥ずかしくなった。

 逃げるようにベッドから一歩身を引き、破れかぶれの声を張り上げる。

「とにかく!いい加減早く元気になってくださいね! 学校の皆さんも、海里先輩たちも、すっごく心配してましたからっ……!」

 それが、精一杯の防衛線だった。
彼個人のためではなく、あくまで「みんなが心配していたから」という免罪符を盾にして、咲良は赤くなった顔を誤魔化すように、一気に言葉をまくし立てるのだった。