その日の昼休み。
茉那が友達に呼ばれて先に教室を出ていったあと、咲良はひとりで資料室へ向かっていた。
授業で使うファイルを取りに行くよう、朝のうちに言われていたのだ。
廊下は昼休みらしいざわめきに満ちていて、遠くの教室から笑い声が聞こえる。
資料室は校舎の端にあって、いつも少し薄暗い。
咲良が引き戸を開けると、古い紙の匂いと、窓から差し込むほこりっぽい光がふわりと広がった。
そして、その中には先客がいた。
「あ」
棚の前でファイルを見ていた男子が、振り返る。
明るいアッシュグレーの髪に、上品な目元。
どこか紳士見えるのに、笑うとそんな雰囲気がころっと変化するような人。
綾瀬先輩の友人のひとり――海里だった。
「あ、咲良ちゃん」
海里はすぐに表情をやわらげた。
「君もなんか用事?手伝おうか?」
その声は思ったよりずっと柔らかくて、咲良は少しだけ面食らう。
あの屋上で会って以来、ちゃんと話すのは初めてだった。
綾瀬先輩の友達、というだけでどうしても警戒してしまうけれど、海里の口調には押しつけがましさがない。
「……あ、いえ。大丈夫です」
咲良は少しだけ気まずそうに微笑んだ。
すると海里はくすりと笑う。
「相変わらずぶれないねー」
「何がですか」
「ちゃんと線引いてくるとこ」
冗談っぽく言われて、咲良は返事に困る。
資料棚の前に立ちながら、咲良は心の中で少し迷った。
聞こうかな。
いや、でも。
綾瀬先輩のことなんて、自分から聞いたら、まるで気にしているみたいじゃない。
気にしているわけじゃない。
たぶん。ただ少し、どうして来ないんだろうと思っただけだ。
ただ、それだけ。
「あの……」
声を出した瞬間、海里がこちらを見た。
咲良は視線を泳がせながら、少しだけ言いにくそうに口を開く。
「か、海里先輩……」
「お」
海里がぱちりと目を瞬かせた。
「あ、名前覚えてくれてたんだね。意外」
「……失礼かなと思って」
咲良は言ってから少し目を逸らした。
あの屋上で自己紹介されたとき、ぶっきらぼうな顔をしながらも、ちゃんと名前は覚えていた。
そういうところだけは昔から変に真面目なのだと、自分でも思う。
海里は少し嬉しそうに笑った。
「ところで、どうしたの? 蓮のこと?」
「……っ」
あまりにもまっすぐ当てられて、咲良は一瞬固まった。
図星、というほどでもないのに、見透かされたみたいで落ち着かない。
「……あ、やっぱりなんでもないです」
咲良はすぐに引っ込めた。
ここで聞いたら、本当に“気になってる”みたいだ。
そんなの嫌だ。
海里はその反応を見て、ふっと面白そうに笑う。
「ま、気になったらいつでも聞いて」
さらっと言われて、咲良はどう返していいかわからず、小さく「……はい」とだけ答えた。
そのときだった。
「あ、小鳥遊。ここにいたのか」
資料室の前を通りかかった男の声に、咲良ははっと顔を上げる。
社会担当の脇田先生だった。
中途採用で最近入ってきた若い教師で、細身のスーツが似合う、真面目そうな人だ。
眼鏡の奥の目は少しクールに見えるけれど、普段は淡々としていて、優しさと大人の落ち着いた雰囲気がある。
「悪いんだけど、それが終わったらクラスのノート集め頼んでもいいかな?」
「え、あ……はい、わかりました」
咲良が答えると、脇田は一瞬だけこちらを見て、口元をわずかに緩めた。
「あんまりイチャつかないよーに」
冗談めかした声音だった。
「っ、そんなんじゃないです!」
と少し顔を赤らめて咄嗟に否定する咲良だったが、先生は手をヒラヒラと振りながら去っていった。
それをみた海里はクスリと少し笑った。



