「あの…」
一言、彼に話しかけた。
綾瀬先輩はベンチに腰掛けたまま、コンビニのガムの包み紙を細い指先で器用に折り、小さな鶴を完成させながら「んー? どーしたの?」とニコニコして咲良を見上げた。
その無防備な笑顔に流されそうになるのを、咲良は心のバリアでぐっと押し殺す。
「約束通り、昼食を一緒にするのは今日で最後ですから。――もう、私に関わらないでください」
真っ直ぐにそう告げた咲良に対し、綾瀬先輩は完成したばかりの銀色の鶴を手のひらに乗せ、きょとんとした顔で首を傾げた。
「なんで? 別に良くね?」
「よくないです!」
咲良はピシャリと言い返し、彼を真っ正面から睨みつけた。
「……私から言うのもすごく癪なんですけど。もし万が一、先輩が私のことを好きになったとして、これから付き合ったりとか……そういうの、普通に無理なんで。そもそも私、ヤンキーとか不良の人種は論外だし。約束通り、もうこれで終わりにしてください」
咲良の冷徹な宣言に、屋上を吹き抜ける風の音だけが響いた。
綾瀬先輩は少しだけ間を置いて、手の中の鶴をポケットにしまうと、顔をわずかに傾けて咲良をじっと見つめた。
蜂蜜色の前髪の隙間から、あの吸い込まれそうな瞳が咲良を射抜く。
「ふーん。ヤンキーじゃなければ、いいんだ?」
「え……?」
「でもさ、例えばだけど」
綾瀬先輩はベンチからゆっくりと立ち上がり、咲良との距離をじりと詰めた。
「咲良ちゃんがこれから先、一生に一度の大好きな男ができたとして……そいつが、ある日突然ヤンキーにでもなっちゃったら、どーすんの?」
「――っ」
その予想だにしない問いかけに、咲良の思考はぴたりと停止した。
もしも、自分が心から愛した人が、大嫌いなヤンキーになってしまったら?
あり得ない仮定のはずなのに、咲良の頭の中に、中学時代のあの凪くんの怯えた顔や、目の前にいる蓮先輩の太陽のような笑顔が、ぐちゃぐちゃに混ざり合って脳裏を過る。混乱が頭を支配し、咲良は言葉を失った。
「え?……それは……。えっと, その……」
動揺しながら必死に答えを探そうとする咲良を、蓮先輩はまた、あの楽しそうな笑顔でじっと見つめていた。
その表情を見た瞬間、咲良はハッと我に返った。
(まただ……! またこの人、咲良のペースを乱して面白がってる……!)
「っていうか! そんな悲しいことにならないように、私が絶対に何とかします! もういいですか!? じゃあ!」
恥ずかしさと悔しさでお腹が立ち、咲良は捨て台詞のように叫んでその場を立ち去ろうとした。
けれど、踏み出そうとした咲良の右腕を、綾瀬先輩の大きな掌がガシッと力強く掴んだ。
「あ――」
振り返ろうとした咲良の視線を受け止めるように、蓮先輩はぐっと顔を近づけてきた。
その顔には、さっきまでの悪戯っぽい笑みはひとかけらもなく、咲良の心の奥の薄氷を叩き割るような、どこまでも真剣な色彩が宿っている。
「待って。じゃあさ、好きな子を危ない奴から守る、心の優しい良い奴が……たまたま、ヤンキーだったら?」
「……っ!」
心臓が、ドクンと耳が痛くなるほどの音を立てて跳ね上がった。
それはまさに、一昨日の夕暮れ、あの薄暗い空き地で彼が咲良のためにしてくれたこと、そのもので。
目の前にある、吸い込まれそうなほど綺麗で、どこまでも真っ直ぐな綾瀬先輩の瞳。
その強い光に、咲良の心の奥のガラスの盾が、今度こそ粉々に砕けてくらっと眩暈を起こしそうになる。
頬が、耳の先が、身体中の血が集まったみたいに一気に熱くなっていくのが分かった。
咲良はこれ以上彼の顔を見ていられなくなり、限界まで赤くなった顔を少しだけ横へ逸らしながら、震える声を絞り出した。
「……っでも、付き合えませんから」
蚊の鳴くような、それでも精一杯の拒絶の言葉。
咲良は蓮先輩の手首にそっと手を添え、自分の腕を掴んでいた彼の温かい掌を、ゆっくりと、けれど確かに振りほどいた。
綾瀬先輩は今度は無理に引き止めようとはせず、少しだけ寂しそうな顔をして、咲良の手が離れていくのを見つめていた。
咲良は逃げるように踵を返すと、今度こそ振り返らずに鉄の扉へと走った。
ガシャン、と重苦しい音を立てて屋上のドアが閉まる。
一人、青空の下に取り残された蓮の元から、咲良は胸を押さえて階段を駆け下りながら、バクバクと暴れる心臓を必死に宥めていた。
大嫌いなはずなのに。
関わってはいけない不良なはずなのに。
なのに、どうして自分の心は、あんなにも簡単に揺さぶられてしまうのだろう。
ガシャン、と重苦しい音を立てて屋上の鉄の扉が閉まり、咲良の足音が階段の向こうへ遠ざかっていく。
一言、彼に話しかけた。
綾瀬先輩はベンチに腰掛けたまま、コンビニのガムの包み紙を細い指先で器用に折り、小さな鶴を完成させながら「んー? どーしたの?」とニコニコして咲良を見上げた。
その無防備な笑顔に流されそうになるのを、咲良は心のバリアでぐっと押し殺す。
「約束通り、昼食を一緒にするのは今日で最後ですから。――もう、私に関わらないでください」
真っ直ぐにそう告げた咲良に対し、綾瀬先輩は完成したばかりの銀色の鶴を手のひらに乗せ、きょとんとした顔で首を傾げた。
「なんで? 別に良くね?」
「よくないです!」
咲良はピシャリと言い返し、彼を真っ正面から睨みつけた。
「……私から言うのもすごく癪なんですけど。もし万が一、先輩が私のことを好きになったとして、これから付き合ったりとか……そういうの、普通に無理なんで。そもそも私、ヤンキーとか不良の人種は論外だし。約束通り、もうこれで終わりにしてください」
咲良の冷徹な宣言に、屋上を吹き抜ける風の音だけが響いた。
綾瀬先輩は少しだけ間を置いて、手の中の鶴をポケットにしまうと、顔をわずかに傾けて咲良をじっと見つめた。
蜂蜜色の前髪の隙間から、あの吸い込まれそうな瞳が咲良を射抜く。
「ふーん。ヤンキーじゃなければ、いいんだ?」
「え……?」
「でもさ、例えばだけど」
綾瀬先輩はベンチからゆっくりと立ち上がり、咲良との距離をじりと詰めた。
「咲良ちゃんがこれから先、一生に一度の大好きな男ができたとして……そいつが、ある日突然ヤンキーにでもなっちゃったら、どーすんの?」
「――っ」
その予想だにしない問いかけに、咲良の思考はぴたりと停止した。
もしも、自分が心から愛した人が、大嫌いなヤンキーになってしまったら?
あり得ない仮定のはずなのに、咲良の頭の中に、中学時代のあの凪くんの怯えた顔や、目の前にいる蓮先輩の太陽のような笑顔が、ぐちゃぐちゃに混ざり合って脳裏を過る。混乱が頭を支配し、咲良は言葉を失った。
「え?……それは……。えっと, その……」
動揺しながら必死に答えを探そうとする咲良を、蓮先輩はまた、あの楽しそうな笑顔でじっと見つめていた。
その表情を見た瞬間、咲良はハッと我に返った。
(まただ……! またこの人、咲良のペースを乱して面白がってる……!)
「っていうか! そんな悲しいことにならないように、私が絶対に何とかします! もういいですか!? じゃあ!」
恥ずかしさと悔しさでお腹が立ち、咲良は捨て台詞のように叫んでその場を立ち去ろうとした。
けれど、踏み出そうとした咲良の右腕を、綾瀬先輩の大きな掌がガシッと力強く掴んだ。
「あ――」
振り返ろうとした咲良の視線を受け止めるように、蓮先輩はぐっと顔を近づけてきた。
その顔には、さっきまでの悪戯っぽい笑みはひとかけらもなく、咲良の心の奥の薄氷を叩き割るような、どこまでも真剣な色彩が宿っている。
「待って。じゃあさ、好きな子を危ない奴から守る、心の優しい良い奴が……たまたま、ヤンキーだったら?」
「……っ!」
心臓が、ドクンと耳が痛くなるほどの音を立てて跳ね上がった。
それはまさに、一昨日の夕暮れ、あの薄暗い空き地で彼が咲良のためにしてくれたこと、そのもので。
目の前にある、吸い込まれそうなほど綺麗で、どこまでも真っ直ぐな綾瀬先輩の瞳。
その強い光に、咲良の心の奥のガラスの盾が、今度こそ粉々に砕けてくらっと眩暈を起こしそうになる。
頬が、耳の先が、身体中の血が集まったみたいに一気に熱くなっていくのが分かった。
咲良はこれ以上彼の顔を見ていられなくなり、限界まで赤くなった顔を少しだけ横へ逸らしながら、震える声を絞り出した。
「……っでも、付き合えませんから」
蚊の鳴くような、それでも精一杯の拒絶の言葉。
咲良は蓮先輩の手首にそっと手を添え、自分の腕を掴んでいた彼の温かい掌を、ゆっくりと、けれど確かに振りほどいた。
綾瀬先輩は今度は無理に引き止めようとはせず、少しだけ寂しそうな顔をして、咲良の手が離れていくのを見つめていた。
咲良は逃げるように踵を返すと、今度こそ振り返らずに鉄の扉へと走った。
ガシャン、と重苦しい音を立てて屋上のドアが閉まる。
一人、青空の下に取り残された蓮の元から、咲良は胸を押さえて階段を駆け下りながら、バクバクと暴れる心臓を必死に宥めていた。
大嫌いなはずなのに。
関わってはいけない不良なはずなのに。
なのに、どうして自分の心は、あんなにも簡単に揺さぶられてしまうのだろう。
ガシャン、と重苦しい音を立てて屋上の鉄の扉が閉まり、咲良の足音が階段の向こうへ遠ざかっていく。



