一夜のあと、君に溺れる

ずっと父とは時間が合わないから……なんて理由にしていたけれど、そんなの構っていられなくなった。病院内で父に会うことなんてしたことがなかったけれど、自分の仕事が終わってから初めて理事長室へ乗り込んだ。

「なんだ、桜子か。珍しいなここに来るなんて」

父はちらりとこちらを見ただけで、すぐに手元のモニターに視線を戻す。カタカタとキーボードを打ち込む無機質な音だけが室内に響く。

「お父さん、高崎先生のことなんだけど」

「ああ、会ったのか? なに、次のお見合い相手を決めてやっただけだよ」

「婚約者って言われたわ」

「そうか、高崎くんは乗り気か。よかったじゃないか」

「よくないわよ!」

「なぜ? 高崎くんは優秀な医師だぞ」

「だって私、ちゃんとお付き合いしてる人がいるの。お父さんにも紹介しようと思ってたの。だからお断りして」

そう言うと、カタカタ鳴り響いていたキーボード音が止まり、再びこちらを向いた。

「そうか。どこの医師だ?」

「医師じゃないわ」

「じゃあダメだな」

深いため息と共に、また視線はモニターへ。聞く耳持たないという態度に、怒りが込み上げる。

「お父さん!」

抗議の声を上げた瞬間、コンコンとノックする音が聞こえた。ガチャリと開いた扉から、入ってきたのは高崎先生だ。

「ああ、高崎くん。来たかね」

「お待たせして申し訳ありません。桜子さんも一緒だったんですね」

「……高崎先生」

「高崎くんと話があったんだが、桜子も来てくれてちょうどよかった。ちょうど今夜にでも紹介しようと思っていたんだ。今夜は三人で食事でもどうだ」

「もちろん喜んで。ね、桜子さん」

「いえ、あの……」

断ろうと口を開いたのに、「桜子」と父が鋭い視線を向ける。

そうだ、私は今まで父の持ってくるお見合い話を断ったことがなかった。父の言われるままお見合いをして、優秀な医師を神木坂総合病院の跡継ぎにしたいという、父の想いに反することなんてなかったのだ。