短編小説【四角い空】

点滴の針が刺さった左手は、いつも少しだけ冷たい。

優子はベッドの背もたれを起こし、今日も窓の外を眺めていた。
病院の窓から見える空は、サッシのアルミ枠に切り取られて、いつも完璧な正方形をしていた。
青い日も、灰色の日に澱んだ日も、その四角形だけが優子の世界のすべてだった。
ここにいると、自分が外の世界から忘れ去られた透明な存在になったような気がして、時々、息の仕方を忘れそうになる。

「ねえ、それ、ずっと見てて退屈じゃないの?」

突然の声をかけてきたのは、数日前、隣のベッドに入院してきた同い年くらいの少女、遥(はるか)だった。
遥は頭にバンダナを巻いていて、顔色は白い。でも、目が驚くほどギラギラと光っていた。

「……べつに。これしか見えないから、見てるだけだし」
優子はぶっきらぼうに返した。
病棟で友達なんて作りたくなかった。どうせいつか、どちらかが先に退院するか、あるいは、もっと悪い理由でいなくなる。情を移すのは、自分の心が傷つくだけの損な取引だと、優子はノートの裏に愚痴を書き殴るようなひねくれた性格をしていた。

だけど、遥はそんな優子の心の壁を、泥だらけの靴で踏み越えてくるみたいに笑った。
「じゃあさ、私の目がカメラね! 今から外の空、パシャッて撮ってくる!」

遥はそう言うと、看護師の目を盗んで、点滴スタンドをガラガラと鳴らしながらプレイルームの大きな窓へと走っていった。
危ないし、馬鹿みたいだ。優子は心の中で「お節介な奴」と毒づいた。でも、胸の奥がチリチリと痛むのを止められなかった。眩しかった。自分と同じように自由を奪われているはずなのに、なぜあんなに動けるのか。嫉妬と、ほんの少しの憧れ。

数分後、遥は息を切らせて戻ってきた。
「はいっ、撮ってきたよ!」

そう言って、遥は両手の親指と人差し指で四角い形を作り、優子の顔の前に突き出した。
その指の隙間から、遥の悪戯っぽい瞳が見える。

「今の空、すっごく変な形の雲がびゅーんって走ってたんだよ! 四角い窓からは見えなかったでしょ。はい、これ、優子へのお土産!」

優子は呆然と遥の手を見つめた。
指の隙間には、何も入っていない。ただの病室の空気だ。
でも、遥の指先がかすかに震えているのを見た。彼女だって、本当は体がキツくて、怖くて、必死に強がっているだけなのだと気づいた。
優しさなんかじゃない。これは、遥自身がここに負けないための、精一杯の足掻きなんだ。

(みんな、必死に生きてるんだな)

優子は小さく吹き出した。
「何それ、いみ分かんない。ただの指じゃん」

「あ、笑った! ひどーい、せっかく走ったのに!」
遥がぷくっと頬を膨らませる。

優子は自分の冷え切った左手を伸ばし、遥の作った「指のカメラ」の形を、そっと崩した。
そして、その少し汗ばんだ温かい手を、ぎゅっと握りしめた。

「ありがと。……つぎは、いっしょに見にいこうね」

窓の外の四角い空から、ゆっくりと夕暮れのオレンジ色が染み出してくる。
それは相変わらず狭い空だったけれど、隣にいる遥の体温のおかげで、今はもう、ちっとも冷たくは感じなかった。