退院が決まった日、二人は大人たちの目を盗んで、こっそりとSNSのアカウントを交換し、お互いをフォローし合った。
主治医からは「他の患者さんとの個人的な連絡先の交換は、お互いの治療のために絶対に禁止です」と強く言われていた。
それでも、あの暗い病棟で秘密を共有し合った二人の結びつきは、簡単に断ち切れるものではなかった。
「退院しても、絶対連絡してね。裏垢のID、ここに書いておくから」
「うん、絶対だよ。先生たちには内緒ね。私たちだけの秘密」
「約束。これがないと、私、外の世界で生きていけないもん」
「私もだよ、紬ちゃん。外に出ても、ずっと繋がっていようね」
退院後、少しだけ体の調子が良い日、楓は紬と街で待ち合わせをした。
「楓ちゃん、こっちこっち!」
「紬ちゃん! 久しぶり!」
二人は久しぶりの私服姿で、お気に入りのカフェに入った。
色鮮やかなクリームが乗ったドリンクを前に、スマートフォンのカメラを向けて笑い合う。
「見て見て、このパンケーキすごーい! 写真映え絶対するよ!」
「本当だ! 楓ちゃん、ドリンクと一緒にお皿持って。可愛く撮ってあげる!」
「ありがと! 紬ちゃんも入って、一緒に自撮りしよ!」
その後はゲームセンターへ向かい、最新のプリクラ機の中へ。
「どんなポーズにする?」
「これにしよ!」
レンズに向かってピースサインを作る楓の顔には、かつての「1軍少女」だった頃の、眩しい笑顔が戻っているように見えた。
そんな二人から、少し離れた場所。
買い物を装いながら、母親は静かに娘たちの後ろ姿を見守っていた。
(あの子が、あんなに笑ってる……)
母親の胸に、じわリと温かい涙が込み上げる。
主治医から連絡先交換の禁止を言い渡されていたことは、もちろん知っていた。
規則を破っている娘を叱るべきなのかもしれない。
けれど、ここ数年、苦痛に顔を歪めて泣き叫ぶ姿か、生気を失って天井を見つめる姿しか見せてくれなかった娘が、今、友達と楽しそうに笑っている。
(あの子が一時的でも、昔のように笑顔になってくれるなら……。今は、これでいいのかもしれない)
母親は複雑な葛藤を抱えながらも、目の前にある娘の「笑顔」という現実に、ただ救われるような思いを抱いていた。
その後も、二人は何度も都合を合わせては会って遊んだ。お互いの親が付き添う中で、カフェに行き、買い物をし、普通の女の子としての日常をなぞるように。
「楓ちゃん、あの服すっごく可愛い! 合わせてみてよ!」
「えー、私に似合うかな? 紬ちゃんの方がスタイル良いから似合いそう」
「そんなことないって、楓ちゃんは何着ても可愛いよ!」
「ふふ、じゃあ試着してみようかな!」
しかし、一歩街を出て、それぞれの部屋に戻れば、現実の重みが再び二人にのしかかる。
夜、薄暗い部屋でスマートフォンが震える。
画面を開くと、SNSには日中のきらびやかな写真とは真逆の、ドロドロとした暗い言葉が並んでいた。
紬:『やっぱり生きているの疲れた。今日もリスカしちゃった。腕ボロボロ』
楓:『わかるよ。私も今日、夕飯全然食べられなくて親の目がキツい。消えちゃいたいよね』
二人はSNSのタイムラインで、相変わらず暗くつらい日々の愚痴をお互いに吐き出し合っていた。
紬:『昼間はあんなに楽しかったのに、家に帰ると一気に現実に戻されて死にたくなる。あのお店のクリーム、今全部吐き出してきた。お腹痛い』
楓:『私も同じ。親が嬉しそうな顔で『お友達と楽しそうだったね』って言ってくるのが逆にプレッシャーで吐き気がする。私たちの苦しみ、親には一生わからないよね』
紬:『本当それ。楓ちゃんだけが私の理解者だよ。もう二人でどこか遠くへ消えちゃおっか』
楓:『うん、二人でなら怖くないかも……』
傷口を見せ合い、その痛みを肯定し合うことでしか、自分の存在を保てない。
(昼間のきらきらした私なんて、全部嘘っぱち。お人形さんの仮面を被って、普通の女の子のフリをしてただけ)
スマホの冷たい光が、暗い部屋で楓の青白い顔を照らし出す。
楽しかったはずのカフェの記憶は、帰宅後の激しい嘔吐によって、酸っぱい胃液の味と共にかき消されてしまっていた。
楽しければ楽しいほど、その後の反動が恐ろしい。
私はもう、普通の世界には戻れないんだって、突きつけられているみたい。
お母さんは私が笑っているのを見て安心してる。
それが苦しい。私は治ってなんかいないのに。
期待させないで、私に『元気な娘』を求めないで……!
紬ちゃんが腕を傷つける気持ちが、今は痛いほどよく分かる。
自分の身体を痛めつけたり、削ったりしていないと、生きている実感が湧かない。
私たちは二人で一つ。二人でこのドロドロの底に沈んでいるときだけが、本当の自分でいられる気がする……)
表面上のきらきらした笑顔の裏側で、二人はお互いの苦しみを舐め合うようにして、さらに深く、歪んだ依存の沼へと足を踏入れているのだった。
一度足を踏み入れたら二度と抜け出せない、甘く切ない絶望の泥濘の中で、楓は救いを求めるように、ひたすらスマートフォンを握りしめ、冷たい画面に指を走らせ続けていた。
主治医からは「他の患者さんとの個人的な連絡先の交換は、お互いの治療のために絶対に禁止です」と強く言われていた。
それでも、あの暗い病棟で秘密を共有し合った二人の結びつきは、簡単に断ち切れるものではなかった。
「退院しても、絶対連絡してね。裏垢のID、ここに書いておくから」
「うん、絶対だよ。先生たちには内緒ね。私たちだけの秘密」
「約束。これがないと、私、外の世界で生きていけないもん」
「私もだよ、紬ちゃん。外に出ても、ずっと繋がっていようね」
退院後、少しだけ体の調子が良い日、楓は紬と街で待ち合わせをした。
「楓ちゃん、こっちこっち!」
「紬ちゃん! 久しぶり!」
二人は久しぶりの私服姿で、お気に入りのカフェに入った。
色鮮やかなクリームが乗ったドリンクを前に、スマートフォンのカメラを向けて笑い合う。
「見て見て、このパンケーキすごーい! 写真映え絶対するよ!」
「本当だ! 楓ちゃん、ドリンクと一緒にお皿持って。可愛く撮ってあげる!」
「ありがと! 紬ちゃんも入って、一緒に自撮りしよ!」
その後はゲームセンターへ向かい、最新のプリクラ機の中へ。
「どんなポーズにする?」
「これにしよ!」
レンズに向かってピースサインを作る楓の顔には、かつての「1軍少女」だった頃の、眩しい笑顔が戻っているように見えた。
そんな二人から、少し離れた場所。
買い物を装いながら、母親は静かに娘たちの後ろ姿を見守っていた。
(あの子が、あんなに笑ってる……)
母親の胸に、じわリと温かい涙が込み上げる。
主治医から連絡先交換の禁止を言い渡されていたことは、もちろん知っていた。
規則を破っている娘を叱るべきなのかもしれない。
けれど、ここ数年、苦痛に顔を歪めて泣き叫ぶ姿か、生気を失って天井を見つめる姿しか見せてくれなかった娘が、今、友達と楽しそうに笑っている。
(あの子が一時的でも、昔のように笑顔になってくれるなら……。今は、これでいいのかもしれない)
母親は複雑な葛藤を抱えながらも、目の前にある娘の「笑顔」という現実に、ただ救われるような思いを抱いていた。
その後も、二人は何度も都合を合わせては会って遊んだ。お互いの親が付き添う中で、カフェに行き、買い物をし、普通の女の子としての日常をなぞるように。
「楓ちゃん、あの服すっごく可愛い! 合わせてみてよ!」
「えー、私に似合うかな? 紬ちゃんの方がスタイル良いから似合いそう」
「そんなことないって、楓ちゃんは何着ても可愛いよ!」
「ふふ、じゃあ試着してみようかな!」
しかし、一歩街を出て、それぞれの部屋に戻れば、現実の重みが再び二人にのしかかる。
夜、薄暗い部屋でスマートフォンが震える。
画面を開くと、SNSには日中のきらびやかな写真とは真逆の、ドロドロとした暗い言葉が並んでいた。
紬:『やっぱり生きているの疲れた。今日もリスカしちゃった。腕ボロボロ』
楓:『わかるよ。私も今日、夕飯全然食べられなくて親の目がキツい。消えちゃいたいよね』
二人はSNSのタイムラインで、相変わらず暗くつらい日々の愚痴をお互いに吐き出し合っていた。
紬:『昼間はあんなに楽しかったのに、家に帰ると一気に現実に戻されて死にたくなる。あのお店のクリーム、今全部吐き出してきた。お腹痛い』
楓:『私も同じ。親が嬉しそうな顔で『お友達と楽しそうだったね』って言ってくるのが逆にプレッシャーで吐き気がする。私たちの苦しみ、親には一生わからないよね』
紬:『本当それ。楓ちゃんだけが私の理解者だよ。もう二人でどこか遠くへ消えちゃおっか』
楓:『うん、二人でなら怖くないかも……』
傷口を見せ合い、その痛みを肯定し合うことでしか、自分の存在を保てない。
(昼間のきらきらした私なんて、全部嘘っぱち。お人形さんの仮面を被って、普通の女の子のフリをしてただけ)
スマホの冷たい光が、暗い部屋で楓の青白い顔を照らし出す。
楽しかったはずのカフェの記憶は、帰宅後の激しい嘔吐によって、酸っぱい胃液の味と共にかき消されてしまっていた。
楽しければ楽しいほど、その後の反動が恐ろしい。
私はもう、普通の世界には戻れないんだって、突きつけられているみたい。
お母さんは私が笑っているのを見て安心してる。
それが苦しい。私は治ってなんかいないのに。
期待させないで、私に『元気な娘』を求めないで……!
紬ちゃんが腕を傷つける気持ちが、今は痛いほどよく分かる。
自分の身体を痛めつけたり、削ったりしていないと、生きている実感が湧かない。
私たちは二人で一つ。二人でこのドロドロの底に沈んでいるときだけが、本当の自分でいられる気がする……)
表面上のきらきらした笑顔の裏側で、二人はお互いの苦しみを舐め合うようにして、さらに深く、歪んだ依存の沼へと足を踏入れているのだった。
一度足を踏み入れたら二度と抜け出せない、甘く切ない絶望の泥濘の中で、楓は救いを求めるように、ひたすらスマートフォンを握りしめ、冷たい画面に指を走らせ続けていた。
