第1話 – 5ページ目:偶然の出会い
朝だった。
陽の光が大きな窓から廊下へと差し込み、生徒たちの影を壁に映し出していた。
イロは女子生徒の昇降口前に立っていた。今日はカフェのエプロンはなく、普段着を身につけている。手には小さな白い封筒を持っていた。
中年の女性がドアの向こうから現れ、改まった口調で言った。
「これを3年A組の担任、佐藤先生に渡してもらえるかしら?」
イロは数秒封筒を見つめ、次に時計に目をやった。
カフェの開店は11時。今は10時20分。まだ時間はあった。
「はい、大丈夫です。」
封筒を受け取り、彼は廊下へと足を踏み入れた。
廊下は賑わっていた。生徒たちが教室と教室の間を行き交っている。数人の女子生徒が笑いながら彼の横を通り過ぎ、一瞬、好奇心を帯びた視線を投げかけた。
ふと、少し先に人だかりができているのが目に入った。
そこには――ミヤがいた。
数人の生徒が彼女の周りに輪を作っている。その前に、小さな女子生徒が立っていた。うつむき、両手を固く握りしめ、目には涙が浮かんでいた。
ミヤが冷たく澄んだ声で言った。
「何度言えばわかるの?」
小さな女子生徒は震え上がり、何も答えられずにいた。
イロは足を止め、その光景をじっと見つめた。
心の中で、何かが動いた。
「これを――見て見ぬふりはできない。」
彼は一歩を踏み出し、人だかりをかき分け、ミヤの隣に立った。
ミヤが振り返り、目を見開いた。
「…なに?」
イロは静かに言った。
「何をしているんだ?」
ミヤは眉をひそめ、冷ややかな笑みを浮かべた。
「あなた…どうしてここにいるの?」
イロは答えず、手にした封筒を軽く掲げて見せた。
「これを届けに来ただけだ。」
そして、小さな女子生徒に一瞬視線を落とし、再びミヤに向き直った。
「でも今は――それよりも大事なものを見た。」
ミヤの表情がわずかに曇る。しかし、その誇りは決して手放さなかった。
「あんたに関係ないでしょ、カフェの店員さん。」
イロは微笑んだ。嘲笑ではなく、どこか哀れみにも似た、そんな笑みだった。
「綺麗で、お金持ちでも――中身がゼロなら、やっぱりゼロだ。」
その言葉が、廊下に静かに響いた。
数人の生徒が息を呑んだ。
ミヤの目が見開かれる。それは表面的な怒りではなかった。もっと深い、芯に触れるものだった。
これまで、誰も彼女にこんな言葉を投げかけた者はいなかった。
「な――っ…!」
声が震える。恐怖からではない。誇りを傷つけられた怒りからだった。
イロはもう彼女を見なかった。
小さな女子生徒の方へ向き直り、封筒をそっと彼女の手に乗せた。
「これを先生に渡してくれ。」
少女は涙に濡れた目で彼を見上げた。何も言えなかった。けれど、その目は語っていた。
イロはミヤを振り返らずに廊下を去っていった。
背後の喧騒が次第に大きくなる。
ミヤはその場に立ち尽くしていた。周りにはまだ友人がいたが、笑い声は彼女にとってただの雑音に過ぎなかった。
小さな女子生徒は封筒を抱え、静かにその場を離れた。
ミヤは、彼女の背中を見送りながら――深く息を吸った。
そして心の中で、誰にともなく呟いた。
「この男――いったい何者なんだ…?」
