第3話 – 15ページ目:祭りの夜
7月25日 – 夏祭りの夜
午後6時47分
夕暮れの光が、ミヤの部屋の窓からゆっくりと遠ざかっていく。
ミヤは、鏡の前に立っていた。
濃い藍色の浴衣に、白い波模様。シンプルだけれど、どこか緻密で。
彼女の背後で、母がそっと帯を締めている。その手の動きは、あまりにも自然で――何年も前から、こうして祭りのたびに繰り返されてきたかのようだった。
「似合ってるよ。」
ミヤは、鏡の中の自分を見た。
「…そう?」
母は微笑み、帯の結び目をきゅっと締めた。
「帯、覚えてる?」
ミヤは笑った。
「忘れるわけないよ。」
短い沈黙。
母は、そっと彼女の肩に手を置いた。
「楽しんで。でも無理はしないでね。」
ミヤはうなずいた。
「行ってくる。」
午後7時15分 – 隅田川の街並み
夜は、いつもより早く訪れていた。
灯りが、群衆の上で揺らめく。笑い声、音楽、足音――すべてが混ざり合い、ひとつの大きな鼓動のように流れていた。
四人は、並んで歩いていた。
色とりどりの浴衣、結い上げた髪、夏の熱い風。
ユカが、興奮した声で言った。
「やばい、人多すぎ!」
ハナの目が、期待で輝く。
「花火まだなのに、この感じ最高!」
リナが、少しだけ静かな声で尋ねた。
「イロさん…来るかな。」
ミヤは、一瞬だけ間を置いた。
視線を、通りの先へと向ける。
群衆。
灯り。
音。
「…わからない。でも、来ると思う。」
午後7時40分 – 隅田川の橋のほとり
屋台の香りが、空気の中に混ざり合う。
遠くから太鼓の音が聞こえ、近づき、また遠ざかる。
ミヤは、少しだけ群衆から離れた。
スマホを取り出す。
画面が光る。 「イロ」
いくつかの古いメッセージを読む。
「待っててくれる?」
「うん。ありがとう。」
彼女の指は、画面の上で止まったまま。
それから、そっとスマホをバッグにしまった。
顔を上げる。
満月が、かすかな雲の切れ間から、かすかに覗いていた。
その光が、川の上に落ちている――どこに降りるべきか迷っているかのように。
ミヤは、静かに言った。
「どこにいても、待ってるよ。」
そして、その音と光の渦の中で――
彼女はただ、待っていた。
