陽貴side
あの激動のドームツアーを無事に終え、数日が経ったある日の深夜
いつものように過酷な深夜撮影をすべてこなし、心地よい疲労を連れて我が家へと帰宅した
そっと寝室のドアを開けると、紗凪はベッドの中で柔らかな寝息を立てて、一足先に深い眠りについていた
連日の救命の仕事で、彼女にもかなりの疲れが溜まっているのだろう
俺は彼女を起こさないよう静かに扉を閉め、一人静まり返ったリビングへと移動した
ソファに深く身体を預け、大きな窓の外に広がるきらびやかな東京の夜景を眺める
耳に届くのは、穏やかな部屋の静寂だけ
ほんの数か月前まで、俺たちを奈落の底へ突き落としていたあの悍ましい大騒動が、まるで遠い夢だったかのように嘘みたいに静かだった
『黒騎士』は名実ともに4人に戻った
奏も地獄から無事に生還した
復帰のステージも、これ以上ないほどの大成功を収めた
ようやく。本当に、ようやく
俺たちのすべてが、あるべき形へと戻ってきたんだと、肌で実感していた
満たされた心地よさの中で一息ついた、まさにその時だった
——ピロン
ローテーブルの上に置いたスマートフォンが、短く電子音を響かせて震えた
こんな夜更けに仕事関係の緊急連絡かと思い、何気なく画面へと手を伸ばす
けれど、液晶にポップアップされた差出人の名前を目にした瞬間、俺の眉がぴくりと跳ね上がった
『母』
……珍しいこともあるもんだ
基本的に我が道を行くタイプで、連絡といえば突然の国際電話ばかり
メールやLINEの文字なんて、めったに送ってこない人なのに
一体なんだろうと首を傾げながら、受信トレイのアイコンをタップした
液晶の冷たい光の中に、短いけれど、あまりにも破壊力のある文章が映し出される
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
件名:びっくりしちゃったわ!
陽貴へ
突然メールを送ってきたと思ったら
「会わせたい大切な人がいる」なんて!
もう、ママ本当にびっくりしちゃったじゃない。
というわけで、近いうちにたーくんと一緒に“そっち”へ帰るわね。
今から会えるのをすっごく楽しみにしてるわ♪
母より
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「……」
数秒の間、俺の思考は完全にフリーズした
網膜から入ってきた文字が、脳内で上手く結びつかない
それから、ワンテンポ遅れてその言葉の持つ本当の意味を理解した瞬間——
「……は?」
誰もいないリビングに、素っ頓狂な声が漏れていた
いや、待て。待て待て待て。母さん
いくらなんでも、いくらなんでも行動が早すぎないか……!?
俺は慌ててスマートフォンを持ち直し、穴が開くほど液晶画面を見返した
けれど、何度読み返そうがそこに並ぶ文字が変わるはずもない
近いうちに、日本へ帰る
そして何より、一人ではなく『たーくん』を連れてくる、と
たーくん
……それは、俺の父親のことだ
世間ではその名を知らない者はいない、敏腕の有名実業家
今はフランスのパリに本拠地を置き、世界を相手に会社を経営している、文字通りの大物
我が親ながら呆れることに、母さんは結婚して三十年近くが経つ今でも、父親のことを付き合いたての恋人のように「たーくん」と呼ぶ
そして父親は父親で、母さんのことを目に入れても痛くないといった様子で「みーちゃん」と呼ぶ
エッフェル塔やセーヌ川の美しい街並みを背景に、フランスから定期的に送られてくる写真は、どれもこれも熟年夫婦のそれではなく、ただの甘ったるいデート写真ばかり
二人で高級ワインを傾け、二人でプライベートクルーズを楽しみ、二人で世界中をバカンスしている
たまに送りつけられてくるプライベート動画なんて、息子である俺が見ているこっちが赤面して画面を伏せたくなるレベルのご馳走様状態だった
正直、一人息子としては「いい歳して何やってんだ」と呆れ果てている
だけど、そんな浮世離れした二人だからこそ、誰よりもお互いのことを一途に、心の底から大切に愛し合っていることも、誰より分かっていた
だからこそ
今回のメールの裏にある、本当の意味が痛いほど分かってしまう
母さん一人だけじゃない、あの父親までもが揃って日本へやってくる
それが意味することなんて、一種類しかあり得ない
恋人を『家族』に紹介する
それはつまり——
俺はソファのヘッドレストに頭を預け、白無地の一点を見つめた
「いやいやいや……嘘だろ……」
日本に降り立った瞬間の、母さんのあの嬉々とした浮かれ面がありありと目に浮かぶ
初対面の挨拶もそこそこに、紗凪の手を握り締めて『ねえ、結婚式はいつにする予定なの!?』とか平気で言い出す未来が、容易に想像できてしまう
そして父親は父親で、いつもの人当たりの良い紳士的な笑顔を崩さないまま、経営者特有の鋭い観察眼で一瞬にして本質を突いてくるタイプだ
相手が百戦錬磨の経営者だからこそ、余計に厄介極まりない
そして何より……二人とも、一瞬で紗凪のことを気に入る
それだけは、何があっても断言できた
彼女の持つあの凛としたプロとしての格好良さと、普段の呆れるほど愛らしい天然なギャップ
あの一途で真っ直ぐな性格を見れば、あの親たちが一瞬で絆され、その場で外堀を埋めるように結婚の話を猛スピードで進める可能性すらある
……あの二人なら、普通にやりかねない
結婚。本当の、家族。二人の、これからの未来
今まで、どこか遠い先の、漠然とした絵空事のようにしか考えていなかった大きなイベントが、今、手のひらの上で少しずつ、けれど劇的な現実味を帯びて動き出そうとしていた
ふと視線を動かし、固く閉ざされた寝室のドアを見つめる
あの扉の向こうでは、これから自分の身に降りかかる壮大な嵐のことなんて一ミリも知らない紗凪が、無防備にすやすやと眠っている
俺の口元から、愛おしさと可笑しさが混ざり合った優しい笑みがこぼれ落ちた
「……大変なことになったぞ、紗凪」
もちろん、静かな部屋から返事なんて返ってくるはずもない
だけど、驚いて目を丸くするであろう彼女の愛らしい寝顔を思い浮かべるだけで、胸の奥からどうしても温かい笑いが込み上げてしまうんだ
手の中のスマートフォンを、もう一度強く握り締める
液晶画面の最後の一行に刻まれた、文字
『たーくんと“そっち”へ帰るわね』
俺はしばらくの間、その文字列を愛おしそうに、そして覚悟を決めるようにじっと見つめ続けた
それから、胸の最奥に眠っていた熱い想いを呼び起こすように、静かに、深く息を吐き出す
——俺たちの、二人の未来が
今、最高の希望を孕みながら、少しずつ、けれど確実に動き始めていた
【トップアイドルは白衣の天使に恋をする -Rebirth- 完】
あの激動のドームツアーを無事に終え、数日が経ったある日の深夜
いつものように過酷な深夜撮影をすべてこなし、心地よい疲労を連れて我が家へと帰宅した
そっと寝室のドアを開けると、紗凪はベッドの中で柔らかな寝息を立てて、一足先に深い眠りについていた
連日の救命の仕事で、彼女にもかなりの疲れが溜まっているのだろう
俺は彼女を起こさないよう静かに扉を閉め、一人静まり返ったリビングへと移動した
ソファに深く身体を預け、大きな窓の外に広がるきらびやかな東京の夜景を眺める
耳に届くのは、穏やかな部屋の静寂だけ
ほんの数か月前まで、俺たちを奈落の底へ突き落としていたあの悍ましい大騒動が、まるで遠い夢だったかのように嘘みたいに静かだった
『黒騎士』は名実ともに4人に戻った
奏も地獄から無事に生還した
復帰のステージも、これ以上ないほどの大成功を収めた
ようやく。本当に、ようやく
俺たちのすべてが、あるべき形へと戻ってきたんだと、肌で実感していた
満たされた心地よさの中で一息ついた、まさにその時だった
——ピロン
ローテーブルの上に置いたスマートフォンが、短く電子音を響かせて震えた
こんな夜更けに仕事関係の緊急連絡かと思い、何気なく画面へと手を伸ばす
けれど、液晶にポップアップされた差出人の名前を目にした瞬間、俺の眉がぴくりと跳ね上がった
『母』
……珍しいこともあるもんだ
基本的に我が道を行くタイプで、連絡といえば突然の国際電話ばかり
メールやLINEの文字なんて、めったに送ってこない人なのに
一体なんだろうと首を傾げながら、受信トレイのアイコンをタップした
液晶の冷たい光の中に、短いけれど、あまりにも破壊力のある文章が映し出される
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
件名:びっくりしちゃったわ!
陽貴へ
突然メールを送ってきたと思ったら
「会わせたい大切な人がいる」なんて!
もう、ママ本当にびっくりしちゃったじゃない。
というわけで、近いうちにたーくんと一緒に“そっち”へ帰るわね。
今から会えるのをすっごく楽しみにしてるわ♪
母より
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「……」
数秒の間、俺の思考は完全にフリーズした
網膜から入ってきた文字が、脳内で上手く結びつかない
それから、ワンテンポ遅れてその言葉の持つ本当の意味を理解した瞬間——
「……は?」
誰もいないリビングに、素っ頓狂な声が漏れていた
いや、待て。待て待て待て。母さん
いくらなんでも、いくらなんでも行動が早すぎないか……!?
俺は慌ててスマートフォンを持ち直し、穴が開くほど液晶画面を見返した
けれど、何度読み返そうがそこに並ぶ文字が変わるはずもない
近いうちに、日本へ帰る
そして何より、一人ではなく『たーくん』を連れてくる、と
たーくん
……それは、俺の父親のことだ
世間ではその名を知らない者はいない、敏腕の有名実業家
今はフランスのパリに本拠地を置き、世界を相手に会社を経営している、文字通りの大物
我が親ながら呆れることに、母さんは結婚して三十年近くが経つ今でも、父親のことを付き合いたての恋人のように「たーくん」と呼ぶ
そして父親は父親で、母さんのことを目に入れても痛くないといった様子で「みーちゃん」と呼ぶ
エッフェル塔やセーヌ川の美しい街並みを背景に、フランスから定期的に送られてくる写真は、どれもこれも熟年夫婦のそれではなく、ただの甘ったるいデート写真ばかり
二人で高級ワインを傾け、二人でプライベートクルーズを楽しみ、二人で世界中をバカンスしている
たまに送りつけられてくるプライベート動画なんて、息子である俺が見ているこっちが赤面して画面を伏せたくなるレベルのご馳走様状態だった
正直、一人息子としては「いい歳して何やってんだ」と呆れ果てている
だけど、そんな浮世離れした二人だからこそ、誰よりもお互いのことを一途に、心の底から大切に愛し合っていることも、誰より分かっていた
だからこそ
今回のメールの裏にある、本当の意味が痛いほど分かってしまう
母さん一人だけじゃない、あの父親までもが揃って日本へやってくる
それが意味することなんて、一種類しかあり得ない
恋人を『家族』に紹介する
それはつまり——
俺はソファのヘッドレストに頭を預け、白無地の一点を見つめた
「いやいやいや……嘘だろ……」
日本に降り立った瞬間の、母さんのあの嬉々とした浮かれ面がありありと目に浮かぶ
初対面の挨拶もそこそこに、紗凪の手を握り締めて『ねえ、結婚式はいつにする予定なの!?』とか平気で言い出す未来が、容易に想像できてしまう
そして父親は父親で、いつもの人当たりの良い紳士的な笑顔を崩さないまま、経営者特有の鋭い観察眼で一瞬にして本質を突いてくるタイプだ
相手が百戦錬磨の経営者だからこそ、余計に厄介極まりない
そして何より……二人とも、一瞬で紗凪のことを気に入る
それだけは、何があっても断言できた
彼女の持つあの凛としたプロとしての格好良さと、普段の呆れるほど愛らしい天然なギャップ
あの一途で真っ直ぐな性格を見れば、あの親たちが一瞬で絆され、その場で外堀を埋めるように結婚の話を猛スピードで進める可能性すらある
……あの二人なら、普通にやりかねない
結婚。本当の、家族。二人の、これからの未来
今まで、どこか遠い先の、漠然とした絵空事のようにしか考えていなかった大きなイベントが、今、手のひらの上で少しずつ、けれど劇的な現実味を帯びて動き出そうとしていた
ふと視線を動かし、固く閉ざされた寝室のドアを見つめる
あの扉の向こうでは、これから自分の身に降りかかる壮大な嵐のことなんて一ミリも知らない紗凪が、無防備にすやすやと眠っている
俺の口元から、愛おしさと可笑しさが混ざり合った優しい笑みがこぼれ落ちた
「……大変なことになったぞ、紗凪」
もちろん、静かな部屋から返事なんて返ってくるはずもない
だけど、驚いて目を丸くするであろう彼女の愛らしい寝顔を思い浮かべるだけで、胸の奥からどうしても温かい笑いが込み上げてしまうんだ
手の中のスマートフォンを、もう一度強く握り締める
液晶画面の最後の一行に刻まれた、文字
『たーくんと“そっち”へ帰るわね』
俺はしばらくの間、その文字列を愛おしそうに、そして覚悟を決めるようにじっと見つめ続けた
それから、胸の最奥に眠っていた熱い想いを呼び起こすように、静かに、深く息を吐き出す
——俺たちの、二人の未来が
今、最高の希望を孕みながら、少しずつ、けれど確実に動き始めていた
【トップアイドルは白衣の天使に恋をする -Rebirth- 完】


