夢の中でしか会えない君と、四角い空の卒業写真


〈この調べと ともに〉

卒業写真
作詞・作曲:荒井由実



2026。

それに憶えがあった。
店内にたゆたう、シアバターの甘い香り。

帰社途中に寄ったカフェにて。
その香りは、「空腹と、何か別の飢え」を満たしたいという本能を刺激する。

無意識に、スマホのアルバムをタップしていた。
映し出されたのは、四年前の写真。

困り顔の僕。長身を屈めニヤけている陽太。その間で涙と笑みを浮かべている夕香。

二人は、僕からどんな匂いを嗅ぎとれたのだろう?
答えはわからない。
もう、会うことはできないのだから。

2019。

高校は、匂いがひしめき合う場所だ。

雑巾とワックス。
雨が目覚めさせたグラウンドの土。
図書室の本棚からはバニラの香り。

その舞台上の、出演者の香り。
炒めたウィンナー。
焦げパン風の日焼けの匂い。
下駄箱の泥。
制服の柔軟剤。
コンディショナー、ヘアミスト、リップクリームなど。
放課後近くなると、それらはやや身を潜め、多様な汗の匂いが主役に。

匂いそのものが高校生活だった……はずだ。

2020。

終わりが見えない「無香空間・時間」の始まり。
強いて言えば、エタノールの静寂と虚構の香り。

タブレット越しの授業。
オンラインでの学園祭。

画面に映し出される、大げさな身振り手振りを見ていると余計に不安が増す。
本当に僕たちは存在しているのか?
存在しているフリをしてるだけじゃないのか?

2021。

誰もがその閉塞感から逃げ出したかったのだろう。あるスマホアプリが登場し、学校公認でそれが広まった。

名前は、REM-Verse(レム・バース)。

文字通り、睡眠アプリとメタバースを合わせたようなもので、夢の中で仮想体験を味わえる。

コミュニティ機能もあり、「自分」と「誰か」と「誰か」の三名限定だけど、仮想体験を共有できる。
夢の中の体験だけに、映像、音、寒暖、触感、味、そして、匂いも感じられる。

学校の推奨もあり、アプリはあっという間に広まった。オンラインでは得られない触れ合い……「いつメン」ができる期待。

だから、「青春体験トリオ」が数多く生まれたが、僕はそれに乗り遅れた、いや、乗れなかった。
画面越しのクラスメイト達は、どこか関係ない世界にいるように感じられたから。不自然な笑顔と当たり障りのない会話。
そこにいるのは本当に生身の人間なのか?

僕はそのアプリに「仮想クラスメイト」生成機能を発見した。設定には手間どったものの、結局、友達が欲しかったのだ。



「君の呼び名は、『クン君』にしよう! 匂いフェチだものね」
夕香にそう名づけられた。

「陽太に夕香にクン君……僕だけ不公平じゃないかな?」
文句を言ったが、彼女はテヘヘと笑うだけ。

「ハハハ、それな! だってお前、俺の体臭もクンクン嗅いでただろ?」
割って入ったのは、百八十センチでバスケ部エースの陽太。

こんな会話から、僕と仮想クラスメイトとの学園生活が始まった。

帰宅部の僕は、調理部所属の夕香に呼ばれてお菓子の試食(=失敗作処理係)につきあったり。

陽太のバスケが終わるのを待って三人でショッピングモールをうろついたり。

時には真面目に図書館で勉強したり、夢を語ったり。調香師になりたいと言うと、天職だと冷やかされた。

夢一夜、二夜、三夜……僕たちは行動を共にした。



「あのね、アタシね……陽太に告られた」

「え!?」

誰もいない教室で夕香がいきなり僕に打ち明けた。

そして、彼女は僕の肩に頭をぶつけ、涙を流した。
シアバターの香り。だけでなく、女の子も頭皮の匂いがすることを知った。

「でね、陽太に言ったの……ずっとこの三人で一緒にいたいからって」
それを聞いて、僕は彼女に告白するチャンスを失ってしまった。

翌日、陽太からも夕香にフラれたと聞いた。

「これからも三人でよろしく!」
カラ元気気味に発せられたその言葉は、多分彼が背伸びしてつけた、シダーウッドの香りのようにほろ苦かった。

2022。

重大なミスに気づく。

何でそんな大事なことを忘れていた?

このアプリの使用期限。
卒業式当日に自動で消去される。

式の前夜。
二人にそれを打ち明けた。表情から察するに、知っていたようだ。

「ねえ、三人で写真を撮ろうよ!」

夕香はスマホを取り出し、僕と陽太の間に割り込み、手をぐいと斜め上に伸ばす。

乾いたシャッター音。

彼女はそのまま僕達を両腕で強く抱き、大声で泣いた。

翌朝。

枕元のスマホを見る。アプリのアイコンは無い。

メールの着信音。

タップする。

「サービスのご利用、ありがとうございました」

メッセージに添付されていたのは、夕香が撮ってくれた、三人だけの卒業写真。

2026。

「ひょっとして、クン君!?」

カウンターから出てきた店員さんが、信じがたい名前を呼んだ。

「ゆ、夕香か? なんで、ここに……それに、何で僕だって?」

「決まってるだろ?」
シダーウッドの香り。振り向くと長身のスーツ姿の若者。

彼は続ける。
「お前の香りがしたからさ」

「僕の香り?」

「『タイム』の香りだ。時間を越え、俺たち三人を繋ぐ、『ブリッジ・ノート』な」