貴方に出会えてよかった~膵臓がん患者の恋物語

愛斗は横たわる病院のベッドの上で、重たいまぶたをゆっくりと開けた。
貧血の症状がこのところ急激に悪化し、体中から力が抜けていくような感覚が常につきまとっていた。
子供の頃から彼は貧血気味で、顔色はいつも青白く、少し走ったり体を動かしたりしただけで、すぐに息を切らしてしまう体質だった。同級生たちが校庭で駆け回ったり、笑い合ったりする様子を、ただ遠くから眺めていることしかできず、気がつけば周りに親しい友達は一人もいなくなっていた。
それから三十年近くの月日が流れ、三十五歳になった今も、体調を崩すたびにこうして病院へ戻ってくる。見慣れた病室の天井も、長い病院の廊下も、まるで自分の居場所であるかのように、冷たくもどこか安心できる空間になっていた。
この日、点滴の合間に少しだけ気分転換をしようと、愛斗はゆっくりとベッドから立ち上がり、病棟内の売店へと足を向けた。棚に並ぶ色とりどりの菓子や飲み物を、ぼんやりと目で追いながら歩いていたとき、角を曲がった瞬間、急ぎ足で現れた誰かと正面からぶつかってしまった。
「すみません!」
衝撃で体が少しふらつきながらも、愛斗は慌てて声を上げ、深く頭を下げた。
相手に怪我はないだろうかと、心配になって顔を上げたその瞬間――彼の時間は、まるで止まったかのように感じられた。
そこに立っていたのは、柔らかな雰囲気に包まれた女性だった。
驚いたように目を丸くする表情も、謝罪の言葉とともに少しだけ困ったように眉を下げる様子も、窓から差し込む光の加減で、ほのかに輝いて見えるその瞳も、何もかもが愛斗の心をわしづかみにした
生まれてこの方、誰かに対して特別な感情を抱いたことなど一度もなかった彼が、この瞬間、はっきりと恋に落ちた自分を感じていた。
「こちらこそ、急いでいてごめんなさいね」
女性は柔らかな声でそう言って、にっこりと微笑んだ。
その笑顔に胸の奥が熱くなるのを感じながら、愛斗は意を決して口を開いた。
「あの……もしかして、この病院に入院されているんですか?」
「はい、そうなんです。あなたもそうですの?」
女性の問いかけに、愛斗は自分もこの病院に入院していること、体調を崩してここへ戻ってきたばかりであることを伝えた。
お互いに自己紹介をし、話をしていくうちに、二人は次第に打ち解けていった。彼女の名前は西塔四織といい、愛斗とはまた違う病気で入院生活を送っていること、時折病棟内を散歩するのが気分転換になっていることなど、ゆっくりと話してくれた。四織の話す言葉はどれも柔らかく、病院という閉ざされた空間の中にいることを忘れさせてくれるようだった。
気がつけば話し始めてから一時間ほどが経っていた。窓の外の光が少しずつ傾き始めているのを見て、二人は慌てて病室へ戻ることにした。
自分の病室へ戻った後も、愛斗の胸の中は激しい鼓動でいっぱいだった。四織の笑顔、声、話してくれた言葉の一つ一つが、何度も頭の中に浮かんでは消え、また浮かんでくる。これほど誰かのことを考え続けたのは、生まれて初めてのことだった。
そんなことを思い巡らせているうちに、いつしか眠りに落ち、次の日の朝が訪れた。
目を覚ました愛斗は、昨日のことが夢ではなかったことを確かめるように、ゆっくりと身支度を整え、病室を出た。少しでも四織に会えれば、そんな期待を抱きながら歩いていくと、彼女が自分の病室の前で、どこか困ったように立ち尽くしている姿が目に入った。
何か問題でもあったのだろうか。愛斗は足早に近づき、声をかけた。
「四織さん、どうかしたんですか? 病室に入れないようですけど……」
彼の問いかけに、四織は少しだけためらうような表情を見せた後、小さな声で答えた。
「愛斗さん……実は、同じ部屋に入院されている患者さんが、今ちょうど看護師さんに怒鳴っているみたいで。何だか雰囲気が悪くて、なかなか中に入りづらくて……」