「放課後、君の隣で」

「日直、黒板お願い」

担任の言葉に、結衣は小さく「はい」と返事をした。

放課後の教室。
みんなはもう部活や帰宅でいなくなっていて、静かな空気だけが残っている。

チョークを持ちながら、結衣は小さくため息をついた。

「早く帰りたいな……」

その時。

「まだ終わってない?」

後ろから声がして、結衣はびくっと肩を揺らした。

振り向くと、窓際の席に座っていたのは神谷蓮だった。

クラスでも有名な男子。
無口で、あまり笑わなくて、少し近寄りがたい人。

「か、神谷くん……いたんだ」

「忘れ物取りに来た」

短い返事。
やっぱり怖いかも、と結衣は思う。

慌てて黒板を消そうとした瞬間、手が滑った。

「あっ——」

バランスを崩しかけた結衣の腕を、蓮がとっさに掴む。

「危な」

近い。

思ったより低くて優しい声に、結衣の心臓が跳ねた。

「だ、大丈夫……!」

慌てて離れると、蓮は少しだけ眉を下げた。

「無理すんなよ」

その一言が、なぜか胸に残った。

怖い人だと思っていたのに。

窓から差し込む夕焼けが、蓮の横顔を赤く染める。

——綺麗。

そう思ってしまった瞬間、結衣はさらに心臓がうるさくなった。

「送ってく」

「え?」

「外、雨降ってる」

気づかなかった。
窓の外では、小さな雨粒が静かに落ちている。

「でも、傘……」

「入ればいいだろ」

蓮は当たり前みたいに言って、黒い傘を持ち上げた。

その横顔を見ながら、結衣は小さく息をのむ。

放課後。
雨の匂い。
ひとつの傘。

まだこの時は知らなかった。

この帰り道が、結衣の恋の始まりになるなんて。