「恒星」
それは、自ら光り、輝きを放つ天体をさす。
太陽や、多くの星々は恒星だ。
その多くの星の中でも、自ら光を放たない星もいる。
それらの存在は、「惑星」と呼ばれている。
惑星は、恒星の光を反射して自らを輝いているように見せている。
あなたが光り輝く恒星なのだとすれば、私はきっと、ただの惑星に過ぎない。
担任の挨拶で今日のホームルームは終了を告げた。教室内の生徒たちは集中力が切れたようで、一斉に騒ぎ出す。
そんな喧騒を他所に、私は今日も1番に教室を出る。
そんな私のことを気に留める人は、誰1人としていなかった。
教室を出た私は、足早に真っ直ぐ続く長い廊下を進んでいく。目的地は、教室から少し距離がある。
途中で運動部と思しき生徒たちとすれ違った。彼らは私のことが途中まで見えていなかったようで、急に人が現れたと驚かれてしまった。
「今のって、たしか学年1位の……」
1人の男子生徒がそう呟いたが、私は聞こえないフリをして進んでいく。よくあることなのだ。いちいち気にする方が面倒だ。
昔からよく、「影が薄い」と言われてきた。地味な見た目と引っ込み思案な性格も相まって、尚更存在感は無いに等しかった。
唯一目立つ点は、勉強ができることだ。幼い頃から教育熱心な両親に勉強を叩き込まれてきた。
その甲斐あって、高校では学年首席。2年生になった今でも、そのの座は譲ったことがない。
周りの人たちは、私と一線を引いている。きっとお高く止まっていると思われているのだろう。
そのことに全く傷つかないわけではなかったが、もう慣れてしまった。むしろ、1人でいる方が気楽で良いとすら思っている。
そんなことだから、空気と一体化することばかりが上手くなってしまい、高校2年生になった今でも友達が1人もいない。
けれど、寂しくはなかった。私には好きなものがあるから。それに夢中になっている限り、寂しさなど感じない。
今日も私はその「好き」に浸りに行くために、ある場所を目指す。
廊下の1番角の少し狭い教室。そこが私の学校での唯一お気に入りの場所だ。
扉を開けると、相変わらず狭い空間ではあるが、物も片付けられており、ゆっくり時間を過ごすには最適な空間と言えた。
その中央の机の上には、多くの本が積み上げられている。それらは、全て星に関する本だった。
積み上げられていた本のうちの1冊を手に取り、窓際のいつもの定位置である椅子の上に座る。
そして、私は今日も本の世界に没頭した。読んでいたのは、オリオン座に関する本だ。
幼い頃から星が好きだった。けれど、両親……主に父は私の自由を許さなかった。そのため、なかなか両親に星が好きだと言い出せなかった。
お金の管理を学ぶ一環でお小遣いを貰っては、こっそりと星に関する本を買ってその世界に没頭した。
家では、両親に見つからないように引き出しに隠すようにしまっていた。けれど、冊数が増えてきた今、置き場に困っていたところ、顧問から「部活のためになる本なら置いて良い」という許可が出た。そうして本の山が出来た。
「プラネタリウム行きたくなっちゃったな」
最近は数日前に終わったテストの勉強に力を入れていたため、しばらくの間は行けていなかった。
次はいつ行けるだろうかと、スマホに入っているスケジュール帳を開く。その時、誰かが走ってくる足音が聞こえた。
この場所に人が来ることは滅多にない。珍しいと思い、視線をスマホから扉の方へと移す。すると、扉の窓部分に人影が見えた。
(まさかここに用が……?)
そう思ったのと同時に扉が開かれた。
扉の先にいたのは、ポニーテールが目を引く女子生徒だった。彼女からはそこにいるだけで華を感じた。
不意に女子生徒の視線が、窓際で本を読んでいた私に向けられる。目が合ったが、なんだか気まずくてつい逸らしてしまう。
頭の中で彼女の顔を検索するが、ヒットする人物がいない。どうやら、彼女は私の知り合いではないらしい。
では、どうして彼女はここ、天文部の部室にやってきたのだろう。
「あなた、もしかして天文部の人ですか?」
「え、ええ。そうです」
「そっか、あなたが」
ポニーテールの彼女はそれを聞いて納得したようで、私に笑顔を向けてくる。その状況を未だ飲み込めていない私は、困惑する一方だ。
「えっと、失礼ですがどちら様ですか?」
恐る恐る聞くと、彼女ははっとしたようにすぐに自己紹介をしてくれた。
「突然ごめんなさい! 私、2年の今野ゆかりです」
「ああ、えっと、私も2年の原田舞です」
彼女に釣られるようにして私も自己紹介をする。
「同い年だったんだ〜。ていうか原田さんってもしかして学年1位の原田さん?」
探るような感じは見受けられなかったため、純粋に気になったと言うところだろうか。
「ええ、そうよ」
「天文部だったんだね。なんか意外」
きっと彼女は私のことを、成績優秀な優等生だと思っている。そんな私が部活動をしていることに驚いているのだろう。
それと、私は名前は知られていても、顔は覚えられていないことの方が多い。クラスの人ですら覚えている人の方が少ないように思う。
周りは学年1位の人間にあれよあれよと想像を膨らませ、そこで勝手に出来上がった像が容姿端麗な美女だった。けれど、実際の私はその想像とはあまりにもかけ離れている。
そうすると、期待を下回る人間であることが分かると、だいたいの人は拍子抜けしたような、落胆したような反応を見せることがほとんどだった。
今回はどちらとも言えない反応をされて、少し困惑した。
「そうかしら。ところで、今野さんはここに何か用が?」
「そうだ! 天文部の人に用があったんだよ!」
「天文部に?」
そもそも、この学校に天文部自体あることを知らない人の方が多い。何故なら、部員が私1人だけだからだ。私が入部した当時は、3年生の先輩が2人いた。その人たちも卒業していき、新入部員も見込めず。そうして、天文部は私1人になった。
正直、先輩たちとも交流は望めずにいた私は1人の方がずっと気楽で良いと思っていた。だから、今の状況は私にとっては快適であると言えた。
そんな私、と言うより天文部員に用事とは何なのだろう。
私が意図を得ない顔をしていると、彼女はキョトンとした後、 「もしかして--」と話を切り出した。
「今日から天文部と写真部の部室、合併になるって聞いてない?」
「……合併?」
そんなことは顧問に言われていない。
突然の合併。それは、私のお気に入りの時間が奪われることを意味する。
「ほら、天文部って原田さん1人でしょ? で、写真部は私1人なの。先生は、部員1人のために部室があるのはねって言ってた。だから、合併ってことになったらしいよ」
全てが初耳だった。どうやら彼女は写真部の部員で、合併の話を聞いてここにやってきたらしい。
けれど、内容はごもっともだと思った。部員1人に1部室など、贅沢にも程がある。
「ということは、今日からあなたの部室もここになると言うこと?」
「そゆこと〜」
今野さんは軽く返事を返す。
それは困った。私はその考えを隠さず表情に出してしまった。
「あ〜、やっぱり原田さんは合併反対?」
今野さんの問いかけに、そうだと答えたかった。けれど、今回のことは彼女のせいでないことくらい分かっている。彼女に当たっても仕方がないのだ。
私が返事に困っていると、気を遣ったのか今野さんが話題を変えてくれた。
「にしてもさ、天文部ってことは原田さんは星とか宇宙とかが好きなの?」
一般的に天文と言えば、天体に起こる現象や、空での自然現象を指す。彼女はその中でも身近なものを例に出してくれた。
「そうね。天文部と言っても、私は特に星が好きなの」
「へ〜そうなんだ!」
そう言うと、彼女は机の上に置かれた本の山に視線を向けた。
「だから星に関する本ばっかりなんだね! これ全部原田さんのなの?」
「ええ。そうよ」
「すごーい!」
今野さんは本の山に目を輝かせている。貯金を切り崩して買った私のコレクションたちが褒められたことで、少し誇らしい気持ちになった。
思えば、私は今まで人に星が好きなことを言ったことがなかった気がする。だからか、こんなにも素直に話せたことに少し驚いた。相手が今野さんだったからかもしれない。
彼女からは、全てを包み込んでくれるような、そんな雰囲気があった。それでいて明るく華がある彼女を、私は心の底から羨ましいと思うと同時に、眩しいと感じた。彼女の存在は、まるで光り輝く一番星のよう。
私が無言で見つめていたからか、今野さんはキョトンとした顔を見せた。
「私の顔になんか付いてる?」
「ごめんなさい。なんでもないの」
「そ〜?」
首を傾げる仕草にさえ、どこか人を惹きつけるオーラがある。
彼女と私では、まるで生きている世界が違うことを実感した。
「っと、話を戻して。私たち、これから部室一緒に使うことになりそうなんだけど、いい?」
「ええ。これからよろしく」
断っても良かったのかもしれない。けれど、そうはしなかった。もしかしたら、星について話せたことが嬉しかったからかもしれない。
そうして、私と今野さんは同じ部室を使う日々を送ることになった。
それからの日々は、意外にも充実していた。
それぞれ部室に来ては、本を読んだり写真を撮ったりと、好きなことをして過ごしている。
その中で、お互いのことを話したり、星や写真のことについて語り合ったりもした。
「これは〜、この前たまたま散歩してたら撮れたやつで--」
「多くの星座には神話が存在していてね--」
私は、誰かとこんなにも楽しい時間を過ごすのは初めてだった。
家では両親に気を遣いながら生活していたし、学校では浮いていたせいか、友達というものは存在しなかった。
今野さんを友達と定義していいのか、私には分からない。けれど、今までの人生の中で1番親しいと感じる相手なのは、間違いなかった。
その証拠に、いつからかお互い苗字ではなく名前で呼び合う仲になっていた。
「そういえばさ、なんで舞は星が好きなの?」
ある日の放課後、いつものようにカメラをいじっていたゆかりが問いかける。
言われてみれば、理由を話したことがないことに気付いた。
「そういえば話してなかったわね」
「うん。ふと気になっちゃって」
「……そうね。何から話せばいいのかしら」
記憶を辿っていく。
あれはまだ、私が小学校に上がる前。
「いいか。お前は周りの人間とは違う。特別な存在にならなければいけない」
これが父の口癖だった。父は、私が凡人になることを嫌っていた。だから、「特別な存在になれ」と毎日毎日言い聞かせられていた。
母はそんな父に反抗出来ず、言いなりになっていた印象が強く残っている。そして、それは今も変わらない。
小学校は、当たり前のように私立に通わされることになった。そのため、受験のための勉強を叩き込まれた。
幼かった私は、その期待に答えようと必死だった。
けれど、父は褒めてくれるどころか叱るばかりだった。私が泣いたところで、父は許してくれなかった。
娘を特別な存在にする、ということにとても執着していた。
母に助けを求めて手を伸ばしたけれど、父には逆らえないのか、その手が掴まれることはなかった。
そんな日々を送り続ければ、自然と心は壊れていく。希望を失い、絶望に支配されそうになった。そんな時に、ふと空を見上げた。
そこには、満天の星空が広がっていた。それを見て、涙がこぼれた。
私の世界は闇に包まれていた。けれど、空を見上げれば、こんなにも明るい世界が広がっている。
まるで、輝く星々に応援されているかのような錯覚に陥った。それがどれだけ私の心を支えてくれたことか。
そのお陰で、私は闇に落ちることなく生きてこれたと言っても過言ではないかもしれない。
その日から、私は星が好きになった。
このことを話すと、きっとゆかりは反応に困ってしまうだろうと思った。けれど、隠し事はしたくないと思い、正直に話すことにした。
内容をかいつまんで話すと、ゆかりは私が想像していた反応とは違う反応を見せた。
「そっか。舞は頑張り屋さんだったんだね」
「え?」
「だって、星を見て頑張ろー!って思ったんでしょ? それってすごいことだよ! 私だったらとっくに心折れてるに決まってるもん!」
「そうなの?」
「ぜったいそうだよ!」
ゆかりは、念を押すように私がすごいことを何度も言ってくれる。
「舞はさ、自分が気付いてないだけで、実はすごい人なんだよ。じゃないと学年1位なんてキープできないよ」
ゆかりの言葉に、励まされた。
この高校は市立高校だ。レベルは高い方だけど、入るのが難しいわけでもない。ここの生徒は、地元民に限らず、様々な地域から通学してくる人が多い。ここは名門でもなんでもないいわゆる一般的な高校だった。
中学まで私立に通っていた私は、高校はエスカレーターで上がることが既に父によって決められていた。
けれど、私は狭い世界に閉じ込められることに嫌気が差した。だから、条件付きでこの高校に入ることにした。
「3年間学年首位を取ること」それが、父から突きつけられた条件だった。やっと自由の身になれると、私は必死に首位をキープし続けた。
今までの頑張りを誰かに褒めてもらえるというのは、これほどまでに嬉しいことだと初めて知った。
私は、心の底からゆかりに話して良かったと思えた。
「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいわ」
「いいってことよ」
親指を立てたゆかりの姿に、つい笑みがこぼれた。ゆかりも釣られたのか、しばらく2人で笑いあった。
「そうだ! 私、星の写真が撮ってみたい!」
しばらくして、カメラを両手に収めたゆかりがキラキラした瞳で見つめてくる。
突然ではあったが、星のこととあれば断る理由などない。
「すごく良いと思う」
「でしょ! 明日からちょうど夏休みじゃん? それでさ、どこか星が綺麗に見える場所知らない?」
--もう夏休みなのね
ゆかりと出会ってから、2週間程経ったということになる。たったそれだけなのに、ずっと前から仲が良かった感覚に襲われた。
そんなはずはないのに、と考えを断ち切るように頭の中の星がよく見える場所の記憶を引っ張り出す。
「あぁ、それならあそこが良いかもしれないわ」
「うわ〜、きれ〜!」
ゆかりが瞳を輝かせるのも無理はない。
見渡せばどこまでも広がる海。月の光が海面に反射して、神秘的な空間を作り出している。
周りには空を遮るものは一切なく、耳を澄ませば聞こえてくるのは波の音。
この空間には自然が広がっていた。
「ふふ。気に入ってくれた?」
「うん! なんてったって星がすごくきれいに見える!」
空には満天の星が視界を埋めつくしていた。
今回私が案内したのは家から近い場所にある海だった。海と言っても、今は夜の9時を回ったところ。泳いでいる人は見当たらない。
砂浜には、私たちの他にも星を目当てに来ている人が多くいた。中には望遠鏡を持参している人もいた。
ゆかりは、夜の海と満天の星空にテンションが上がっているようで、カメラを首から提げたままクルクルと体を回している。
「すごい! すごいよ!」
ノースリーブの白いワンピースに麦わら帽子を被った少女が無邪気に笑う姿。なんと絵になることだろうと、思わず感嘆の声が漏れた。
「よーし! いっぱい写真撮っちゃうぞ〜」
ゆかりはカメラを上に向け、顔の前に掲げた。その姿は、まるで写真のワンシーンのようだった。
カシャ、シャッターの音が鳴る。ゆかりは撮った写真を確認している。
「ん〜? 夏の大三角ってどれ?」
ゆかりに近づき、カメラの中を覗き込む。
今は8月の初め。ちょうど夏の大三角がピークで見られる時期だ。私たちもそれを目当てに今日この場所を訪れた。
「これよ。ここ、三角形が出来てるでしょ?」
「あ、ホントだ! 言われないと気付けなかったや〜。やっぱり舞は詳しいんだね」
「まあね」
ゆかりはもう一度カメラを空に向けて構える。今度はちゃんとピンポイントで収めたようだ。
カメラを空に向けたまま、ゆかりはいつものように世間話を振ってくる。
「舞はさ、将来は星に関する仕事をするの?」
「それは……」
父が許すはずがない。高校は行きたいところに行けたが、きっと大学は父に決められたところに行くことになる。そして、将来も父に決められた道を歩むことになるだろう。
私に、自由な未来などない。それが分かっていたからこそ、今回の質問に答えることが出来なかった。
「悩んでるの?」
「悩んでるというか、両親はきっと許してくれないと思うから……」
「舞は、それでいいの?」
いつの間にかゆかりの視線が私を捉えていた。私は、その視線から逃げるように目を逸らした。
「……ええ。良いの」
「……そっか」
ゆかりは何か思ったかもしれない。それでも、それ以上踏み込んでくることはなかった。
重たくなった空気を振り払うように、ゆかりが話題を変えた。
「そういえばさ、舞は望遠鏡持ってないの?」
「ええ。さすがに隠し場所も無かったから」
本は隠せても、望遠鏡となればサイズは大きくなるため、部屋に隠し通すのは困難だと諦めた。
「学校のは使ったことある?」
実は、いつも使っている部室に何年か前の先輩が残していった望遠鏡が1つ置いてある。ゆかりが指しているのはきっとそれだろう。
「使おうと思ったけど、なんだか壊しそうで怖くて……」
「えー! せっかく置いてあるのにもったいない!」
たしかに、自由に使う許可は顧問からもらっているため、使わない方が損だと言えた。
「そうだ!」
何か良いことが思いついたのか、ゆかりが嬉々として声を出す。
「しよう! 天体観測!」
満面の笑みで見つめられる。今回のこともそうだけど、ゆかりの思い付きはいつも唐突だ。
けれど、それを期待してしまう自分がいるのも嘘ではなかった。
「それは良いけど、どこで?」
「どこって、そりゃもちろん--」
身長より少し低い門の上を登るゆかりの姿を後ろから見つめる。ゆかりは反対側に足を付けると、私も来いと促す。私は、すぐにはその場から動けなかった。
「ねぇ、本当に大丈夫なの?」
「バレなきゃセーフだって!」
いつもと同じ笑みのはずなのに、今日はなんだか一段と悪い顔に見えたのは仕方がない。
私たちは今、夜の学校に無断で侵入している最中だった。
事の始まりは海に夏の大三角を見に行った日。「学校に望遠鏡があるなら、学校で使えばいい」というゆかりからの提案を呑んだのは良いものの、まさか夜の学校、しかも無断で侵入することになろうとは。あの時の私は、想像もしていなかった。
侵入したことがバレれば、きっとそれが両親にも伝わり、叱られることは間違いない。成績にも関わるかもしれない。それでも、私の足は片方、もう片方とあちら側へ引き込まれていく。
これはきっと、ゆかりの影響だ。ゆかりといると、毎日が刺激的だった。まるで、非日常に飛び込んだ時の高揚感が生まれる。
私は、もう既にその気持ちの虜にされていた。
夜の学校というのは不思議なものだった。
いつも明かりが付いているはずの教室、たくさんの生徒で賑わう購買、足音がいくつも響く長い渡り廊下。
その全てが夜の帳に包まれ、昼間とは全く違う景色が広がっていた。
私はそれを不思議に思いながら、部室へと続く長い渡り廊下を歩いていた。
ゆかりは悪いことをしているという高揚感からか、鼻歌を歌いながら歩いている。
「このドキドキ感! たまんないね〜」
「私は心臓に悪いけれどね」
「真面目だな〜。これを機に悪の道へ進まないかい?」
冗談めかしく言いながらゆかりの右手が私に差し出される。
その手を取ってしまえば、私は本当に悪に染まってしまうのだろうか。
冗談なのだから軽く流せば良かった。けれど。その迷いから、ゆかりの手を取ることは出来なかった。
そのことにゆかりは残念がることはなく、むしろ分かっていたとばかりに笑っていた。
「無理しないでね。舞は舞だよ」
その言葉が、心の奥底に深く沈んでいった。
私たちの部室は他の教室とは離れた場所にあり、現在は教師ですら利用する人がいない。だからか、鍵をかけずに使用することが許されていた。 今回はそれを利用して、望遠鏡を部室から拝借した。
望遠鏡を手に入れた私たちは、屋上を目指した。
海では写真を撮ることをメインで行ったが、今日は天体観測をメインにやってきた。
この日のために、ゆかりが望遠鏡の使い方について調べてきてくれた。その甲斐あってか、設置から基本操作までつつがなく進めることが出来た。
「すごいね! これが望遠鏡か〜」
ゆかりは設置された望遠鏡を何度も角度を変えて見ていた。
私も望遠鏡を使うことは初めてで、レンズから覗いた景色が、どんなものになっているのかワクワクした。
「舞、覗いて見なよ」
ゆかりに望遠鏡の近くまで誘導される。いつも部室で見ていたはずなのに、初めて見た時のように心が躍った。
恐る恐るレンズに顔を近付ける。そして、私は初めてレンズ越しの世界を見た。
今まで遠くで見ていた星たちが、すぐ目の前に広がっていた。思わず空に向かって手を伸ばしたけれど、掴めるはずもなく。けれど、本当に掴めてしまうのではと思えるほど、星の存在を近くに感じた。
「すごい、すごいわ! こんなにも星が近くに見える!」
勢いに任せてゆかりに感動を共有する。
「うん! よかったね!」
「ええ。こんなに嬉しいのは初めて!」
ゆかりの笑顔からも、嬉しさが滲み出ていた。
「私ばかりごめんなさい。ゆかりも見たいでしょう?」
ゆかりが望遠鏡を覗けるようにすぐさま横に移動する。
「ありがと〜」
ゆかりは望遠鏡を覗き込むと、「わぁ〜!きれい〜」と感嘆の声をあげていた。私は、その姿を見て嬉しくなった。
私が好きだと思うものを、ゆかりにも好きになってほしい。その願いが、少しずつ叶っていく。
今日こうして天体観測が出来ているのは、ゆかりのお陰だ。きっと私一人では、夜の学校になど忍び込む勇気はなかった。
ゆかりはいつも、私を新しい世界に連れていってくれる。ゆかりの存在は、今では私にとって輝く一番星。
「ゆかりは眩しいね」
本音がこぼれた。独り言のつもりだったけれど、ゆかりにも聞こえていたようで、「急にどうしたの?」なんて少し照れながらも嬉しそうに聞いてきた。
「ゆかりは、私に無いものをたくさん持ってる」
華のある存在感、明るい性格、思い切りの良さと、挙げればキリがない。
「私は、そんなゆかりのことをあの空で輝く『一番星』のようだと思ったのよ」
空に光る一番星を指差す。ゆかりも指が示す先を追って上を見上げる。
「星にはね、自ら光りを放って輝く『恒星』と、その光を反射することで輝いて見える『惑星』に分けられるの」
一番星に向けていた指を、望遠鏡の前に立っていたゆかりに向ける。
ゆかりは自分が指をさされている意味が分からないようで、キョトンとした顔で私の方を見つめている。
私は、そんなゆかりに笑顔で告げる。
「あなたは間違いなく『恒星』」
そして、目を伏せ、現実と向き合う。
「あなたが光り輝く『恒星』だとすれば、私はただの『惑星』に過ぎない」
自ら輝くことが出来ない変わりに、恒星の光を反射して輝いたように見せているだけの、そんなちっぽけな存在。
笑顔が、力の無いものに変わっていく。それでも、泣いてはいけないと思い、必死で口を結ぶ。
私の言葉を聞いたゆかりは、悲しげな顔をしていた。
-どうして
だって、ゆかりはいつだって笑顔だった。海に行って写真を撮った時も、今日夜の学校に忍び込んだ時も、望遠鏡を覗いた時も。いつだって、ゆかりは笑顔だったはずだ。
--それなのに、どうしてそんなに悲しそうな顔をするの? いつものように、笑い飛ばしてよ。
その期待は虚しく、ゆかりは笑い飛ばすことはなく、口調に怒りを滲ませた。
「どうして、そんなこと言うの」
両手の拳を握り、体を小刻みに震わせていた。
「私はっ! 舞のことを『惑星』だなんて思ったことないよ! むしろ、私は舞のこと」
空気を目一杯吸い込んで、力強い瞳で私を射抜いた。
「キラキラ輝くお星様みたいって思ってたよ!」
その言葉を、すぐに理解することが出来なかった。あまりにも、予想外の言葉だったから。
「……嘘よ」
「嘘じゃない! 舞は自分のすごさが分かってない!」
未だ信じられずにいる私に、ゆかりは今日も肌身離さず持っていたカメラを操作し始める。
一通りの操作を終えると、ゆかりは私にカメラに保存されていた写真を見せた。
「これ見ても、まだ自分が輝いてないって言える?」
そこに写っていたのは、部室で本を読んでいる私の姿だった。
私は、写真を撮られることが嫌いだった。ただでさえ地味な容姿をしているのに、笑顔も苦手でぶっきらぼうな表情しか出来ない。そんな姿を写真に収められるなど以ての外だったから。
けれど、今ここに写っている私は笑っている。それも、とても楽しそうに瞳を輝かせながら。
--いつ撮られていたんだろう。分からない。けれど、本を読んでいる時の自分は、こんなにも輝いているんだ。
私が驚きに包まれてい間にも、ゆかりはどんどん今まで撮り溜めていただろう私の写真たちを見せてくる。
海で星を眺めている私、楽しそうに星について語る私。そのどれもが輝いていた。
「ね? 舞は、星のことになるとこんなにも輝けるんだよ。だから、『自分はただの惑星だ』なんてそんな悲しいことは言わないでよ」
ゆかりは、私のことをよく見てくれていた。だから、私にも輝く瞬間があることを知っていた。
ゆかりは星のことになると私が輝くと言ってくれたけど、私はそれは違うと思った。
撮られていた写真のどれもが、ゆかりと一緒にいる時のものだった。
たしかに星のことを考えている時の私は、普段よりは楽しそうにしているかもしれない。けれど、一人ではあんなにも輝いてはいなかっただろう。
きっと、私が輝けるのはゆかりと一緒にいてこそ。ゆかりの輝きを、もらっているだけ。やはり、私はただの惑星に過ぎないのだ。
それでも、ゆかりに私も「輝いている」と言ってもらえたことは嬉しかった。
「ありがとう、ゆかり」
微笑むと、ゆかりが抱きついてきた。勢いが良すぎたせいか、受け止めきれず地面に尻もちを着く形で倒れ込んでしまう。
「わわっ」
ゆかりはそれでも私から離れようとしなかった。
「舞、大好きだよ」
耳元で囁かれ声に、なんだか泣きそうになってしまった。
「ええ、私もよ。……けど、ごめんなさい」
--私は、あなたのようには輝けない
夜の学校での天体観測は、そうして幕を閉じた。
先ほどの余韻に浸りながら一人帰路に着く。足取りは自然と重くなる。
悪いことをしたはずなのに、罪悪感よりも高揚感が勝る。そんな感覚に、自分の性格が少しずつ変わっていることを実感する。
私はその変化を良いものだと感じている。これもひとえにゆかりの影響と言える。
ゆかりと一緒にいると、本当の私になれる気がした。
けれど、それと同時に自分がいかにちっぽけな存在であるかを思い知らされる。誰に向けたら良いのか分からない思いを抱きながら帰る道のりは、いつもよりも暗く淀んでいるようだった。
そんなことを考えていると、あっという間に家の前まで来ていた。
家を出る時は両親に黙って出てきたため、気付かれないようにそっと扉を開ける。
そこでの遭遇は避けられたものの、運悪くあとは部屋へと続く階段を登るだけになったところで、自身の寝室から出てきた父と鉢合わせてしまった。
「舞、こんな時間にどこに行っていた?」
眉間に皺を刻んだ父の顔は、幾度となく見てきた。それでも、その時の恐怖心に慣れることはない。
質問に答えられずに立ち尽くしていると、溜息が聞こえた。父は呆れを滲ませた声で言う。
「最近のお前の行動は目に余る。これは警告だ。お前に自由などない。県立の高校に行ったからといってあまり調子に乗るんじゃない」
全身の体温が急激に下がっていく感覚に襲われる。
今日までの日々があまりにも新鮮で、楽しくて。
私はすっかり忘れていた。自分には、自由が許されないのだと。
それからの日々は、淡々と過ぎていった。
時折ゆかりから遊びに誘う旨の連絡が来ていたが、遊ぶ気にはなれず、何かと理由をつけて断った。
結局、夏休みにゆかりと会ったのは学校で天体観測をした日が最後だった。
新学期。長期休みの余韻に浸っているのかまだ本調子でない生徒がちらほらと見受けられる。かく言う私もその1人である。
あの日、父に言われた言葉が頭を離れなかった。自分に自由が無いことを実感し、私はまた闇の中へと引きずり込まれていった。
どれだけゆかりと一緒にいる時の自分が輝いていようと、やはり一人では暗闇に埋もれてしまう。
一度闇の中へ行ってしまうと、戻ってくるのはそう簡単ではない。
天文部は活動日数が決まっていないため、行きたい時に部室に行けば良い。
家での居心地が悪かった私は、夏休み前までは好んで部室を訪れていた。けれど、今はなんだか気が向かなかった。遊びの誘いを断り続けた手前、ゆかりと会うのも気まずかった。
そうして、私の足は自然と下駄箱へ向かった。下駄箱まであと数メートルの距離になったところで、吉川先生に呼び止められた。吉川先生は、天文部の顧問をしてくれている人だった。
「急にごめんなさいね。今時間大丈夫かしら?」
特に用事は無かったので頷く。吉川先生は「良かった」と言うと、気のいい笑顔で話をしてくれた。
「原田さんは、『プラネタリウム発表会』の存在を知っている?」
「はい、もちろんです」
プラネタリウム発表会とは、主にプラネタリウムの企画・制作を行い、それを機材などを使って映像化し、解説を行うという内容のものだ。
私も一応天文部員とだけあって、そこら辺の知識は一通り頭の中に入っている。
けれど、今ここでその話題が出たことの意図を掴めずにいると、吉川先生は本題はここからだと話を続ける。
「知っているなら話が早いわ。来月末に文化祭があるでしょう? そこで、天文部はプラネタリウム発表会をしてみない?」
「私がですか……?」
この高校の文化祭では、毎年部活動の活動報告会を称したちょっとした出し物が行われている。
去年は天体についてA4サイズの紙にまとめた内容を二分程度で発表を行うというシンプルなものだった。その制作は先輩たちが行ったため、私は何もしていないに等しかった。
そんな私に今回提案されたのが、プラネタリウム発表会だ。もしやると決まれば、企画を練って映像なども自分で用意しなくてはならない。 その作業は想像するだけで苦労するのが分かる。
それに、父との事もある。あの日釘を刺されて以来、私は星を見ないようにしていた。現実と嫌でも向き合うために。
どう断ろうか考えていたところで、吉川先生は私がやるかやらないかで迷っていると勘違いしたようで、「返事は今すぐでなくても良い」と言ってくれる。
そう言われてしまった手前断りづらかったが、今言わなければズルズルと引きずってしまいそうだと思った。
「先生、あの、すみません。今回の件はお断りさせて頂き--」
「やろう!」
最後まで言い終わるのを待たずに、どこからかそんな声が聞こえてきた。その声は、一点の曇りもなく私の耳に届いた。
反射的に声のした方を振り向く。そこには、会いたいようで会いたくなかった人物がいた。
「ゆかり……」
久しぶりに会う彼女は、相変わらず雰囲気に華があった。そして、やはり彼女は輝いていた。
「やろう! 舞!」
一気に距離を詰めたゆかりは、私の両手を取った。
私はそれをやんわりと振り払う。
「……無理よ」
思っていた以上に弱々しい声が出てしまい、自分でも驚いた。それほどまでに、今の私は弱っているということなのだろうか。
ゆかりは、両手を振り払われたことに驚いていた。傷付けてしまったことに心が痛んだ。目を合わせられずに俯く。
この場から逃げ出したい。そう思ったのに--
「私は知ってるよ。本当は、やりたいんでしょう?」
ゆかりが、もう一度私の手を取った。そして、私の心の奥底にしまっていた本音を、簡単に当ててしまう。
そうよ。本当は、私だって--
「……たい」
涙が溢れて、言葉が上手く紡げない。それでも、ゆかりは私の言葉を聞き流さないように静かに耳を澄ませてくれている。優しく握られた両手が、私の背中を押した。
「……やりたいっ。私、やりたいよ」
「うん。じゃあ、一緒にやろう?」
いつもと同じ、輝くような笑顔に私の心にかかっていた靄が晴れていく。
--あぁ、やっぱり。あなたは、私の『一番星』。
最初は、ただ目立ちたくない人なのかと思ってた。
1年生の時から学年首位をキープしているにも関わらず、それを鼻にかけるわけでもなければ、当たり前かのように喜ぶこともない。
ただ呆然と成績上位者の名前が載ったボードを眺めていた様子が、やけに印象に残っている。
そんな時に、天文部と写真部の部室が合併される話を聞かされた。今まで天文部の存在を知らなかったから、それを聞いた時は本当に驚いた。
そして、初めて天文部の部室に行った時、そこにいたのが舞だった。
話してみると、意外と普通で親しみやすい。なんと言っても、星の話をする時の舞は輝いていた。
そんな舞の姿を見るのが好きで、いつしかこっそり写真を撮っては家で見返すことが増えた。
私にとって、舞はキラキラ光るお星様みたいな存在だった。いつも破天荒で周りを振り回すことが多い私を、舞はいつも正しい道へと導いてくれる。歩くべき道を照らしてくれる、そんな存在。
舞は私を輝く『一番星』だって言ってくれたけど、それは違うよ。私はね、一人では輝けないことを何よりも知っている。
私はね、舞がいるからこそ自分らしく輝けるんだよ。
だから、吉川先生の提案を断ろうとしている舞を見た時、頭で考えるよりも先に言葉が口から出ていた。
案の定舞は驚いていた。だけど、その時に見た舞の瞳は救いを求めていた。
舞は、自分が輝いていることを認めていないのは分かっていた。
けど、そんな事ないんだよ。あの日も言ったように、舞は私にとっての『一番星』なんだよ。
だから 舞が私を輝かせてくれるように、私は舞を輝かせるよ。
「うん。じゃあ、一緒にやろう?」
2人で、輝く『一番星』を目指して--
ゆかりと一緒に文化祭に向けた制作をすることになった。
今回は、オリオン座をはじめとする冬の星座について神話を踏まえて解説を行うという形でまとまった。
私が企画、解説の内容作成を担当。ゆかりが自前のPCで画像や映像の編集作業を担当することになった。
正直、私1人では機械のことについてさっぱりと言って良いほど分からなかったので、ゆかりが協力してくれて本当に助かっている。
そもそも、今回の出し物の作成はゆかりの一声があってこそだ。感謝してもしきれない。
現在は制作を始めて早くも1ヶ月と少しが経過していた。この間に幾つもの困難にぶち当たってきた。
まず、企画の難しさだ。今回は言ってしまえばプチプラネタリウムを行うわけで、その企画となるとかなり膨大な量になる。
与えられた期間は約2ヶ月。その間に映像と解説を完成させなければならないとなると、素人2人では到底時間がなかった。
あえなく内容は抜粋して、冬の星座だけと限定はしたものの、それでも思うようには作業が進まないのが現実だった。
あとの問題としては、画像収集、編集などの大変さだ。幸いにもゆかりは少しだけ編集作業の知識があった。それでも、本格的に映像にするとなると知識に加え、時間と集中力を要することになる。
時間はあれど集中力が長く続かないゆかりは、作業の進まなさにモチベーションを保てずにいた。
それでも、私の為にと頑張ってくれる姿には涙を覚えたほどだ。
そんなこんなで、作業は難航していたが1ヶ月と少し経った今はだいぶ慣れ、作業は終盤に差し掛かりつつあった。
ちなみに、写真部は毎年文化祭で「出し物」ではなく「展示」を行っているらしい。
そのため、今回も適当に撮った写真を展示するのだとゆかりは言っていた。
いつものように部室で作業をする。キーボードを叩く音とクリック音が室内に響いていた。
そんな中、集中力を切らしたのか編集作業を行っていたゆかりが話題を振ってきた。
「やっぱりさ〜、私は舞は将来星に関する仕事をするべきだと思うんだよ」
言った後も腕を組みながら「うんうん」と1人頷いている。私は、それに曖昧な返事をすることしか出来ない。
「そうね。出来たら嬉しいけど……」
「やっぱりお父さんのことで踏み出せない?」
ゆかりには、父と何があったのかをプラネタリウムの制作をすることが決まった時に話していた。遊びの誘いを断っていたことを、ちゃんと謝りたいと思っていたから。
ゆかりは、事情はなんとなく察していたらしく、驚きはしなかった。
その時のゆかりは、家庭の事情には深く踏み込んでこなかった。代わりに、私の気持ちを尊重してくれた。「舞はどうしたいの」かと。
あの時の私は、すぐには答えが出せなかった。私は、父との関係をどうしたいと思っているのだろう。
ただ漠然と「自由になりたい」とは思っていた。けれど、それで私は満足出来るのか考えた時に、しっくりとこなかった。
正直に「分からない」と答えると、ゆかりは「じゃあ、いつかわかるようになるといいよね!」とポジティブに励ましてくれた。
そして、今も答えは見つからないままだった。
考えすぎたせいか、もう何分も喋っていないことに気付いた。ゆかりはその間も私の言葉を待ってくれていたのに、今日もまた、私は答えることが出来なかった。
罪悪感が募っていく中、そんなことは気にするなというように、ゆかりは話題を変えた。
「ねぇ、舞。ちょっと気分転換しない?」
「気分転換? 何をするの?」
ゆかりは満面の笑みを浮かべている。もうこの笑顔も見慣れたものだ。
そして、ゆかりがこの笑顔になる時は、決まって突拍子もないことを言うのもセットであることを、少しの付き合いである私にも分かった。
ゆかりはもったいぶるように「ムフフ」と口の前に手を当てていた。その行動から、予感は確信に変わった。
「オリオン座流星群を見に行こう!」
ゆかりの提案によってオリオン座流星群を見ることになった私たちは、折角ならと近場ではなく電車を使って少し遠い場所にある山へと登ることになった。
山と言っても本格的なものではなく、ちょっとしたハイキングコースになるような素人でも簡単に登れるような場所だ。ここなら日帰りで帰れると判断しての場所だった。
今日は父が仕事でいなかったため、すんなりと外出することが出来た。
集合場所である駅に行くと、 上は薄手のパーカーを羽織り、下はデニムパンツというシンプルな格好に、首から愛用のカメラを提げたゆかりが待っていた。
こちらに気付いたゆかりが「おーい」と大きく手を振る。道行く人の視線が集まったが、ゆかりは気にする様子はない。
そこに恥じらいを感じないあたり、ゆかりらしいと言えばらしい。私は少し肩身が狭くなりつつも、ゆかりの元へと向かった。
「ごめん、少し待たせた?」
「ぜーんぜん! それよりほら、早く行こうよ!」
ゆかりに手を引かれるがまま駅の改札へと向かった。
窓の外を見ると、陽が沈んですっかり夜の気配に染まった街並みが見えた。
電車に揺られること1時間。ようやく目的の駅に着いた。出発早々寝てしまったゆかりを起こして電車を降りる。
そこからは目的地まで徒歩で向かった。見慣れない街並みに心が躍った。
ゆかりも同じようで、珍しいお店を見つけてはキラキラと目を輝かせていた。
「なにあれ! 気になる〜」
「はいはい。そんなことより時間無いんだからさっさと登るわよ」
「う……はーい」
渋々と言った様子でゆかりが目的地へと再び歩き出す。
登山入口まで着いたところで、そこから20分ほど山を登った。
「はぁ、はぁ」
「はぁ、舞、はぁ、だい、じょぶ?」
お互い文化部所属ということもあり、運動とは縁遠い生活を送っていたため、緩やかな傾斜になっている道を歩いただけで息も絶え絶えだった。
「ええ、はぁ、だい、じょうぶ」
そうは言ったものの、足は限界を迎えてしまったようで力無く地面に倒れ込む。下は芝生になっていたため、そのまま仰向けに寝転がった。
ゆかりも限界が来たのか、私の隣で仰向けに寝転がった。
何とか息を整え、改めてその場を首を動かして見渡す。
この山の頂上には、広い空間が広がっていた。周りは木々に囲まれていたが、決して空の様子を邪魔することなく立っていた。
まるで、空の世界に閉じ込められたかのような錯覚に陥る空間だった。
「わぁ、すごいね。星がこんなにもきれいに見える」
ゆかりが自身の指でフレームを作り、空の様子をそこに収めていた。
「ええ。本当に、綺麗」
輝く星に手を伸ばす。届きそうで届かない、そのもどかしさも、今は心地が良かった。
--やっぱり私、星が好き
そんな想いが胸から湧き出る。今回のプラネタリウム制作を通して、自分がいかに星が好きであるかを改めて実感した。
時間を忘れるほど星に没頭して、それが楽しくて仕方がない。 この気持ちを誤魔化すことは出来ない。
あの日、ゆかりに私はどうしたいかと問われた時は答えられなかった。けれど、今ならハッキリと答えられる。
私は、誰になんと言われようとも星が好きな気持ちに嘘をつきたくない。どれだけ否定されようと、自分の好きを貫き通したい。それが例え、実の父親だったとしても。
ハッキリと分かったこの気持ちを、1番にゆかりに共有したかった。私の気持ちを気付かせてくれたのは、紛れもなくゆかりだから。
「ねぇ、ゆかり」
「ん〜?」
ゆかりは首に提げていたカメラを手に、星の写真を撮りながら返事をした。
「あのね、私、星が好きなの」
それだけで私が真剣な話をしていることに気付いたのか、ゆかりはカメラを一度体の上に置き、私の方へ視線を向けた。
その顔がいつになく真剣で、私も今から言おうとしていることに勇気が持てた。
「私、星が好きなくせに、勝手に将来を決められたってだけで、自分の夢を諦めようとしてた」
自分には自由がない。そう、言い聞かせていた。
「でも、馬鹿だった。私、諦めたんじゃなくて本当は逃げてるだけだった」
父には逆らえないことを言い訳に、向き合うことから逃げてきた。
「私、ゆかりと出会って色んなことを知ったよ。自分のことも、少しは知ることが出来た」
星の話をする自分はすごく楽しそうにしていることをゆかりに言われて初めて気付いた。
「私ね、やっぱり将来は星に関する仕事をしたいの」
そのために、私がやらなければいけないこと。
「だから、その夢を叶えるために父親を説得しようと思うの」
これが、私なりの決意。
ゆかりは私が全て言い終わるまで、静かに耳を傾けてくれていた。
最後の言葉を聞き終わると、ゆかりは満足気に微笑んだ。
「うん。やっぱり、舞は私の『一番星だね』」
それは、いつの日か私がゆかりに向けて言った言葉だった。けれど、それがまさか自分に対して言われているなど、驚きでしかない。
「はは、びっくりしすぎ〜」
からかうようにゆかりに頬をつつかれる。
「しょうがないじゃない。そんな事を言ってもらえるだなんて思ってなかったから……」
「え〜? 前も『お星様みたい』って言ったのに〜」
「それとこれとは別というか……」
「はは、なにそれ〜。……けど、今回は否定しないんだね」
前に言われた時は、自分が輝いていることを認めることが出来なかった。だから、どれだけゆかりに褒められたところで、ただ虚しくなるだけだった。
けれど、今は違う。私はもう、自分が輝いていることを認めることが出来る。だって、私のことを誰よりも分かってくれているゆかりが『一番星』だと言ってくれるから。
その時、視界の端で何かが光った。
「流れ星だ!」
ゆかりの声でそれが流れ星であることに気付いた。
1つ、また1つと、次々に流れ星が流れていく。その光景は、まさに神秘的だった。
「すごいっ! すご〜い!」
ゆかりは体を起こすと、興奮気味に空に手を伸ばしていた。
「写真撮りたいな〜! あっ! けどお願いごともしなきゃ!」
一度カメラを地面に置くと、両手を合わせて願い事をしていた。その慌ただしい様子に、つい笑みがこぼれた。
私ももう一度空に視線を移すと、絶え間なく流れ星が流れ続けていた。以前だったら、あまりの眩しさに目が眩んでいたかもしれない。
けれど、今は--
私はゆかりの手を取って走り出す。
「え? ちょっと、舞?!」
戸惑うゆかりのことはお構い無しに無我夢中で走る。
「ねぇ、ゆかり」
走りながら空に輝く一番星を指さす。ゆかりの視線が指先を辿る。
「2人ならきっと、あの星に負けないくらい輝けるわよね?」
ゆかりならきっと頷いてくれる。それが分かった上でいたずらっぽく問いかける。
縁は私からそんな自信に溢れた言葉が出たのが驚いたのか、すぐには返事は返ってこなかったが、しばらくするとゆかりは弾けんばかりの笑顔を見せた。
「うん! もちろんだよ! 私たち2人なら、きっとどの星よりも輝く『一番星』になれるよ!」
私たちは笑い合った。その瞬間は、きっと世界のどんなものよりも輝いていた。
家の扉を開けると、父の靴があった。もう仕事から帰ってきているのだろう。
いつもなら顔を合わせるのもはばかられるため、すぐに自分の部屋に籠っていた。けれど、今日は父が待つであろうリビングへと向かった。
リビングの扉を開けると、案の定父は定位置であるソファの上に座っていた。私の存在に気付いてはいるだろけど、父がこちらを振り向くことはなかった。
母は、そんな親子2人の様子をオロオロと眺めるだけだった。
--ここで逃げちゃダメよ
自分を叱咤し、心を奮い立たせる。一度深呼吸をする。
「お父さん。少し、話したいことがあるの」
「なんだ」
そこで、ようやく父が私の方を向いた。怯みそうになるが、何とか堪えた。
「私、将来はプラネタリウム解説員になりたいの」
星に関するものの中でも、私は特にプラネタリウムが好きだった。今回のプラネタリウム制作を経て、これを仕事にしたいと思った。
素直な気持ちを伝えたが、やはり父の反応は良いものとは言えなかった。
「駄目だ。お前の将来は既に決まっている。くだらないことを言うのはよせ」
--まただ。
また、父はこうして私から自由を奪おうとする。けれど、向き合うと決めた。
「私、お父さんに決められた道に進むのは嫌だ」
「今更何を言ってるんだ。高校は好きなところに行かせてやっただろう。それで十分なはずだ。良いか? お前は特別な存在にならなければいけないんだ」
これ以上の話し合いは無駄だと父は部屋を出ていこうとする。私はその手を掴み、なんとか引き留める。
「お父さんは、私のことを全然分かってないよ」
「なに?」
父の眉間に深い皺刻まれたが、そんな事はお構い無しに本音をぶつける。
「お父さんは、どれだけ私が星を好きなのか知らないでしょう? だから、くだらないなんて言えるんだよ!」
私がここまで反抗したのは初めてだったためか、父は驚いたように私の顔を見た。
「お父さんにとってはくだらないことでも、私にとっては大事なことなの! なんでそんなことも分からないの!」
娘が声を荒らげてたことに、両親は何も言えずに立ち尽くしている。
私も、これ以上は気持ちの整理がつきそうにない。
全員が黙り込んでしまい、場を静寂が支配したかと思われた時、今まで一切愚痴を挟んでこなかった母が言葉を発した。
「あなた、もう良いんじゃないでしょうか」
それは、母から聞く初めての私を守るための言葉だった。
「しかし……」
それでも父は食い下がろとしたが、母はその追随を許さなかった。
「この子が、こんなにも自分の気持ちを話したのなんて初めてですよ。私たち親が、いつまでも子供の自由を奪うのは、やはり良くないんですよ」
正直、以外だった。母が、私の味方をしてくれたことなんて一度も無かった。だから、今回も期待なんてしていなかった。
けれど今、私を守るための言葉を発しているのは、紛れもなく母だった。
「お母さん……」
母は私を見て、一度は目を逸らした。けれど、二度目は逃げることなく私を瞳に捉えていた。
「今まで、散々見て見ぬ振りをしてきた。だから、今更何を、と思われても仕方がないと思ってる。けど、あなたが反抗して、私は自分の過ちにやっと気付くことが出来た」
母は深く頭を下げた。
「今までのこと、ごめんなさい。これからは、私はあなたの、舞の進みたい道を応援するわ」
母の行動に、私は驚きを隠せなかった。
「正気か……?」
父も私と同様に今まで黙って静観してきた母の行動に驚いているようだった。
「正気も何も、今までの私たちがおかしかったんですよ。あなた、子供の幸せは子供にしか分からないこともあるんですよ」
母の言葉が、私の心の奥をゆっくりと溶かしていく。
それは、固く閉ざされた扉が開く合図だった。
「ありがとう……お母さん」
視界が滲んでいく。ポタポタと床に落ちる雫を、止めようとするけど、それは止まるどころか溢れてくるばかりだった。
「あなた、これでもまだ舞の夢をくだらないと言い捨てるんですか?」
その問いかけに、父は言葉を詰まらせた。そして、悩んだ末に出した答えは--
「以上が、天文部からの出し物となります。ご清聴、ありがとうございました」
お辞儀をすると、体育館に集まっていた生徒たちからパラパラと拍手が返ってきた。
今日が私とゆかりの共同制作の集大成を披露する日だった。
オリオン座流星群を見に行ったあとの1週間程で作品を仕上げ、今日の文化祭に備えていた。
出来栄えは初めてにしては上々だった。苦労も多かったが、楽しかったプラネタリウム制作は今日この場をもって幕を閉じた。
映像を投影していたプロジェクターを片付けていたゆかりと合流する。
「お疲れ様」
「おつ〜。解説すっごいよかったよ!」
親指を立ててグッドマークを作る姿に笑みがこぼれる。
「今回はゆかりの協力あってこそよ。本当にありがとう」
「お役に立てたならなによりです」
わざとらしくお辞儀をして見せたゆかりを軽く叱る。
「も〜、やめてよ」
「あははっ」
そんなやり取りをしつつも、作業もキリをつけ、早々に体育館を後にした。
廊下には、文化祭の雰囲気に当てられて思い思いの青春を謳歌する生徒たちで溢れ返っていた。
私たちは、そんな生徒たちの間を掻き分けある場所へと向かっていた。
2年生の教室の1番奥に存在している美術室に飾られた『あるもの』が目当てだった。
「そういえばさ、お父さんに将来の夢許してもらえてよかったよね!」
あの日、父は母の言葉を受けて最終的には私の意志を尊重することを選んでくれた。
父に自分の好きなものを認めてもらえたことに、胸がいっぱいになった。
何より、私たち家族はその日から少しずつではあるが、関係が以前より良好になってきている。
腹を割って話す、私たち家族はそれが出来ていなかった。そのためにこじれてしまっていたが、きっとこれからはそれも改善していくのだろう。
「ええ、お陰様でね。本当にありがとう」
「何言ってんの! 勇気出したのは舞でしょ!」
「……それもそうね」
本当の事だったので否定はしなかった。
「なんか、舞ちょっと図々しくなったよね」
「誰かさんのお陰でね」
笑顔で返すと、ゆかりは一瞬面食らっていたが、すぐに声を出して笑い出す。
ゆかりは左手はお腹に当てたまま、右手で私の肩に手を置いた。
「うんうん、私は今の舞も好きだよ」
ゆかりの心からの笑顔に、私も自然と口角が上がった。
美術室に入ると、数名の生徒たちが美術部の部員が書いたであろう作品たちを眺めていた。
その中で、絵とは少し離れた位置に1枚の写真が飾られていた。
私たちはその写真に近付く。ここに来た目的は、これを見に来ることだった。
写真の撮影者の欄には「今野ゆかり」と書かれていた。ゆかりは写真部として、自身が撮った写真をここでお披露目していた。
「いや〜ほんといつ見てもいい写真だわ〜」
「確か、これは偶然撮れてたんでしょう?」
「そう! オリオン座流星群を見に行った日!」
この写真は、あの日偶然カメラのタイマーが機能したことによって撮れたものらしい。
「でも、本当に良い写真ね」
いつまでも見ていたくなるような、そんな写真だった。
「そりゃあ、私と舞だからね!」
「ふふ、そうね」
「じゃあ残りの時間は出店色々回ろー!」
ゆかりに手を引かれるがまま美術室を後にした。
後に文化祭の日に飾られた1枚の写真は、天文部顧問の推薦により、写真コンテストに応募することになった。
その結果、審査員特別賞を受賞。
その写真には、2人の少女が写っていた。その少女2人は、夜空に流れる数多の流れ星の下で笑い合っていた。
その写真の講評には、こう書かれていたと言う。
少々2人の笑顔が、夜空に浮かぶどの星々よりも輝いて見えた。まるで、2人の存在が1つの輝く『 一番星』のようだった--
それは、自ら光り、輝きを放つ天体をさす。
太陽や、多くの星々は恒星だ。
その多くの星の中でも、自ら光を放たない星もいる。
それらの存在は、「惑星」と呼ばれている。
惑星は、恒星の光を反射して自らを輝いているように見せている。
あなたが光り輝く恒星なのだとすれば、私はきっと、ただの惑星に過ぎない。
担任の挨拶で今日のホームルームは終了を告げた。教室内の生徒たちは集中力が切れたようで、一斉に騒ぎ出す。
そんな喧騒を他所に、私は今日も1番に教室を出る。
そんな私のことを気に留める人は、誰1人としていなかった。
教室を出た私は、足早に真っ直ぐ続く長い廊下を進んでいく。目的地は、教室から少し距離がある。
途中で運動部と思しき生徒たちとすれ違った。彼らは私のことが途中まで見えていなかったようで、急に人が現れたと驚かれてしまった。
「今のって、たしか学年1位の……」
1人の男子生徒がそう呟いたが、私は聞こえないフリをして進んでいく。よくあることなのだ。いちいち気にする方が面倒だ。
昔からよく、「影が薄い」と言われてきた。地味な見た目と引っ込み思案な性格も相まって、尚更存在感は無いに等しかった。
唯一目立つ点は、勉強ができることだ。幼い頃から教育熱心な両親に勉強を叩き込まれてきた。
その甲斐あって、高校では学年首席。2年生になった今でも、そのの座は譲ったことがない。
周りの人たちは、私と一線を引いている。きっとお高く止まっていると思われているのだろう。
そのことに全く傷つかないわけではなかったが、もう慣れてしまった。むしろ、1人でいる方が気楽で良いとすら思っている。
そんなことだから、空気と一体化することばかりが上手くなってしまい、高校2年生になった今でも友達が1人もいない。
けれど、寂しくはなかった。私には好きなものがあるから。それに夢中になっている限り、寂しさなど感じない。
今日も私はその「好き」に浸りに行くために、ある場所を目指す。
廊下の1番角の少し狭い教室。そこが私の学校での唯一お気に入りの場所だ。
扉を開けると、相変わらず狭い空間ではあるが、物も片付けられており、ゆっくり時間を過ごすには最適な空間と言えた。
その中央の机の上には、多くの本が積み上げられている。それらは、全て星に関する本だった。
積み上げられていた本のうちの1冊を手に取り、窓際のいつもの定位置である椅子の上に座る。
そして、私は今日も本の世界に没頭した。読んでいたのは、オリオン座に関する本だ。
幼い頃から星が好きだった。けれど、両親……主に父は私の自由を許さなかった。そのため、なかなか両親に星が好きだと言い出せなかった。
お金の管理を学ぶ一環でお小遣いを貰っては、こっそりと星に関する本を買ってその世界に没頭した。
家では、両親に見つからないように引き出しに隠すようにしまっていた。けれど、冊数が増えてきた今、置き場に困っていたところ、顧問から「部活のためになる本なら置いて良い」という許可が出た。そうして本の山が出来た。
「プラネタリウム行きたくなっちゃったな」
最近は数日前に終わったテストの勉強に力を入れていたため、しばらくの間は行けていなかった。
次はいつ行けるだろうかと、スマホに入っているスケジュール帳を開く。その時、誰かが走ってくる足音が聞こえた。
この場所に人が来ることは滅多にない。珍しいと思い、視線をスマホから扉の方へと移す。すると、扉の窓部分に人影が見えた。
(まさかここに用が……?)
そう思ったのと同時に扉が開かれた。
扉の先にいたのは、ポニーテールが目を引く女子生徒だった。彼女からはそこにいるだけで華を感じた。
不意に女子生徒の視線が、窓際で本を読んでいた私に向けられる。目が合ったが、なんだか気まずくてつい逸らしてしまう。
頭の中で彼女の顔を検索するが、ヒットする人物がいない。どうやら、彼女は私の知り合いではないらしい。
では、どうして彼女はここ、天文部の部室にやってきたのだろう。
「あなた、もしかして天文部の人ですか?」
「え、ええ。そうです」
「そっか、あなたが」
ポニーテールの彼女はそれを聞いて納得したようで、私に笑顔を向けてくる。その状況を未だ飲み込めていない私は、困惑する一方だ。
「えっと、失礼ですがどちら様ですか?」
恐る恐る聞くと、彼女ははっとしたようにすぐに自己紹介をしてくれた。
「突然ごめんなさい! 私、2年の今野ゆかりです」
「ああ、えっと、私も2年の原田舞です」
彼女に釣られるようにして私も自己紹介をする。
「同い年だったんだ〜。ていうか原田さんってもしかして学年1位の原田さん?」
探るような感じは見受けられなかったため、純粋に気になったと言うところだろうか。
「ええ、そうよ」
「天文部だったんだね。なんか意外」
きっと彼女は私のことを、成績優秀な優等生だと思っている。そんな私が部活動をしていることに驚いているのだろう。
それと、私は名前は知られていても、顔は覚えられていないことの方が多い。クラスの人ですら覚えている人の方が少ないように思う。
周りは学年1位の人間にあれよあれよと想像を膨らませ、そこで勝手に出来上がった像が容姿端麗な美女だった。けれど、実際の私はその想像とはあまりにもかけ離れている。
そうすると、期待を下回る人間であることが分かると、だいたいの人は拍子抜けしたような、落胆したような反応を見せることがほとんどだった。
今回はどちらとも言えない反応をされて、少し困惑した。
「そうかしら。ところで、今野さんはここに何か用が?」
「そうだ! 天文部の人に用があったんだよ!」
「天文部に?」
そもそも、この学校に天文部自体あることを知らない人の方が多い。何故なら、部員が私1人だけだからだ。私が入部した当時は、3年生の先輩が2人いた。その人たちも卒業していき、新入部員も見込めず。そうして、天文部は私1人になった。
正直、先輩たちとも交流は望めずにいた私は1人の方がずっと気楽で良いと思っていた。だから、今の状況は私にとっては快適であると言えた。
そんな私、と言うより天文部員に用事とは何なのだろう。
私が意図を得ない顔をしていると、彼女はキョトンとした後、 「もしかして--」と話を切り出した。
「今日から天文部と写真部の部室、合併になるって聞いてない?」
「……合併?」
そんなことは顧問に言われていない。
突然の合併。それは、私のお気に入りの時間が奪われることを意味する。
「ほら、天文部って原田さん1人でしょ? で、写真部は私1人なの。先生は、部員1人のために部室があるのはねって言ってた。だから、合併ってことになったらしいよ」
全てが初耳だった。どうやら彼女は写真部の部員で、合併の話を聞いてここにやってきたらしい。
けれど、内容はごもっともだと思った。部員1人に1部室など、贅沢にも程がある。
「ということは、今日からあなたの部室もここになると言うこと?」
「そゆこと〜」
今野さんは軽く返事を返す。
それは困った。私はその考えを隠さず表情に出してしまった。
「あ〜、やっぱり原田さんは合併反対?」
今野さんの問いかけに、そうだと答えたかった。けれど、今回のことは彼女のせいでないことくらい分かっている。彼女に当たっても仕方がないのだ。
私が返事に困っていると、気を遣ったのか今野さんが話題を変えてくれた。
「にしてもさ、天文部ってことは原田さんは星とか宇宙とかが好きなの?」
一般的に天文と言えば、天体に起こる現象や、空での自然現象を指す。彼女はその中でも身近なものを例に出してくれた。
「そうね。天文部と言っても、私は特に星が好きなの」
「へ〜そうなんだ!」
そう言うと、彼女は机の上に置かれた本の山に視線を向けた。
「だから星に関する本ばっかりなんだね! これ全部原田さんのなの?」
「ええ。そうよ」
「すごーい!」
今野さんは本の山に目を輝かせている。貯金を切り崩して買った私のコレクションたちが褒められたことで、少し誇らしい気持ちになった。
思えば、私は今まで人に星が好きなことを言ったことがなかった気がする。だからか、こんなにも素直に話せたことに少し驚いた。相手が今野さんだったからかもしれない。
彼女からは、全てを包み込んでくれるような、そんな雰囲気があった。それでいて明るく華がある彼女を、私は心の底から羨ましいと思うと同時に、眩しいと感じた。彼女の存在は、まるで光り輝く一番星のよう。
私が無言で見つめていたからか、今野さんはキョトンとした顔を見せた。
「私の顔になんか付いてる?」
「ごめんなさい。なんでもないの」
「そ〜?」
首を傾げる仕草にさえ、どこか人を惹きつけるオーラがある。
彼女と私では、まるで生きている世界が違うことを実感した。
「っと、話を戻して。私たち、これから部室一緒に使うことになりそうなんだけど、いい?」
「ええ。これからよろしく」
断っても良かったのかもしれない。けれど、そうはしなかった。もしかしたら、星について話せたことが嬉しかったからかもしれない。
そうして、私と今野さんは同じ部室を使う日々を送ることになった。
それからの日々は、意外にも充実していた。
それぞれ部室に来ては、本を読んだり写真を撮ったりと、好きなことをして過ごしている。
その中で、お互いのことを話したり、星や写真のことについて語り合ったりもした。
「これは〜、この前たまたま散歩してたら撮れたやつで--」
「多くの星座には神話が存在していてね--」
私は、誰かとこんなにも楽しい時間を過ごすのは初めてだった。
家では両親に気を遣いながら生活していたし、学校では浮いていたせいか、友達というものは存在しなかった。
今野さんを友達と定義していいのか、私には分からない。けれど、今までの人生の中で1番親しいと感じる相手なのは、間違いなかった。
その証拠に、いつからかお互い苗字ではなく名前で呼び合う仲になっていた。
「そういえばさ、なんで舞は星が好きなの?」
ある日の放課後、いつものようにカメラをいじっていたゆかりが問いかける。
言われてみれば、理由を話したことがないことに気付いた。
「そういえば話してなかったわね」
「うん。ふと気になっちゃって」
「……そうね。何から話せばいいのかしら」
記憶を辿っていく。
あれはまだ、私が小学校に上がる前。
「いいか。お前は周りの人間とは違う。特別な存在にならなければいけない」
これが父の口癖だった。父は、私が凡人になることを嫌っていた。だから、「特別な存在になれ」と毎日毎日言い聞かせられていた。
母はそんな父に反抗出来ず、言いなりになっていた印象が強く残っている。そして、それは今も変わらない。
小学校は、当たり前のように私立に通わされることになった。そのため、受験のための勉強を叩き込まれた。
幼かった私は、その期待に答えようと必死だった。
けれど、父は褒めてくれるどころか叱るばかりだった。私が泣いたところで、父は許してくれなかった。
娘を特別な存在にする、ということにとても執着していた。
母に助けを求めて手を伸ばしたけれど、父には逆らえないのか、その手が掴まれることはなかった。
そんな日々を送り続ければ、自然と心は壊れていく。希望を失い、絶望に支配されそうになった。そんな時に、ふと空を見上げた。
そこには、満天の星空が広がっていた。それを見て、涙がこぼれた。
私の世界は闇に包まれていた。けれど、空を見上げれば、こんなにも明るい世界が広がっている。
まるで、輝く星々に応援されているかのような錯覚に陥った。それがどれだけ私の心を支えてくれたことか。
そのお陰で、私は闇に落ちることなく生きてこれたと言っても過言ではないかもしれない。
その日から、私は星が好きになった。
このことを話すと、きっとゆかりは反応に困ってしまうだろうと思った。けれど、隠し事はしたくないと思い、正直に話すことにした。
内容をかいつまんで話すと、ゆかりは私が想像していた反応とは違う反応を見せた。
「そっか。舞は頑張り屋さんだったんだね」
「え?」
「だって、星を見て頑張ろー!って思ったんでしょ? それってすごいことだよ! 私だったらとっくに心折れてるに決まってるもん!」
「そうなの?」
「ぜったいそうだよ!」
ゆかりは、念を押すように私がすごいことを何度も言ってくれる。
「舞はさ、自分が気付いてないだけで、実はすごい人なんだよ。じゃないと学年1位なんてキープできないよ」
ゆかりの言葉に、励まされた。
この高校は市立高校だ。レベルは高い方だけど、入るのが難しいわけでもない。ここの生徒は、地元民に限らず、様々な地域から通学してくる人が多い。ここは名門でもなんでもないいわゆる一般的な高校だった。
中学まで私立に通っていた私は、高校はエスカレーターで上がることが既に父によって決められていた。
けれど、私は狭い世界に閉じ込められることに嫌気が差した。だから、条件付きでこの高校に入ることにした。
「3年間学年首位を取ること」それが、父から突きつけられた条件だった。やっと自由の身になれると、私は必死に首位をキープし続けた。
今までの頑張りを誰かに褒めてもらえるというのは、これほどまでに嬉しいことだと初めて知った。
私は、心の底からゆかりに話して良かったと思えた。
「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいわ」
「いいってことよ」
親指を立てたゆかりの姿に、つい笑みがこぼれた。ゆかりも釣られたのか、しばらく2人で笑いあった。
「そうだ! 私、星の写真が撮ってみたい!」
しばらくして、カメラを両手に収めたゆかりがキラキラした瞳で見つめてくる。
突然ではあったが、星のこととあれば断る理由などない。
「すごく良いと思う」
「でしょ! 明日からちょうど夏休みじゃん? それでさ、どこか星が綺麗に見える場所知らない?」
--もう夏休みなのね
ゆかりと出会ってから、2週間程経ったということになる。たったそれだけなのに、ずっと前から仲が良かった感覚に襲われた。
そんなはずはないのに、と考えを断ち切るように頭の中の星がよく見える場所の記憶を引っ張り出す。
「あぁ、それならあそこが良いかもしれないわ」
「うわ〜、きれ〜!」
ゆかりが瞳を輝かせるのも無理はない。
見渡せばどこまでも広がる海。月の光が海面に反射して、神秘的な空間を作り出している。
周りには空を遮るものは一切なく、耳を澄ませば聞こえてくるのは波の音。
この空間には自然が広がっていた。
「ふふ。気に入ってくれた?」
「うん! なんてったって星がすごくきれいに見える!」
空には満天の星が視界を埋めつくしていた。
今回私が案内したのは家から近い場所にある海だった。海と言っても、今は夜の9時を回ったところ。泳いでいる人は見当たらない。
砂浜には、私たちの他にも星を目当てに来ている人が多くいた。中には望遠鏡を持参している人もいた。
ゆかりは、夜の海と満天の星空にテンションが上がっているようで、カメラを首から提げたままクルクルと体を回している。
「すごい! すごいよ!」
ノースリーブの白いワンピースに麦わら帽子を被った少女が無邪気に笑う姿。なんと絵になることだろうと、思わず感嘆の声が漏れた。
「よーし! いっぱい写真撮っちゃうぞ〜」
ゆかりはカメラを上に向け、顔の前に掲げた。その姿は、まるで写真のワンシーンのようだった。
カシャ、シャッターの音が鳴る。ゆかりは撮った写真を確認している。
「ん〜? 夏の大三角ってどれ?」
ゆかりに近づき、カメラの中を覗き込む。
今は8月の初め。ちょうど夏の大三角がピークで見られる時期だ。私たちもそれを目当てに今日この場所を訪れた。
「これよ。ここ、三角形が出来てるでしょ?」
「あ、ホントだ! 言われないと気付けなかったや〜。やっぱり舞は詳しいんだね」
「まあね」
ゆかりはもう一度カメラを空に向けて構える。今度はちゃんとピンポイントで収めたようだ。
カメラを空に向けたまま、ゆかりはいつものように世間話を振ってくる。
「舞はさ、将来は星に関する仕事をするの?」
「それは……」
父が許すはずがない。高校は行きたいところに行けたが、きっと大学は父に決められたところに行くことになる。そして、将来も父に決められた道を歩むことになるだろう。
私に、自由な未来などない。それが分かっていたからこそ、今回の質問に答えることが出来なかった。
「悩んでるの?」
「悩んでるというか、両親はきっと許してくれないと思うから……」
「舞は、それでいいの?」
いつの間にかゆかりの視線が私を捉えていた。私は、その視線から逃げるように目を逸らした。
「……ええ。良いの」
「……そっか」
ゆかりは何か思ったかもしれない。それでも、それ以上踏み込んでくることはなかった。
重たくなった空気を振り払うように、ゆかりが話題を変えた。
「そういえばさ、舞は望遠鏡持ってないの?」
「ええ。さすがに隠し場所も無かったから」
本は隠せても、望遠鏡となればサイズは大きくなるため、部屋に隠し通すのは困難だと諦めた。
「学校のは使ったことある?」
実は、いつも使っている部室に何年か前の先輩が残していった望遠鏡が1つ置いてある。ゆかりが指しているのはきっとそれだろう。
「使おうと思ったけど、なんだか壊しそうで怖くて……」
「えー! せっかく置いてあるのにもったいない!」
たしかに、自由に使う許可は顧問からもらっているため、使わない方が損だと言えた。
「そうだ!」
何か良いことが思いついたのか、ゆかりが嬉々として声を出す。
「しよう! 天体観測!」
満面の笑みで見つめられる。今回のこともそうだけど、ゆかりの思い付きはいつも唐突だ。
けれど、それを期待してしまう自分がいるのも嘘ではなかった。
「それは良いけど、どこで?」
「どこって、そりゃもちろん--」
身長より少し低い門の上を登るゆかりの姿を後ろから見つめる。ゆかりは反対側に足を付けると、私も来いと促す。私は、すぐにはその場から動けなかった。
「ねぇ、本当に大丈夫なの?」
「バレなきゃセーフだって!」
いつもと同じ笑みのはずなのに、今日はなんだか一段と悪い顔に見えたのは仕方がない。
私たちは今、夜の学校に無断で侵入している最中だった。
事の始まりは海に夏の大三角を見に行った日。「学校に望遠鏡があるなら、学校で使えばいい」というゆかりからの提案を呑んだのは良いものの、まさか夜の学校、しかも無断で侵入することになろうとは。あの時の私は、想像もしていなかった。
侵入したことがバレれば、きっとそれが両親にも伝わり、叱られることは間違いない。成績にも関わるかもしれない。それでも、私の足は片方、もう片方とあちら側へ引き込まれていく。
これはきっと、ゆかりの影響だ。ゆかりといると、毎日が刺激的だった。まるで、非日常に飛び込んだ時の高揚感が生まれる。
私は、もう既にその気持ちの虜にされていた。
夜の学校というのは不思議なものだった。
いつも明かりが付いているはずの教室、たくさんの生徒で賑わう購買、足音がいくつも響く長い渡り廊下。
その全てが夜の帳に包まれ、昼間とは全く違う景色が広がっていた。
私はそれを不思議に思いながら、部室へと続く長い渡り廊下を歩いていた。
ゆかりは悪いことをしているという高揚感からか、鼻歌を歌いながら歩いている。
「このドキドキ感! たまんないね〜」
「私は心臓に悪いけれどね」
「真面目だな〜。これを機に悪の道へ進まないかい?」
冗談めかしく言いながらゆかりの右手が私に差し出される。
その手を取ってしまえば、私は本当に悪に染まってしまうのだろうか。
冗談なのだから軽く流せば良かった。けれど。その迷いから、ゆかりの手を取ることは出来なかった。
そのことにゆかりは残念がることはなく、むしろ分かっていたとばかりに笑っていた。
「無理しないでね。舞は舞だよ」
その言葉が、心の奥底に深く沈んでいった。
私たちの部室は他の教室とは離れた場所にあり、現在は教師ですら利用する人がいない。だからか、鍵をかけずに使用することが許されていた。 今回はそれを利用して、望遠鏡を部室から拝借した。
望遠鏡を手に入れた私たちは、屋上を目指した。
海では写真を撮ることをメインで行ったが、今日は天体観測をメインにやってきた。
この日のために、ゆかりが望遠鏡の使い方について調べてきてくれた。その甲斐あってか、設置から基本操作までつつがなく進めることが出来た。
「すごいね! これが望遠鏡か〜」
ゆかりは設置された望遠鏡を何度も角度を変えて見ていた。
私も望遠鏡を使うことは初めてで、レンズから覗いた景色が、どんなものになっているのかワクワクした。
「舞、覗いて見なよ」
ゆかりに望遠鏡の近くまで誘導される。いつも部室で見ていたはずなのに、初めて見た時のように心が躍った。
恐る恐るレンズに顔を近付ける。そして、私は初めてレンズ越しの世界を見た。
今まで遠くで見ていた星たちが、すぐ目の前に広がっていた。思わず空に向かって手を伸ばしたけれど、掴めるはずもなく。けれど、本当に掴めてしまうのではと思えるほど、星の存在を近くに感じた。
「すごい、すごいわ! こんなにも星が近くに見える!」
勢いに任せてゆかりに感動を共有する。
「うん! よかったね!」
「ええ。こんなに嬉しいのは初めて!」
ゆかりの笑顔からも、嬉しさが滲み出ていた。
「私ばかりごめんなさい。ゆかりも見たいでしょう?」
ゆかりが望遠鏡を覗けるようにすぐさま横に移動する。
「ありがと〜」
ゆかりは望遠鏡を覗き込むと、「わぁ〜!きれい〜」と感嘆の声をあげていた。私は、その姿を見て嬉しくなった。
私が好きだと思うものを、ゆかりにも好きになってほしい。その願いが、少しずつ叶っていく。
今日こうして天体観測が出来ているのは、ゆかりのお陰だ。きっと私一人では、夜の学校になど忍び込む勇気はなかった。
ゆかりはいつも、私を新しい世界に連れていってくれる。ゆかりの存在は、今では私にとって輝く一番星。
「ゆかりは眩しいね」
本音がこぼれた。独り言のつもりだったけれど、ゆかりにも聞こえていたようで、「急にどうしたの?」なんて少し照れながらも嬉しそうに聞いてきた。
「ゆかりは、私に無いものをたくさん持ってる」
華のある存在感、明るい性格、思い切りの良さと、挙げればキリがない。
「私は、そんなゆかりのことをあの空で輝く『一番星』のようだと思ったのよ」
空に光る一番星を指差す。ゆかりも指が示す先を追って上を見上げる。
「星にはね、自ら光りを放って輝く『恒星』と、その光を反射することで輝いて見える『惑星』に分けられるの」
一番星に向けていた指を、望遠鏡の前に立っていたゆかりに向ける。
ゆかりは自分が指をさされている意味が分からないようで、キョトンとした顔で私の方を見つめている。
私は、そんなゆかりに笑顔で告げる。
「あなたは間違いなく『恒星』」
そして、目を伏せ、現実と向き合う。
「あなたが光り輝く『恒星』だとすれば、私はただの『惑星』に過ぎない」
自ら輝くことが出来ない変わりに、恒星の光を反射して輝いたように見せているだけの、そんなちっぽけな存在。
笑顔が、力の無いものに変わっていく。それでも、泣いてはいけないと思い、必死で口を結ぶ。
私の言葉を聞いたゆかりは、悲しげな顔をしていた。
-どうして
だって、ゆかりはいつだって笑顔だった。海に行って写真を撮った時も、今日夜の学校に忍び込んだ時も、望遠鏡を覗いた時も。いつだって、ゆかりは笑顔だったはずだ。
--それなのに、どうしてそんなに悲しそうな顔をするの? いつものように、笑い飛ばしてよ。
その期待は虚しく、ゆかりは笑い飛ばすことはなく、口調に怒りを滲ませた。
「どうして、そんなこと言うの」
両手の拳を握り、体を小刻みに震わせていた。
「私はっ! 舞のことを『惑星』だなんて思ったことないよ! むしろ、私は舞のこと」
空気を目一杯吸い込んで、力強い瞳で私を射抜いた。
「キラキラ輝くお星様みたいって思ってたよ!」
その言葉を、すぐに理解することが出来なかった。あまりにも、予想外の言葉だったから。
「……嘘よ」
「嘘じゃない! 舞は自分のすごさが分かってない!」
未だ信じられずにいる私に、ゆかりは今日も肌身離さず持っていたカメラを操作し始める。
一通りの操作を終えると、ゆかりは私にカメラに保存されていた写真を見せた。
「これ見ても、まだ自分が輝いてないって言える?」
そこに写っていたのは、部室で本を読んでいる私の姿だった。
私は、写真を撮られることが嫌いだった。ただでさえ地味な容姿をしているのに、笑顔も苦手でぶっきらぼうな表情しか出来ない。そんな姿を写真に収められるなど以ての外だったから。
けれど、今ここに写っている私は笑っている。それも、とても楽しそうに瞳を輝かせながら。
--いつ撮られていたんだろう。分からない。けれど、本を読んでいる時の自分は、こんなにも輝いているんだ。
私が驚きに包まれてい間にも、ゆかりはどんどん今まで撮り溜めていただろう私の写真たちを見せてくる。
海で星を眺めている私、楽しそうに星について語る私。そのどれもが輝いていた。
「ね? 舞は、星のことになるとこんなにも輝けるんだよ。だから、『自分はただの惑星だ』なんてそんな悲しいことは言わないでよ」
ゆかりは、私のことをよく見てくれていた。だから、私にも輝く瞬間があることを知っていた。
ゆかりは星のことになると私が輝くと言ってくれたけど、私はそれは違うと思った。
撮られていた写真のどれもが、ゆかりと一緒にいる時のものだった。
たしかに星のことを考えている時の私は、普段よりは楽しそうにしているかもしれない。けれど、一人ではあんなにも輝いてはいなかっただろう。
きっと、私が輝けるのはゆかりと一緒にいてこそ。ゆかりの輝きを、もらっているだけ。やはり、私はただの惑星に過ぎないのだ。
それでも、ゆかりに私も「輝いている」と言ってもらえたことは嬉しかった。
「ありがとう、ゆかり」
微笑むと、ゆかりが抱きついてきた。勢いが良すぎたせいか、受け止めきれず地面に尻もちを着く形で倒れ込んでしまう。
「わわっ」
ゆかりはそれでも私から離れようとしなかった。
「舞、大好きだよ」
耳元で囁かれ声に、なんだか泣きそうになってしまった。
「ええ、私もよ。……けど、ごめんなさい」
--私は、あなたのようには輝けない
夜の学校での天体観測は、そうして幕を閉じた。
先ほどの余韻に浸りながら一人帰路に着く。足取りは自然と重くなる。
悪いことをしたはずなのに、罪悪感よりも高揚感が勝る。そんな感覚に、自分の性格が少しずつ変わっていることを実感する。
私はその変化を良いものだと感じている。これもひとえにゆかりの影響と言える。
ゆかりと一緒にいると、本当の私になれる気がした。
けれど、それと同時に自分がいかにちっぽけな存在であるかを思い知らされる。誰に向けたら良いのか分からない思いを抱きながら帰る道のりは、いつもよりも暗く淀んでいるようだった。
そんなことを考えていると、あっという間に家の前まで来ていた。
家を出る時は両親に黙って出てきたため、気付かれないようにそっと扉を開ける。
そこでの遭遇は避けられたものの、運悪くあとは部屋へと続く階段を登るだけになったところで、自身の寝室から出てきた父と鉢合わせてしまった。
「舞、こんな時間にどこに行っていた?」
眉間に皺を刻んだ父の顔は、幾度となく見てきた。それでも、その時の恐怖心に慣れることはない。
質問に答えられずに立ち尽くしていると、溜息が聞こえた。父は呆れを滲ませた声で言う。
「最近のお前の行動は目に余る。これは警告だ。お前に自由などない。県立の高校に行ったからといってあまり調子に乗るんじゃない」
全身の体温が急激に下がっていく感覚に襲われる。
今日までの日々があまりにも新鮮で、楽しくて。
私はすっかり忘れていた。自分には、自由が許されないのだと。
それからの日々は、淡々と過ぎていった。
時折ゆかりから遊びに誘う旨の連絡が来ていたが、遊ぶ気にはなれず、何かと理由をつけて断った。
結局、夏休みにゆかりと会ったのは学校で天体観測をした日が最後だった。
新学期。長期休みの余韻に浸っているのかまだ本調子でない生徒がちらほらと見受けられる。かく言う私もその1人である。
あの日、父に言われた言葉が頭を離れなかった。自分に自由が無いことを実感し、私はまた闇の中へと引きずり込まれていった。
どれだけゆかりと一緒にいる時の自分が輝いていようと、やはり一人では暗闇に埋もれてしまう。
一度闇の中へ行ってしまうと、戻ってくるのはそう簡単ではない。
天文部は活動日数が決まっていないため、行きたい時に部室に行けば良い。
家での居心地が悪かった私は、夏休み前までは好んで部室を訪れていた。けれど、今はなんだか気が向かなかった。遊びの誘いを断り続けた手前、ゆかりと会うのも気まずかった。
そうして、私の足は自然と下駄箱へ向かった。下駄箱まであと数メートルの距離になったところで、吉川先生に呼び止められた。吉川先生は、天文部の顧問をしてくれている人だった。
「急にごめんなさいね。今時間大丈夫かしら?」
特に用事は無かったので頷く。吉川先生は「良かった」と言うと、気のいい笑顔で話をしてくれた。
「原田さんは、『プラネタリウム発表会』の存在を知っている?」
「はい、もちろんです」
プラネタリウム発表会とは、主にプラネタリウムの企画・制作を行い、それを機材などを使って映像化し、解説を行うという内容のものだ。
私も一応天文部員とだけあって、そこら辺の知識は一通り頭の中に入っている。
けれど、今ここでその話題が出たことの意図を掴めずにいると、吉川先生は本題はここからだと話を続ける。
「知っているなら話が早いわ。来月末に文化祭があるでしょう? そこで、天文部はプラネタリウム発表会をしてみない?」
「私がですか……?」
この高校の文化祭では、毎年部活動の活動報告会を称したちょっとした出し物が行われている。
去年は天体についてA4サイズの紙にまとめた内容を二分程度で発表を行うというシンプルなものだった。その制作は先輩たちが行ったため、私は何もしていないに等しかった。
そんな私に今回提案されたのが、プラネタリウム発表会だ。もしやると決まれば、企画を練って映像なども自分で用意しなくてはならない。 その作業は想像するだけで苦労するのが分かる。
それに、父との事もある。あの日釘を刺されて以来、私は星を見ないようにしていた。現実と嫌でも向き合うために。
どう断ろうか考えていたところで、吉川先生は私がやるかやらないかで迷っていると勘違いしたようで、「返事は今すぐでなくても良い」と言ってくれる。
そう言われてしまった手前断りづらかったが、今言わなければズルズルと引きずってしまいそうだと思った。
「先生、あの、すみません。今回の件はお断りさせて頂き--」
「やろう!」
最後まで言い終わるのを待たずに、どこからかそんな声が聞こえてきた。その声は、一点の曇りもなく私の耳に届いた。
反射的に声のした方を振り向く。そこには、会いたいようで会いたくなかった人物がいた。
「ゆかり……」
久しぶりに会う彼女は、相変わらず雰囲気に華があった。そして、やはり彼女は輝いていた。
「やろう! 舞!」
一気に距離を詰めたゆかりは、私の両手を取った。
私はそれをやんわりと振り払う。
「……無理よ」
思っていた以上に弱々しい声が出てしまい、自分でも驚いた。それほどまでに、今の私は弱っているということなのだろうか。
ゆかりは、両手を振り払われたことに驚いていた。傷付けてしまったことに心が痛んだ。目を合わせられずに俯く。
この場から逃げ出したい。そう思ったのに--
「私は知ってるよ。本当は、やりたいんでしょう?」
ゆかりが、もう一度私の手を取った。そして、私の心の奥底にしまっていた本音を、簡単に当ててしまう。
そうよ。本当は、私だって--
「……たい」
涙が溢れて、言葉が上手く紡げない。それでも、ゆかりは私の言葉を聞き流さないように静かに耳を澄ませてくれている。優しく握られた両手が、私の背中を押した。
「……やりたいっ。私、やりたいよ」
「うん。じゃあ、一緒にやろう?」
いつもと同じ、輝くような笑顔に私の心にかかっていた靄が晴れていく。
--あぁ、やっぱり。あなたは、私の『一番星』。
最初は、ただ目立ちたくない人なのかと思ってた。
1年生の時から学年首位をキープしているにも関わらず、それを鼻にかけるわけでもなければ、当たり前かのように喜ぶこともない。
ただ呆然と成績上位者の名前が載ったボードを眺めていた様子が、やけに印象に残っている。
そんな時に、天文部と写真部の部室が合併される話を聞かされた。今まで天文部の存在を知らなかったから、それを聞いた時は本当に驚いた。
そして、初めて天文部の部室に行った時、そこにいたのが舞だった。
話してみると、意外と普通で親しみやすい。なんと言っても、星の話をする時の舞は輝いていた。
そんな舞の姿を見るのが好きで、いつしかこっそり写真を撮っては家で見返すことが増えた。
私にとって、舞はキラキラ光るお星様みたいな存在だった。いつも破天荒で周りを振り回すことが多い私を、舞はいつも正しい道へと導いてくれる。歩くべき道を照らしてくれる、そんな存在。
舞は私を輝く『一番星』だって言ってくれたけど、それは違うよ。私はね、一人では輝けないことを何よりも知っている。
私はね、舞がいるからこそ自分らしく輝けるんだよ。
だから、吉川先生の提案を断ろうとしている舞を見た時、頭で考えるよりも先に言葉が口から出ていた。
案の定舞は驚いていた。だけど、その時に見た舞の瞳は救いを求めていた。
舞は、自分が輝いていることを認めていないのは分かっていた。
けど、そんな事ないんだよ。あの日も言ったように、舞は私にとっての『一番星』なんだよ。
だから 舞が私を輝かせてくれるように、私は舞を輝かせるよ。
「うん。じゃあ、一緒にやろう?」
2人で、輝く『一番星』を目指して--
ゆかりと一緒に文化祭に向けた制作をすることになった。
今回は、オリオン座をはじめとする冬の星座について神話を踏まえて解説を行うという形でまとまった。
私が企画、解説の内容作成を担当。ゆかりが自前のPCで画像や映像の編集作業を担当することになった。
正直、私1人では機械のことについてさっぱりと言って良いほど分からなかったので、ゆかりが協力してくれて本当に助かっている。
そもそも、今回の出し物の作成はゆかりの一声があってこそだ。感謝してもしきれない。
現在は制作を始めて早くも1ヶ月と少しが経過していた。この間に幾つもの困難にぶち当たってきた。
まず、企画の難しさだ。今回は言ってしまえばプチプラネタリウムを行うわけで、その企画となるとかなり膨大な量になる。
与えられた期間は約2ヶ月。その間に映像と解説を完成させなければならないとなると、素人2人では到底時間がなかった。
あえなく内容は抜粋して、冬の星座だけと限定はしたものの、それでも思うようには作業が進まないのが現実だった。
あとの問題としては、画像収集、編集などの大変さだ。幸いにもゆかりは少しだけ編集作業の知識があった。それでも、本格的に映像にするとなると知識に加え、時間と集中力を要することになる。
時間はあれど集中力が長く続かないゆかりは、作業の進まなさにモチベーションを保てずにいた。
それでも、私の為にと頑張ってくれる姿には涙を覚えたほどだ。
そんなこんなで、作業は難航していたが1ヶ月と少し経った今はだいぶ慣れ、作業は終盤に差し掛かりつつあった。
ちなみに、写真部は毎年文化祭で「出し物」ではなく「展示」を行っているらしい。
そのため、今回も適当に撮った写真を展示するのだとゆかりは言っていた。
いつものように部室で作業をする。キーボードを叩く音とクリック音が室内に響いていた。
そんな中、集中力を切らしたのか編集作業を行っていたゆかりが話題を振ってきた。
「やっぱりさ〜、私は舞は将来星に関する仕事をするべきだと思うんだよ」
言った後も腕を組みながら「うんうん」と1人頷いている。私は、それに曖昧な返事をすることしか出来ない。
「そうね。出来たら嬉しいけど……」
「やっぱりお父さんのことで踏み出せない?」
ゆかりには、父と何があったのかをプラネタリウムの制作をすることが決まった時に話していた。遊びの誘いを断っていたことを、ちゃんと謝りたいと思っていたから。
ゆかりは、事情はなんとなく察していたらしく、驚きはしなかった。
その時のゆかりは、家庭の事情には深く踏み込んでこなかった。代わりに、私の気持ちを尊重してくれた。「舞はどうしたいの」かと。
あの時の私は、すぐには答えが出せなかった。私は、父との関係をどうしたいと思っているのだろう。
ただ漠然と「自由になりたい」とは思っていた。けれど、それで私は満足出来るのか考えた時に、しっくりとこなかった。
正直に「分からない」と答えると、ゆかりは「じゃあ、いつかわかるようになるといいよね!」とポジティブに励ましてくれた。
そして、今も答えは見つからないままだった。
考えすぎたせいか、もう何分も喋っていないことに気付いた。ゆかりはその間も私の言葉を待ってくれていたのに、今日もまた、私は答えることが出来なかった。
罪悪感が募っていく中、そんなことは気にするなというように、ゆかりは話題を変えた。
「ねぇ、舞。ちょっと気分転換しない?」
「気分転換? 何をするの?」
ゆかりは満面の笑みを浮かべている。もうこの笑顔も見慣れたものだ。
そして、ゆかりがこの笑顔になる時は、決まって突拍子もないことを言うのもセットであることを、少しの付き合いである私にも分かった。
ゆかりはもったいぶるように「ムフフ」と口の前に手を当てていた。その行動から、予感は確信に変わった。
「オリオン座流星群を見に行こう!」
ゆかりの提案によってオリオン座流星群を見ることになった私たちは、折角ならと近場ではなく電車を使って少し遠い場所にある山へと登ることになった。
山と言っても本格的なものではなく、ちょっとしたハイキングコースになるような素人でも簡単に登れるような場所だ。ここなら日帰りで帰れると判断しての場所だった。
今日は父が仕事でいなかったため、すんなりと外出することが出来た。
集合場所である駅に行くと、 上は薄手のパーカーを羽織り、下はデニムパンツというシンプルな格好に、首から愛用のカメラを提げたゆかりが待っていた。
こちらに気付いたゆかりが「おーい」と大きく手を振る。道行く人の視線が集まったが、ゆかりは気にする様子はない。
そこに恥じらいを感じないあたり、ゆかりらしいと言えばらしい。私は少し肩身が狭くなりつつも、ゆかりの元へと向かった。
「ごめん、少し待たせた?」
「ぜーんぜん! それよりほら、早く行こうよ!」
ゆかりに手を引かれるがまま駅の改札へと向かった。
窓の外を見ると、陽が沈んですっかり夜の気配に染まった街並みが見えた。
電車に揺られること1時間。ようやく目的の駅に着いた。出発早々寝てしまったゆかりを起こして電車を降りる。
そこからは目的地まで徒歩で向かった。見慣れない街並みに心が躍った。
ゆかりも同じようで、珍しいお店を見つけてはキラキラと目を輝かせていた。
「なにあれ! 気になる〜」
「はいはい。そんなことより時間無いんだからさっさと登るわよ」
「う……はーい」
渋々と言った様子でゆかりが目的地へと再び歩き出す。
登山入口まで着いたところで、そこから20分ほど山を登った。
「はぁ、はぁ」
「はぁ、舞、はぁ、だい、じょぶ?」
お互い文化部所属ということもあり、運動とは縁遠い生活を送っていたため、緩やかな傾斜になっている道を歩いただけで息も絶え絶えだった。
「ええ、はぁ、だい、じょうぶ」
そうは言ったものの、足は限界を迎えてしまったようで力無く地面に倒れ込む。下は芝生になっていたため、そのまま仰向けに寝転がった。
ゆかりも限界が来たのか、私の隣で仰向けに寝転がった。
何とか息を整え、改めてその場を首を動かして見渡す。
この山の頂上には、広い空間が広がっていた。周りは木々に囲まれていたが、決して空の様子を邪魔することなく立っていた。
まるで、空の世界に閉じ込められたかのような錯覚に陥る空間だった。
「わぁ、すごいね。星がこんなにもきれいに見える」
ゆかりが自身の指でフレームを作り、空の様子をそこに収めていた。
「ええ。本当に、綺麗」
輝く星に手を伸ばす。届きそうで届かない、そのもどかしさも、今は心地が良かった。
--やっぱり私、星が好き
そんな想いが胸から湧き出る。今回のプラネタリウム制作を通して、自分がいかに星が好きであるかを改めて実感した。
時間を忘れるほど星に没頭して、それが楽しくて仕方がない。 この気持ちを誤魔化すことは出来ない。
あの日、ゆかりに私はどうしたいかと問われた時は答えられなかった。けれど、今ならハッキリと答えられる。
私は、誰になんと言われようとも星が好きな気持ちに嘘をつきたくない。どれだけ否定されようと、自分の好きを貫き通したい。それが例え、実の父親だったとしても。
ハッキリと分かったこの気持ちを、1番にゆかりに共有したかった。私の気持ちを気付かせてくれたのは、紛れもなくゆかりだから。
「ねぇ、ゆかり」
「ん〜?」
ゆかりは首に提げていたカメラを手に、星の写真を撮りながら返事をした。
「あのね、私、星が好きなの」
それだけで私が真剣な話をしていることに気付いたのか、ゆかりはカメラを一度体の上に置き、私の方へ視線を向けた。
その顔がいつになく真剣で、私も今から言おうとしていることに勇気が持てた。
「私、星が好きなくせに、勝手に将来を決められたってだけで、自分の夢を諦めようとしてた」
自分には自由がない。そう、言い聞かせていた。
「でも、馬鹿だった。私、諦めたんじゃなくて本当は逃げてるだけだった」
父には逆らえないことを言い訳に、向き合うことから逃げてきた。
「私、ゆかりと出会って色んなことを知ったよ。自分のことも、少しは知ることが出来た」
星の話をする自分はすごく楽しそうにしていることをゆかりに言われて初めて気付いた。
「私ね、やっぱり将来は星に関する仕事をしたいの」
そのために、私がやらなければいけないこと。
「だから、その夢を叶えるために父親を説得しようと思うの」
これが、私なりの決意。
ゆかりは私が全て言い終わるまで、静かに耳を傾けてくれていた。
最後の言葉を聞き終わると、ゆかりは満足気に微笑んだ。
「うん。やっぱり、舞は私の『一番星だね』」
それは、いつの日か私がゆかりに向けて言った言葉だった。けれど、それがまさか自分に対して言われているなど、驚きでしかない。
「はは、びっくりしすぎ〜」
からかうようにゆかりに頬をつつかれる。
「しょうがないじゃない。そんな事を言ってもらえるだなんて思ってなかったから……」
「え〜? 前も『お星様みたい』って言ったのに〜」
「それとこれとは別というか……」
「はは、なにそれ〜。……けど、今回は否定しないんだね」
前に言われた時は、自分が輝いていることを認めることが出来なかった。だから、どれだけゆかりに褒められたところで、ただ虚しくなるだけだった。
けれど、今は違う。私はもう、自分が輝いていることを認めることが出来る。だって、私のことを誰よりも分かってくれているゆかりが『一番星』だと言ってくれるから。
その時、視界の端で何かが光った。
「流れ星だ!」
ゆかりの声でそれが流れ星であることに気付いた。
1つ、また1つと、次々に流れ星が流れていく。その光景は、まさに神秘的だった。
「すごいっ! すご〜い!」
ゆかりは体を起こすと、興奮気味に空に手を伸ばしていた。
「写真撮りたいな〜! あっ! けどお願いごともしなきゃ!」
一度カメラを地面に置くと、両手を合わせて願い事をしていた。その慌ただしい様子に、つい笑みがこぼれた。
私ももう一度空に視線を移すと、絶え間なく流れ星が流れ続けていた。以前だったら、あまりの眩しさに目が眩んでいたかもしれない。
けれど、今は--
私はゆかりの手を取って走り出す。
「え? ちょっと、舞?!」
戸惑うゆかりのことはお構い無しに無我夢中で走る。
「ねぇ、ゆかり」
走りながら空に輝く一番星を指さす。ゆかりの視線が指先を辿る。
「2人ならきっと、あの星に負けないくらい輝けるわよね?」
ゆかりならきっと頷いてくれる。それが分かった上でいたずらっぽく問いかける。
縁は私からそんな自信に溢れた言葉が出たのが驚いたのか、すぐには返事は返ってこなかったが、しばらくするとゆかりは弾けんばかりの笑顔を見せた。
「うん! もちろんだよ! 私たち2人なら、きっとどの星よりも輝く『一番星』になれるよ!」
私たちは笑い合った。その瞬間は、きっと世界のどんなものよりも輝いていた。
家の扉を開けると、父の靴があった。もう仕事から帰ってきているのだろう。
いつもなら顔を合わせるのもはばかられるため、すぐに自分の部屋に籠っていた。けれど、今日は父が待つであろうリビングへと向かった。
リビングの扉を開けると、案の定父は定位置であるソファの上に座っていた。私の存在に気付いてはいるだろけど、父がこちらを振り向くことはなかった。
母は、そんな親子2人の様子をオロオロと眺めるだけだった。
--ここで逃げちゃダメよ
自分を叱咤し、心を奮い立たせる。一度深呼吸をする。
「お父さん。少し、話したいことがあるの」
「なんだ」
そこで、ようやく父が私の方を向いた。怯みそうになるが、何とか堪えた。
「私、将来はプラネタリウム解説員になりたいの」
星に関するものの中でも、私は特にプラネタリウムが好きだった。今回のプラネタリウム制作を経て、これを仕事にしたいと思った。
素直な気持ちを伝えたが、やはり父の反応は良いものとは言えなかった。
「駄目だ。お前の将来は既に決まっている。くだらないことを言うのはよせ」
--まただ。
また、父はこうして私から自由を奪おうとする。けれど、向き合うと決めた。
「私、お父さんに決められた道に進むのは嫌だ」
「今更何を言ってるんだ。高校は好きなところに行かせてやっただろう。それで十分なはずだ。良いか? お前は特別な存在にならなければいけないんだ」
これ以上の話し合いは無駄だと父は部屋を出ていこうとする。私はその手を掴み、なんとか引き留める。
「お父さんは、私のことを全然分かってないよ」
「なに?」
父の眉間に深い皺刻まれたが、そんな事はお構い無しに本音をぶつける。
「お父さんは、どれだけ私が星を好きなのか知らないでしょう? だから、くだらないなんて言えるんだよ!」
私がここまで反抗したのは初めてだったためか、父は驚いたように私の顔を見た。
「お父さんにとってはくだらないことでも、私にとっては大事なことなの! なんでそんなことも分からないの!」
娘が声を荒らげてたことに、両親は何も言えずに立ち尽くしている。
私も、これ以上は気持ちの整理がつきそうにない。
全員が黙り込んでしまい、場を静寂が支配したかと思われた時、今まで一切愚痴を挟んでこなかった母が言葉を発した。
「あなた、もう良いんじゃないでしょうか」
それは、母から聞く初めての私を守るための言葉だった。
「しかし……」
それでも父は食い下がろとしたが、母はその追随を許さなかった。
「この子が、こんなにも自分の気持ちを話したのなんて初めてですよ。私たち親が、いつまでも子供の自由を奪うのは、やはり良くないんですよ」
正直、以外だった。母が、私の味方をしてくれたことなんて一度も無かった。だから、今回も期待なんてしていなかった。
けれど今、私を守るための言葉を発しているのは、紛れもなく母だった。
「お母さん……」
母は私を見て、一度は目を逸らした。けれど、二度目は逃げることなく私を瞳に捉えていた。
「今まで、散々見て見ぬ振りをしてきた。だから、今更何を、と思われても仕方がないと思ってる。けど、あなたが反抗して、私は自分の過ちにやっと気付くことが出来た」
母は深く頭を下げた。
「今までのこと、ごめんなさい。これからは、私はあなたの、舞の進みたい道を応援するわ」
母の行動に、私は驚きを隠せなかった。
「正気か……?」
父も私と同様に今まで黙って静観してきた母の行動に驚いているようだった。
「正気も何も、今までの私たちがおかしかったんですよ。あなた、子供の幸せは子供にしか分からないこともあるんですよ」
母の言葉が、私の心の奥をゆっくりと溶かしていく。
それは、固く閉ざされた扉が開く合図だった。
「ありがとう……お母さん」
視界が滲んでいく。ポタポタと床に落ちる雫を、止めようとするけど、それは止まるどころか溢れてくるばかりだった。
「あなた、これでもまだ舞の夢をくだらないと言い捨てるんですか?」
その問いかけに、父は言葉を詰まらせた。そして、悩んだ末に出した答えは--
「以上が、天文部からの出し物となります。ご清聴、ありがとうございました」
お辞儀をすると、体育館に集まっていた生徒たちからパラパラと拍手が返ってきた。
今日が私とゆかりの共同制作の集大成を披露する日だった。
オリオン座流星群を見に行ったあとの1週間程で作品を仕上げ、今日の文化祭に備えていた。
出来栄えは初めてにしては上々だった。苦労も多かったが、楽しかったプラネタリウム制作は今日この場をもって幕を閉じた。
映像を投影していたプロジェクターを片付けていたゆかりと合流する。
「お疲れ様」
「おつ〜。解説すっごいよかったよ!」
親指を立ててグッドマークを作る姿に笑みがこぼれる。
「今回はゆかりの協力あってこそよ。本当にありがとう」
「お役に立てたならなによりです」
わざとらしくお辞儀をして見せたゆかりを軽く叱る。
「も〜、やめてよ」
「あははっ」
そんなやり取りをしつつも、作業もキリをつけ、早々に体育館を後にした。
廊下には、文化祭の雰囲気に当てられて思い思いの青春を謳歌する生徒たちで溢れ返っていた。
私たちは、そんな生徒たちの間を掻き分けある場所へと向かっていた。
2年生の教室の1番奥に存在している美術室に飾られた『あるもの』が目当てだった。
「そういえばさ、お父さんに将来の夢許してもらえてよかったよね!」
あの日、父は母の言葉を受けて最終的には私の意志を尊重することを選んでくれた。
父に自分の好きなものを認めてもらえたことに、胸がいっぱいになった。
何より、私たち家族はその日から少しずつではあるが、関係が以前より良好になってきている。
腹を割って話す、私たち家族はそれが出来ていなかった。そのためにこじれてしまっていたが、きっとこれからはそれも改善していくのだろう。
「ええ、お陰様でね。本当にありがとう」
「何言ってんの! 勇気出したのは舞でしょ!」
「……それもそうね」
本当の事だったので否定はしなかった。
「なんか、舞ちょっと図々しくなったよね」
「誰かさんのお陰でね」
笑顔で返すと、ゆかりは一瞬面食らっていたが、すぐに声を出して笑い出す。
ゆかりは左手はお腹に当てたまま、右手で私の肩に手を置いた。
「うんうん、私は今の舞も好きだよ」
ゆかりの心からの笑顔に、私も自然と口角が上がった。
美術室に入ると、数名の生徒たちが美術部の部員が書いたであろう作品たちを眺めていた。
その中で、絵とは少し離れた位置に1枚の写真が飾られていた。
私たちはその写真に近付く。ここに来た目的は、これを見に来ることだった。
写真の撮影者の欄には「今野ゆかり」と書かれていた。ゆかりは写真部として、自身が撮った写真をここでお披露目していた。
「いや〜ほんといつ見てもいい写真だわ〜」
「確か、これは偶然撮れてたんでしょう?」
「そう! オリオン座流星群を見に行った日!」
この写真は、あの日偶然カメラのタイマーが機能したことによって撮れたものらしい。
「でも、本当に良い写真ね」
いつまでも見ていたくなるような、そんな写真だった。
「そりゃあ、私と舞だからね!」
「ふふ、そうね」
「じゃあ残りの時間は出店色々回ろー!」
ゆかりに手を引かれるがまま美術室を後にした。
後に文化祭の日に飾られた1枚の写真は、天文部顧問の推薦により、写真コンテストに応募することになった。
その結果、審査員特別賞を受賞。
その写真には、2人の少女が写っていた。その少女2人は、夜空に流れる数多の流れ星の下で笑い合っていた。
その写真の講評には、こう書かれていたと言う。
少々2人の笑顔が、夜空に浮かぶどの星々よりも輝いて見えた。まるで、2人の存在が1つの輝く『 一番星』のようだった--

