そのまま視線を落とし、しばらく顔を上げることができなかった。
覚悟して出社したはずだった。
冷たい視線を浴びることも、避けられないと思っていた。
それでも——思っていたほどではなかった。
それが、なぜか。
答えは、もう分かっている。
陽だ。
何も知らずに、ただ嫉妬していた自分が、ひどく情けなかった。
そして——陽にしてしまったことの重さが、遅れて胸にのしかかる。
指先が、わずかに震える。
「……陽に」
かすれた声で言う。
「ちゃんと謝りたいし、お礼も言いたい」
顔はまだ上がらない。
その言葉を、雅人は静かに受け止めた。
一瞬の沈黙。
そして、はっきりと言った。
「僕も、あなたに猛烈に嫉妬してますから」
その声は穏やかだったが、揺るがなかった。
「もう、ようちゃんには関わってほしくない」
言い切る。
余地のない、言葉だった。
「ですよね……」
智也は小さく呟いた。
ワイルドな見た目とは裏腹に、どこか弱々しい声音だった。
そのまま二人の間に、短くも長い沈黙が落ちる。
先に口を開いたのは、雅人だった。
「五十嵐さん、陽の元カレって知ってます?」
智也は顔を上げる。
「いや……よく知らないです」
雅人は少しだけ笑った。
「僕とあなたの間に二人いるんですけどね、どっちもとんでもない超大物なんですよ」
「大物……?」
意外そうに聞き返す。
「そうです。」
さらりと言い切ってから、少しだけ悪戯っぽく続ける。
「だから、あなたが成功してくれないと困るんですよ」
「え……?」
意味が追いつかない、という顔。
雅人は肩の力を抜いて笑う。
「ようちゃんと付き合った男は大物になる、って説が崩れるでしょ」
一拍置く。
「そしたら、僕の将来まで不安になる」
冗談のようでいて、どこか本気の響きがあった。
智也は目を瞬かせる。
雅人は続ける。
「だから——直木賞でも芥川賞でも取れる作家、どんどん育ててくださいよ」
さらっと言いながら、視線はまっすぐだった。
「編集者として大成功してください」
少しだけ口角を上げる。
「育てられなきゃ、自分で書いたっていい」
その言葉に、智也は何度か小さく頷いた。
胸の奥に、何かが灯る。
「……よしっ」
短く息を吐き、顔を上げる。
「ありがとうございました」
真っ直ぐに言う。
「やっぱり、お話できてよかったです」
そして、ふっと少し含みのある笑みを浮かべた。
「あ、あと……」
雅人が視線を向ける。
「陽、めちゃくちゃモテるんで気をつけてくださいね」
「え?」
一瞬、素の声が漏れる。
智也は肩をすくめる。
「今までは俺が付き合ってることになってたから、手出せなかった奴らも多いと思うんで」
少し楽しそうに笑う。
「これから、動き出すかもしれないですよ」
雅人は思わず眉をひそめる。
「なんだよそれ……ようちゃん、未だにモテてんの?」
つい、タメ口になる。
雅人は小さく息を吐いた。
「はぁ……」
智也は、静かに椅子から立ち上がった。
「今日は本当にありがとうございました」
丁寧に頭を下げる。
そして少しだけ柔らかい表情になって、
「よかったら、今度飲みに行きましょう」
そう言って名刺を差し出した。
「いつでも連絡ください」
雅人も立ち上がり、自分の名刺を取り出す。
受け取りながら、ふっと笑った。
「そのときは、受賞のお祝いですね」
差し出された手に、智也も応じる。
しっかりと握手を交わす。
言葉にしなくても、それぞれの中で何かが整理されたような、そんな空気だった。
手を離し、軽く会釈をして——
二人は、それぞれ別の方向へと歩き出した。
覚悟して出社したはずだった。
冷たい視線を浴びることも、避けられないと思っていた。
それでも——思っていたほどではなかった。
それが、なぜか。
答えは、もう分かっている。
陽だ。
何も知らずに、ただ嫉妬していた自分が、ひどく情けなかった。
そして——陽にしてしまったことの重さが、遅れて胸にのしかかる。
指先が、わずかに震える。
「……陽に」
かすれた声で言う。
「ちゃんと謝りたいし、お礼も言いたい」
顔はまだ上がらない。
その言葉を、雅人は静かに受け止めた。
一瞬の沈黙。
そして、はっきりと言った。
「僕も、あなたに猛烈に嫉妬してますから」
その声は穏やかだったが、揺るがなかった。
「もう、ようちゃんには関わってほしくない」
言い切る。
余地のない、言葉だった。
「ですよね……」
智也は小さく呟いた。
ワイルドな見た目とは裏腹に、どこか弱々しい声音だった。
そのまま二人の間に、短くも長い沈黙が落ちる。
先に口を開いたのは、雅人だった。
「五十嵐さん、陽の元カレって知ってます?」
智也は顔を上げる。
「いや……よく知らないです」
雅人は少しだけ笑った。
「僕とあなたの間に二人いるんですけどね、どっちもとんでもない超大物なんですよ」
「大物……?」
意外そうに聞き返す。
「そうです。」
さらりと言い切ってから、少しだけ悪戯っぽく続ける。
「だから、あなたが成功してくれないと困るんですよ」
「え……?」
意味が追いつかない、という顔。
雅人は肩の力を抜いて笑う。
「ようちゃんと付き合った男は大物になる、って説が崩れるでしょ」
一拍置く。
「そしたら、僕の将来まで不安になる」
冗談のようでいて、どこか本気の響きがあった。
智也は目を瞬かせる。
雅人は続ける。
「だから——直木賞でも芥川賞でも取れる作家、どんどん育ててくださいよ」
さらっと言いながら、視線はまっすぐだった。
「編集者として大成功してください」
少しだけ口角を上げる。
「育てられなきゃ、自分で書いたっていい」
その言葉に、智也は何度か小さく頷いた。
胸の奥に、何かが灯る。
「……よしっ」
短く息を吐き、顔を上げる。
「ありがとうございました」
真っ直ぐに言う。
「やっぱり、お話できてよかったです」
そして、ふっと少し含みのある笑みを浮かべた。
「あ、あと……」
雅人が視線を向ける。
「陽、めちゃくちゃモテるんで気をつけてくださいね」
「え?」
一瞬、素の声が漏れる。
智也は肩をすくめる。
「今までは俺が付き合ってることになってたから、手出せなかった奴らも多いと思うんで」
少し楽しそうに笑う。
「これから、動き出すかもしれないですよ」
雅人は思わず眉をひそめる。
「なんだよそれ……ようちゃん、未だにモテてんの?」
つい、タメ口になる。
雅人は小さく息を吐いた。
「はぁ……」
智也は、静かに椅子から立ち上がった。
「今日は本当にありがとうございました」
丁寧に頭を下げる。
そして少しだけ柔らかい表情になって、
「よかったら、今度飲みに行きましょう」
そう言って名刺を差し出した。
「いつでも連絡ください」
雅人も立ち上がり、自分の名刺を取り出す。
受け取りながら、ふっと笑った。
「そのときは、受賞のお祝いですね」
差し出された手に、智也も応じる。
しっかりと握手を交わす。
言葉にしなくても、それぞれの中で何かが整理されたような、そんな空気だった。
手を離し、軽く会釈をして——
二人は、それぞれ別の方向へと歩き出した。

