次の日から、彼は自然に陽の朝の一部になった。
「おはよ」
そう言って追い抜いていく日もあれば、少し離れた場所から陽を見つけて、小さく手を振ってくる日もある。
満員電車で人波に挟まれ、少し離れた場所にいても、ふと視線が合う。
そのたびに彼は、にこっと笑ってくれた。
陽は何事もない顔をするのに必死だった。
挨拶をして、ほんの少し言葉を交わす。
そんな日々がしばらく続いたある朝。
後ろから足音が近づき、聞き慣れた声がした。
「おはよ」
陽は振り返って答える。
「おはよう。今日、雨やんでよかったね」
昨夜まで降っていた雨の名残で、道端にはまだ小さな水たまりが残っている。
すると、その後ろから勢いよく声が飛んできた。
「まさと!」
二人同時に振り向く。
息を切らした男子が駆け寄ってきた。
「え? なに? 友達? 学部どこ?何ちゃん?」
矢継ぎ早の質問に、陽より先に雅人が苦笑する。
――まさとっていうんだ。
陽はその名前を胸の中でそっと繰り返した。
知れただけで、少しうれしい。
すると雅人が、思い出したように言った。
「あー、そういえば名前聞いてなかった」
友人は目を丸くする。
「え? そうなの?」
本気で驚いている顔がおかしくて、陽は少し笑いそうになった。
雅人は陽のほうへ向き直り、少しだけ姿勢を正した。
「雅人です」
陽もつられて背筋を伸ばす。
「陽です」
二人の顔に、同時に小さな疑問符が浮かんだ。
陽は慌てて言い直す。
「……太陽の陽で、ようです」
その瞬間、雅人の顔がぱっと明るくなった。
「ようちゃんね。よろしく!」
その呼び方に、陽の胸が高なる。
雅人はすぐに友人の肩をつかみ、くるりと向きを変えた。
「もう、お前はうるさいから行くぞ」
「え、ちょ、待ってよ!俺自己紹介まだ…」
騒ぐ友人を引っ張って歩き出す。
去っていく背中を見送りながら、陽はそっと自分の名前を心の中でなぞった。
ようちゃん。
その一言だけで、一日が全部やさしくなる気がした。
ようちゃん。
ようちゃん。
ようちゃん。
頭の中で、その声だけが何度も響いていた。
講義中も、ノートを開いている時も、友達と話している時でさえ、ふいに思い出してしまう。
あの自然な言い方。
少しうれしそうに笑った顔。
胸の奥が、くすぐったくなる。
陽はまた、昼間の空を見上げた。
星なんて見えない青空に向かって、小さくつぶやく。
「ありがとう。名前、呼んでもらえました」
誰にも聞こえない声だった。
けれど、自分の中では大事件だった。
「おはよ」
そう言って追い抜いていく日もあれば、少し離れた場所から陽を見つけて、小さく手を振ってくる日もある。
満員電車で人波に挟まれ、少し離れた場所にいても、ふと視線が合う。
そのたびに彼は、にこっと笑ってくれた。
陽は何事もない顔をするのに必死だった。
挨拶をして、ほんの少し言葉を交わす。
そんな日々がしばらく続いたある朝。
後ろから足音が近づき、聞き慣れた声がした。
「おはよ」
陽は振り返って答える。
「おはよう。今日、雨やんでよかったね」
昨夜まで降っていた雨の名残で、道端にはまだ小さな水たまりが残っている。
すると、その後ろから勢いよく声が飛んできた。
「まさと!」
二人同時に振り向く。
息を切らした男子が駆け寄ってきた。
「え? なに? 友達? 学部どこ?何ちゃん?」
矢継ぎ早の質問に、陽より先に雅人が苦笑する。
――まさとっていうんだ。
陽はその名前を胸の中でそっと繰り返した。
知れただけで、少しうれしい。
すると雅人が、思い出したように言った。
「あー、そういえば名前聞いてなかった」
友人は目を丸くする。
「え? そうなの?」
本気で驚いている顔がおかしくて、陽は少し笑いそうになった。
雅人は陽のほうへ向き直り、少しだけ姿勢を正した。
「雅人です」
陽もつられて背筋を伸ばす。
「陽です」
二人の顔に、同時に小さな疑問符が浮かんだ。
陽は慌てて言い直す。
「……太陽の陽で、ようです」
その瞬間、雅人の顔がぱっと明るくなった。
「ようちゃんね。よろしく!」
その呼び方に、陽の胸が高なる。
雅人はすぐに友人の肩をつかみ、くるりと向きを変えた。
「もう、お前はうるさいから行くぞ」
「え、ちょ、待ってよ!俺自己紹介まだ…」
騒ぐ友人を引っ張って歩き出す。
去っていく背中を見送りながら、陽はそっと自分の名前を心の中でなぞった。
ようちゃん。
その一言だけで、一日が全部やさしくなる気がした。
ようちゃん。
ようちゃん。
ようちゃん。
頭の中で、その声だけが何度も響いていた。
講義中も、ノートを開いている時も、友達と話している時でさえ、ふいに思い出してしまう。
あの自然な言い方。
少しうれしそうに笑った顔。
胸の奥が、くすぐったくなる。
陽はまた、昼間の空を見上げた。
星なんて見えない青空に向かって、小さくつぶやく。
「ありがとう。名前、呼んでもらえました」
誰にも聞こえない声だった。
けれど、自分の中では大事件だった。

