真昼の星空

東京発の新幹線。

大阪行きの指定席は、ほぼ満席だった。

陽は窓側の席に座り、書類をカバンから取り出す。

今日の大阪は出版イベント。
緊張しないわけがない。

その時。

品川で隣の席に一人の男が乗ってきた。

スーツ姿。
荷物を棚に上げ、ジャケットを脱ぐ。

顔は見ない。

(ああ…隣、男か)

少しだけ残念に思う。

その瞬間。

ふわっと懐かしい香りがした。

(……この香り)

昔、好きだった香水。

でも特に気にもとめず書類に目を落とす。

すると。

「ようちゃん?」

聞き覚えのある声。

時間が止まる。

ゆっくり顔を上げる。

「……え?」

男が笑った。

「やっぱり。ようちゃんだ。」

「……え?」

一度、窓の外を見る。

景色なんて見ていない。

頭が追いつかない。

「……え?」

男が笑う。

「3回目。」

「……なんで?」

「凄い偶然。」

雅人だった。

18歳で好きになって、
20歳から付き合って、
22歳から3年間同棲した人。

このまま結婚すると思っていた人。

でも雅人は言った。

世界を見たい。
若いうちに色んな国に行きたい。
ようちゃんも一緒に行こう。

そう言われたけど、陽は行けなかった。

そして2人は別れた。

あれから10年。

「帰ってきてたんだ。」

自然に出た言葉。

「それに…スーツ姿、意外。」

雅人が少し照れる。

「うん。俺もおどろいてる。
ようちゃん今日どこまで?」

「新大阪。仕事で。」

「帰りは?」

「明日の夜。」

少し考えて雅人が言う。

「じゃあさ。」

「明日東京戻ったら飯食おう。」

「……なんで?」

「せっかく会えたし。色々話したい。」

昔と同じ笑い方だった。

「ようちゃん仕事何してるの?」

「どこに住んでるの?」

「まだ前の会社?」

「みんな元気?」

陽が笑う。

「まさくん質問多い。」

「まさくんは?どこで降りるの?」

少し間があって。

「俺も新大阪。」

少し照れた顔。

陽も少し笑う。

「じゃあ…」

「それまで話せるね。」

雅人の声は変わっていなかった。

少し低くなった気もするけど、
呼び方は昔のまま。

ようちゃん。

そして同じ香水。

好きだった香り。

忘れたと思っていたのに、
記憶は一瞬で戻る。

品川から新大阪まで約2時間。

話し続けた。

昔のこと。
今のこと。

でも核心の話はしない。
ほんとに聞きたいことは他にあるはずなのに。

それが大人なのかもしれない。

10年という月日は2人にとって長すぎた。

もう二度と会うことはないと思っていた相手だから。

途切れない雅人の声をどこか遠くで聞いているような、夢の中のような、
そんな不思議な気持ちで聞いていた。

陽が言う。

「もうこんなに話したし明日の夜会う必要ないでしょ」

少し距離を取る言い方。
会いたかったのか会いたくなかったのか、陽も自分で分からなかった。

すると雅人は即答した。

「いや。それとこれとは別。」

昔と同じ。

決めたら引かない言い方。

「連絡先教えて。帰る時間分かったら新幹線予約するから連絡して。待ってるから一緒に帰ろう。」

昔からこうだった。でも嫌じゃない。
気付けば雅人のペース。

陽は少しだけ試す。

「あのさ。私に旦那さんとか彼氏いたら無理でしょ?昔付き合ってた人と2人でご飯なんて。」

一瞬、雅人の顔が止まる。

「……いるの?」

聞きたいのに聞けなかった。
考えなかった訳じゃない。
わざと気が付かない振りをしていたんだ。

聞くのが、怖かった。

陽は少し間を置いて答える。

「いないけど。」

その瞬間。雅人が少し笑う。

「いないんじゃん。」

安心した顔。
嬉しい顔。
隠せてない。

「じゃあ決まり。」

連絡先を交換する時、ほんの一瞬見えた陽のスマホの画面がスカイツリーに見えた。

見間違いかな…


陽は思う。
(変わってないな)

でも。
嫌じゃなかった。

むしろ――

少し安心している自分がいた。
(まさくんにまた会えたんだ)

新大阪駅。

人混みの中で二人は別れる。

「じゃあまた明日。連絡するね。」

雅人が言う。

「うん。」

陽は軽く手を振る。

10年前みたいな別れ方じゃない。

ちゃんと「また」がある別れ。

改札に向かう陽。

振り返らない。

雅人は見えなくなるまで、その後ろ姿を見送っていた。

会いたくても会えなかった。
やっと会えた。
ずっと好きだった。
忘れるなんて、出来なかった。