Fahrenheit -華氏- Ⅲ



6本パック、そのまま冷やしてある。


あたしは違うメーカーのが好きだったから、これは啓専用の為買い置きしてたけど…


「こんなにある……どう消化していけばいいのよ」


ため息をつきながら、とりあえずその中の一本を手に取った。


プルタブを開け、グラスに注ぐことなくあたしはそのまま缶に口を付けた。


悪くはないけど…


と思いながら「とりあえず部屋着、出そう」と寝室に向かい缶ビールを持ったままクローゼットを開けた瞬間…


ふわり


覚えのある香りが漂ってきて、あたしは思わず缶ビールを落とした。


床に落ちた缶ビールはまだ中身の残っていて、みるみるうちにシュワシュワと細かい音を立てて床に広がった。


Fahrenheit


この香りに包まれるとあったかくて、心地良くて幸せで―――


ハンガーラックに掛かった服たちの中、あたしの目に“それ”はすぐ視界に飛び込んできた。


啓の着ていた、白いワイシャツ。


あたしが着るとワンピースになる。


それは一番最初、あたしと啓が深い関係になる初めての夜、彼が着ていたもの―――


震える手でそのワイシャツに手を伸ばす。クリーニングに出して、きっちりノリが利いた襟元。その香りが漂ってくるわけないのに……


と思いつつ、いいえ、あたしが啓の香水から少し失敬してサシェにしてハンガーラックに吊るしていたから。


だからここは啓の香りで溢れている。


あたしはワイシャツを乱暴に掴み取り、床に投げつけ―――たい気持ちになった。


けれど、そうしなかった。


できなかった。


あたしはきゅっとそのワイシャツを抱きしめ、





「何で……」



小さく呟いた。言葉を出すと同時にまたも涙が出てきた。



「何で」


あたしは再び呟きながら、そのまま崩れるように床に膝を付きワイシャツを抱えて蹲った。




「何で」




香りだけ残して、あなたはあたしの前から消えたの―――



ずっと傍に居るって言った。





どうしてなの―――



どうして、



傍にいてくれないの。





啓―――