最後に三本締めが行われて、納涼祭も無事に終了した。席を立とうとしたら、隣に座っていた鳴海くんがスマホを見ながら小さくうなった。
「どうしたの?」
「我聞が今から俺の家に来るって。しかもこの文面からだと、酒に酔ってるっぽいな」
そう言って眉を寄せた。
「本当に我聞と仲がいいのね」
私がそうつぶやくと、鳴海くんがスマホから私に視線を移した。
「藤川、明日の勤務はなに?」
「休み…だけど」
「―――これから、俺のマンションに来ない?」
間を置かず、自然な流れで言われた一言に、心臓が一拍遅れて跳ねた。
「えっ、マンション?」
我聞がいるとわかっているけど、この時間に自宅に誘われるのはドキドキしてしまう。
「俺、病院に近いマンションに住んでいるんだ。明日は当番で朝が早いから。酔っ払い我聞を連れて帰ってもらえたら助かるなって」
ああ、なるほど。酔っ払いの保護者ね
納得したはずなのに、胸の高鳴りはなかなか落ち着かなかった。
「うん、私でよければいいよ」
「決まり。じゃあ、先に裏口のエントランスで待ってて」
そう言うと鳴海くんは席を立ち、一直線に会場の出口へと向かい出て行ってしまった。
そしてすぐに私はなんとも言えない気分になってしまう。なぜって、鳴海くんの背中を追って小走りする森さんの姿が目に入ってしまったから。
森さんは鳴海くんを追いかけていった。もしかしたら、月野リゾート宿泊の打診でもするのかな。みんなが見ている場で堂々と宣言したのだから、きっと森さんも必死だと思う。
私は一歩遅れて席を立ちながら、その背中を目で追ってしまった。追いかけることはできないのに、視線だけが残る。
そんなことを考えながら私は人気のない裏口で鳴海くんを待っていた。ここは裏口のため、ほぼ人の出入りがなかった。なぜ、ここを集合場所にしたのだろうか。
鳴海くん、本当に来てくれるのかな
さっきの光景が頭から離れない。森さんに引き止められて、そのまま――なんてことも、あり得る。
そんな心配をしていたら肩をポンと叩かれた。振り向くとニコリと笑う鳴海くんが立っていた。
「お待たせ。行こうか」
思っていたよりも早い再登場に、胸の奥の不安が一気にほどけた。
二人並んで静かなコンコースを歩いた。
「てっきり、鳴海くんは森さんにつかまっているんだと思ってた」
「まさか。ビル内の階段を上ったり下ったり運動をしてきただけだよ」
それって尾行する森さんを撒いてきたってことだよね?
軽く言っているけど、明らかに“避けた”動きだ。
宴会の時はしれっとしていたけれど、森さんのアプローチにはきちんと気が付いていたんだ。
「森さん、鳴海くんのことが好きなんだね。鳴海くんは聞いていなかったけど、森さんが一緒に月野リゾートに行きたいのは……」
私が言いかけた時、鳴海くんがそれを遮った。
「ねえ、森さんてさ医局でなんて呼ばれているか知っている?」
「……わからない」
「4Aのキャバ嬢って呼ばれている」
裏でそんな風にあだ名が付けられていることに驚いた。
「色んな医者を誘っては飲みにいっているらしい」
「あ……」
「俺は全く興味が沸かない」
「そう……なんだね」
きっぱりと言い切る声音に、曖昧さは一切なかった。
そう言い切るところが、はっきりとした考えをもつ鳴海くんらしかった。
ビルの外に出ると二十時半過ぎなのに人だかりができていた。すると東側に流れている川からヒューと音が聞こえてきた。二人で音が鳴る方に視線を送った。すると、連続花火が夜空を彩った。
「わあー、今日は花火大会なんだね!」
私は目の前で上がる花火に興奮してしまった。
「うちの病院でもこの花火が見えるんだよ。花火大会の日は特別、病棟の面会大広間の照明を落として特等席になるんだ」
鳴海くんが得意げに教えてくれた。
「うん。実は今日ね、そこで患者の山崎さんが彼と花火デートしているのよ」
「山崎さんってこの前、子宮全摘した患者の?」
「そう。彼氏と花火デートをしたことがないんですって。それを知った市川主任さんがセッティングしたの。主任さんの提案、素敵だと思わない?」
今、まさに二人並んでこの花火を鑑賞しているのだと思うと、私まで幸せな気分になった。
「ああ。でも、藤川は市川主任は怖くない? カンファで言い合いになったって聞いたよ」
鳴海くんの耳にまで届いていたらしい。それは少し気恥ずかしかった。
「主任さんは話せばわかってくれる人よ。多少、怖いくらいじゃないと病棟もまとまらないわ」
「さすが藤川だな。自分の意見をきちんとぶつけたんだろうなって想像がつく」
「私ってそういう印象だったの?」
私は本来、前に出るタイプではないのだけれど、鳴海くんにそう言われて意外だった。
「中学三年の最後の文化祭。急遽、ロボ研の部屋がバザーの控室にされた。ロボットは展示だけにしてって先生に言われたことあったよね」
「ああ……あったね」
私は思い出してコクンと頷いた。
「ロボットは動いてその魅力がわかるのにって、空きスペースを見つけるから貸してほしいって、藤川が先生に粘り強く交渉してくれた」
「そう。学校中を歩き回って見つけたのが、三階、突き当りの図書室と音楽室に挟まれた廊下。文化祭当日は施錠されるからその前の廊下はがら空きになる。そこでやったんだよね」
「俺たちが一年かけて作成した作品をみんなに披露できたのは藤川のおかげだったんだ」
そう言って私に微笑んでくれた。私もつい照れちゃって、軽く俯いて答えた。
「私はそれくらいしかできなかったから……」
「物腰は柔らかいのに、自分の意志はしっかり持ってる。俺は藤川のそんなところが好――――そ、尊敬していた……」
鳴海くんが言葉をつっかえた。
一瞬だけ、“す”のあとに続く言葉を探すような間があった。
「あれはみんなの才能と努力の結晶だもの。でも、そう言ってもらえて、ものすごく嬉しいっ!」
思い切って嬉しい気持ちを表情に乗せて笑った。そうしたら、鳴海くんがはっとした表情で私の顔を見つめてきたんだ。
そして、次の瞬間。
私の後ろでピンク色の大輪の花火がパーンってはじけた。なぜピンク色だとわかったのか、それは、私を見つめる鳴海くんの瞳に花火が反射していたから。そして鳴海くんの頬もうっすらピンク色に染まったから。
花火が消え去った鳴海くんの瞳が揺らいだのがわかった。何かを言いかけて、飲み込んだような動きだった。そして鳴海くんは何も言わずにゆっくりと身体を正面に戻してしまう。
「早く……俺のマンションに行こうか」
トーンを落とした声でそういうと再び歩みを始めた。
「? うん……」
どうしたのかな、一瞬、テンションが低くなったよね?
それから観客の波を避けながら二人並んで歩いていった。鳴海くんは長いコンパスを私の歩調に合わせてくれる。
あの頃と一緒。私が少し遅れるとすぐに気がついて立ち止まって待ってくれる。鳴海くんの優しさは昔とまったくかわらない。
私はそんな鳴海くんが好きだった。
私は知っていたんだ。
本当は私に合わせてワンブロック遠回りをして帰ってくれていたこと。
そんなことを鳴海くんが三年間も続けてくれたから、てっきり私に好意があると勘違いしてしまった。
卒業式の日に鳴海くんが他の子に告白すると知るまで……
でもやっぱり鳴海くんの隣でこうして歩いていると楽しいし、ドキドキするし、居心地がいいんだ。
さっきの言いかけた言葉が、少し引っかかる。
(また勘違いさせられそうだよ、鳴海くん)
夜風に混じる火薬の匂いが、切なく鼻を抜けていった。
「どうしたの?」
「我聞が今から俺の家に来るって。しかもこの文面からだと、酒に酔ってるっぽいな」
そう言って眉を寄せた。
「本当に我聞と仲がいいのね」
私がそうつぶやくと、鳴海くんがスマホから私に視線を移した。
「藤川、明日の勤務はなに?」
「休み…だけど」
「―――これから、俺のマンションに来ない?」
間を置かず、自然な流れで言われた一言に、心臓が一拍遅れて跳ねた。
「えっ、マンション?」
我聞がいるとわかっているけど、この時間に自宅に誘われるのはドキドキしてしまう。
「俺、病院に近いマンションに住んでいるんだ。明日は当番で朝が早いから。酔っ払い我聞を連れて帰ってもらえたら助かるなって」
ああ、なるほど。酔っ払いの保護者ね
納得したはずなのに、胸の高鳴りはなかなか落ち着かなかった。
「うん、私でよければいいよ」
「決まり。じゃあ、先に裏口のエントランスで待ってて」
そう言うと鳴海くんは席を立ち、一直線に会場の出口へと向かい出て行ってしまった。
そしてすぐに私はなんとも言えない気分になってしまう。なぜって、鳴海くんの背中を追って小走りする森さんの姿が目に入ってしまったから。
森さんは鳴海くんを追いかけていった。もしかしたら、月野リゾート宿泊の打診でもするのかな。みんなが見ている場で堂々と宣言したのだから、きっと森さんも必死だと思う。
私は一歩遅れて席を立ちながら、その背中を目で追ってしまった。追いかけることはできないのに、視線だけが残る。
そんなことを考えながら私は人気のない裏口で鳴海くんを待っていた。ここは裏口のため、ほぼ人の出入りがなかった。なぜ、ここを集合場所にしたのだろうか。
鳴海くん、本当に来てくれるのかな
さっきの光景が頭から離れない。森さんに引き止められて、そのまま――なんてことも、あり得る。
そんな心配をしていたら肩をポンと叩かれた。振り向くとニコリと笑う鳴海くんが立っていた。
「お待たせ。行こうか」
思っていたよりも早い再登場に、胸の奥の不安が一気にほどけた。
二人並んで静かなコンコースを歩いた。
「てっきり、鳴海くんは森さんにつかまっているんだと思ってた」
「まさか。ビル内の階段を上ったり下ったり運動をしてきただけだよ」
それって尾行する森さんを撒いてきたってことだよね?
軽く言っているけど、明らかに“避けた”動きだ。
宴会の時はしれっとしていたけれど、森さんのアプローチにはきちんと気が付いていたんだ。
「森さん、鳴海くんのことが好きなんだね。鳴海くんは聞いていなかったけど、森さんが一緒に月野リゾートに行きたいのは……」
私が言いかけた時、鳴海くんがそれを遮った。
「ねえ、森さんてさ医局でなんて呼ばれているか知っている?」
「……わからない」
「4Aのキャバ嬢って呼ばれている」
裏でそんな風にあだ名が付けられていることに驚いた。
「色んな医者を誘っては飲みにいっているらしい」
「あ……」
「俺は全く興味が沸かない」
「そう……なんだね」
きっぱりと言い切る声音に、曖昧さは一切なかった。
そう言い切るところが、はっきりとした考えをもつ鳴海くんらしかった。
ビルの外に出ると二十時半過ぎなのに人だかりができていた。すると東側に流れている川からヒューと音が聞こえてきた。二人で音が鳴る方に視線を送った。すると、連続花火が夜空を彩った。
「わあー、今日は花火大会なんだね!」
私は目の前で上がる花火に興奮してしまった。
「うちの病院でもこの花火が見えるんだよ。花火大会の日は特別、病棟の面会大広間の照明を落として特等席になるんだ」
鳴海くんが得意げに教えてくれた。
「うん。実は今日ね、そこで患者の山崎さんが彼と花火デートしているのよ」
「山崎さんってこの前、子宮全摘した患者の?」
「そう。彼氏と花火デートをしたことがないんですって。それを知った市川主任さんがセッティングしたの。主任さんの提案、素敵だと思わない?」
今、まさに二人並んでこの花火を鑑賞しているのだと思うと、私まで幸せな気分になった。
「ああ。でも、藤川は市川主任は怖くない? カンファで言い合いになったって聞いたよ」
鳴海くんの耳にまで届いていたらしい。それは少し気恥ずかしかった。
「主任さんは話せばわかってくれる人よ。多少、怖いくらいじゃないと病棟もまとまらないわ」
「さすが藤川だな。自分の意見をきちんとぶつけたんだろうなって想像がつく」
「私ってそういう印象だったの?」
私は本来、前に出るタイプではないのだけれど、鳴海くんにそう言われて意外だった。
「中学三年の最後の文化祭。急遽、ロボ研の部屋がバザーの控室にされた。ロボットは展示だけにしてって先生に言われたことあったよね」
「ああ……あったね」
私は思い出してコクンと頷いた。
「ロボットは動いてその魅力がわかるのにって、空きスペースを見つけるから貸してほしいって、藤川が先生に粘り強く交渉してくれた」
「そう。学校中を歩き回って見つけたのが、三階、突き当りの図書室と音楽室に挟まれた廊下。文化祭当日は施錠されるからその前の廊下はがら空きになる。そこでやったんだよね」
「俺たちが一年かけて作成した作品をみんなに披露できたのは藤川のおかげだったんだ」
そう言って私に微笑んでくれた。私もつい照れちゃって、軽く俯いて答えた。
「私はそれくらいしかできなかったから……」
「物腰は柔らかいのに、自分の意志はしっかり持ってる。俺は藤川のそんなところが好――――そ、尊敬していた……」
鳴海くんが言葉をつっかえた。
一瞬だけ、“す”のあとに続く言葉を探すような間があった。
「あれはみんなの才能と努力の結晶だもの。でも、そう言ってもらえて、ものすごく嬉しいっ!」
思い切って嬉しい気持ちを表情に乗せて笑った。そうしたら、鳴海くんがはっとした表情で私の顔を見つめてきたんだ。
そして、次の瞬間。
私の後ろでピンク色の大輪の花火がパーンってはじけた。なぜピンク色だとわかったのか、それは、私を見つめる鳴海くんの瞳に花火が反射していたから。そして鳴海くんの頬もうっすらピンク色に染まったから。
花火が消え去った鳴海くんの瞳が揺らいだのがわかった。何かを言いかけて、飲み込んだような動きだった。そして鳴海くんは何も言わずにゆっくりと身体を正面に戻してしまう。
「早く……俺のマンションに行こうか」
トーンを落とした声でそういうと再び歩みを始めた。
「? うん……」
どうしたのかな、一瞬、テンションが低くなったよね?
それから観客の波を避けながら二人並んで歩いていった。鳴海くんは長いコンパスを私の歩調に合わせてくれる。
あの頃と一緒。私が少し遅れるとすぐに気がついて立ち止まって待ってくれる。鳴海くんの優しさは昔とまったくかわらない。
私はそんな鳴海くんが好きだった。
私は知っていたんだ。
本当は私に合わせてワンブロック遠回りをして帰ってくれていたこと。
そんなことを鳴海くんが三年間も続けてくれたから、てっきり私に好意があると勘違いしてしまった。
卒業式の日に鳴海くんが他の子に告白すると知るまで……
でもやっぱり鳴海くんの隣でこうして歩いていると楽しいし、ドキドキするし、居心地がいいんだ。
さっきの言いかけた言葉が、少し引っかかる。
(また勘違いさせられそうだよ、鳴海くん)
夜風に混じる火薬の匂いが、切なく鼻を抜けていった。


