私を振った同級生ドクターの距離が近すぎます!〜もしかして、私のこと好きですか〜

    
   『年に一度は子宮がん検診を受けましょう』

私、藤川萌奈は産婦人科に勤める看護師。

病院の外来にはこんな啓発ポスターがたくさん貼られるようになった。
看護師である自分もしっかり検診を受けておこう。クリニックに足を運んだ理由は、こんな軽い気持ちだった。

——このときはまだ、この再会が自分の過去と向き合うきっかけになるなんて思っていなかった。

シークレット部位の診察を知り合いの医師にはされたくない。だから、わざわざ隣町のクリニックを選んだ。

それなのに……診察室で担当医師が目に入ったとき、心臓が止まるかと思った。

だって目の前にいるのは、片思いで終わった初恋の人――
鳴海蒼真だったから。

(最悪の再会だ)



私は診察室に入るとすぐに、目の前の白衣をまとう医師が初恋の鳴海くんだと気が付いた。

鳴海蒼真――

中学生のとき同じ部活に所属し、毎日一緒に帰った仲。私は優しくて賢い鳴海くんのことが大好きだった。きっと彼も私のことを好きだと思っていた。

だけど……

卒業式の日、体育館の裏で好きな子を待つ鳴海くんを見てしまった。
(……他に好きな子がいたんだ)
その事実に私はその場で泣き出したいくらい辛かった。
あの日から、勘違いする自分が怖くなった。

そんな鳴海くんと、こんなところで再会するなんて――

(逃げたい)

私は突然の再会に動揺して椅子に腰をかけられない。鳴海くんはまだ私に気が付かず、カルテに目を通していた。

「次の方、どうぞ。えっと……藤川さん…萌奈……?」

鳴海くんがカルテの名前を見て、ようやく私の顔に視線を向けた。お互いに懐かしさより、なぜここでという顔だったと思う。鳴海くんも目を大きく開いて驚いていた。

「藤川……あ……久しぶりだな……」

ほんの一瞬、言葉を探すような間があった。

「……う、うん。久しぶりだね……」

(こんな再会、望んでなかった)

中学校の帰り道、いつも隣にいた鳴海くん。
忘れるなんてできない人。
一瞬で切なさが込み上げてきた。

「十三年ぶりか……。元気だった?」

「うん。鳴海くん、医師になってたんだね。すごいね」

「ああ……今日は検診を手伝いに来たんだ。藤川も検診を受けに来たんだね」

「そう…なんだけど……」

私はゆっくりと視線を内診台に移した。

(これはーー無理)

想像しただけで拒否反応が出て、顔が急に火照りだす。

「藤川、どうした?」

戸惑う私の気持ちなんて、鳴海くんにはわからないだろう。彼は医師だから、私のことは患者の一人としてしか見えていない。

(患者でしかないのに、私はこんなに意識してる)

「あっ……そうか。俺に診察されるのは抵抗あるよな。気が付かなくって、ごめん。今、他の医師と変わるよ」

「えっ、あのっ。うんっ、ありがとう……」

鳴海くんは少し慌てて席を立つと、診察室の奥の廊下へと消えていった。
私はその背中を見送った。

(助かった……)



鳴海くんの顔を見れて嬉しかったけど、実らなかった初恋の切なさを思い出して心は落ち着かなかった。私はお会計を済ましてエントランスに向かった。

(もう会うこともないのかな……)

やるせない気持ちでいっぱいになる。スリッパを除菌ボックスに入れて、靴に履き替えているときだった。

「藤川」

あのころより少しだけ低い声。この声を聞いただけで記憶がよみがえる。
振り返るとそこには鳴海くんが立っていた。

(やっぱり、好きだった人だ)

見上げるほどの長身に白衣が映える。整った顔立ちと清潔感。自然体の雰囲気は昔のままだった。

「検診、お疲れさまだったな」
「うん。鳴海くんが女の先生に交代してくれたから、安心して受けることができたよ。ありがとう。で、どうしてここに?」

「ああ、藤川に伝えたいことがあるんだ」

「えっ……なに?」

(まさか…って思ってしまう)

「来年の検診はエコーもしたほうがいい。卵巣とか子宮内部の様子も観察できるから」

「……知っているよ。私、看護師だから…」

「うん。看護師、藤川に似合っているよ」

その笑顔は、あの頃と同じだった。

(変わってない)

「それを伝えに来てくれたの?」
「いや……それもあるけど」
一瞬だけ言葉を切る。
「久々に顔を見れたから、つい」

(それだけ、か)

「……私も元気な鳴海くんを見れて嬉しかったよ。またどこかで会えたら声をかけてね」

「もちろん」
わずかに視線が揺れてから、
「そのつもりだったよ」

(どういう意味?)

そのとき、院内から看護師が鳴海くんを呼びに来た。

「藤川。またな」

(また、なんてあるのかな)

——なのに、胸の奥に小さな引っかかりが残った。



若葉総合病院産婦人科病棟、初出勤日だ。
この病院のパンツスタイルの白衣は薄ピンクで、生地がハリがあるのに柔らかく動きやすい。私は髪を丁寧にまとめたシニオンスタイルで、少し緊張しながら病棟に向かった。

(失敗できない)

――ここでやり直す。看護師としても、そして過去からも。

配属先の産婦人科病棟は通称4A病棟。到着すると、私は産婦人科師長である北田師長に声をかけた。

「藤川萌奈です。今日からご指導よろしくお願いします」

「おはよう。藤川さん。これから朝のミーティングが始まるから、そこでスタッフに紹介するわね」

「はいっ」

北田師長は丸みのある体型に垂れ目で、穏やかな口調だった。

私が待っていると、奥の点滴作業台から声が飛んだ。

「ここで高カロリー輸液こぼしたの誰っ? 作業台がベタベタするじゃないのっ! きちんと拭き取りなさいっ」

視線を向けると、細身で眼鏡の中年美人の看護師がスタッフを叱っていた。背筋は真っ直ぐ、髪もきっちりまとめられている。

(厳しそうな人…)

胸のIDには『市川』、主任のラインが入っている。

(主任か…納得)

八時半、日勤ミーティングが始まった。集まったスタッフの視線が一斉に私に向く。

「今日から一緒に働く藤川萌奈さんよ。産婦人科経験者だから頼りになるわ。よろしくね」

北田師長に紹介され、私は一歩前に出た。

「聖三愛病院から転職しました。早く慣れて、みなさんと働けるよう頑張ります。よろしくお願いします」

軽くお辞儀をする。

「聖三愛? テレビでも特集されてる、個室しかない病院ですよね?」

小さなどよめきが起きた。

(期待されてる…)

「はい、質問は後で。今日は出産待機二名、オペ患二名、入院三名! 事故のないよう声を掛け合っていきましょう」

号令でスタッフは一斉に散った。

「藤川さん、慢性的に人手不足でこんな感じなの。ごめんなさいね」

「どこも同じです。外回りならすぐ動けます」

「じゃあ包交についてもらうわ。今日は病棟担当の医師が一人なの。誰だったかしら…」

師長が表を探し始める。

「先生を探して介助につきます。何号室ですか?」

部屋番号を聞き、私は病室へ向かった。

「412号室…」

足取りは自然と軽くなる。

(やっぱり、この仕事が好き)

四人部屋に入ると、左窓側のベッドにカーテンが引かれ、足元に包交車が置かれていた。

(処置中だ)

私はカーテン越しに声をかける。

「失礼します」

「はい」

男性の声が返る。

「包交介助に来ました」
「あ、お願いします」

カーテンを開けて中に入る。

「今日からこちらで働きます藤川です。よろしくお願いします」

背を向けた医師に挨拶をする。
その医師がゆっくり振り返った。

「また会えたな。藤川」

(え…)

一瞬、理解が追いつかなかった。
次の瞬間、膝の力が抜けた。

ガンッ――

ぶつかった拍子に汚物缶が転がり、大きな音を立てた。

それでも、動けない。

「……驚いたか」

(なんでここにいるの?)

目の前にいたのは――

あの鳴海蒼真だった。

——偶然のはずなのに、そう思えなかった。