悪魔の娘が帰還するまでーささやかな復讐と聖女の称号を添えてー

 翌朝、やはり天気は晴れることがなく、夜明け前は非常に暗かった。屋敷はまだ静まり返っていた。
後遺症の痛みは残っていたが、涼しさが心地良く、今は少し動ける。

(今のうちに……)

 オリヴィアは魔界で学んだ知識を元に、魔力を総動員して気配を探り、廊下を歩き、図書室の壁を押す。
 わずかに沈んだ感触とともに、仕掛け扉が開いた。
 薄暗い石造りの階段が地下へと続いている。

 ひんやりとした空気。湿った石の匂いの奥に、懐かしい甘美な香り――魔界の気配。
 胸が高鳴る。

(間違いない……魔界門が近くにある)

 昨日空に浮かぶ魔界門を見たが、通常はあのように、悪魔が人間界と出入りする際に一時的に出現するものだ。
 だが、人間と悪魔が大掛かりな契約を結んだ場合、魔界門を人間界に固定することがある。

(魔道具授業の脱線話を覚えていて良かった……。
この国の海の近く、王家の館の地下に、凝った魔界門があるはず……)

 足を進めるたび、頭痛が強まり、吐き気が込み上げる。
 それでも階段を降り、扉を押し開けた。

 石の床、湿った空気。
 視界の端に黒い靄が揺らめいた気がした。
「あった!」

 ――その瞬間、全身から力が抜けた。
 視界が暗転し、冷たい石の感触が頬を打つ。

(ーっ!ここではダメ……もし危ないからとこの隠し扉が塞がれでもしたら帰れない……!)

階段を這いつくばって上りきり、自分の身体をもたれ掛け、壁を閉じると、そのまま床に崩れ落ちた。
(この程度で……)

◇◇◇

「そこに誰か……?ーっオリヴィア様……!!どなたか来てください!」

 遠くで誰かの声がする。
 次に目を開けたとき、古い照明器具が吊られた天井とシャーロットの顔があった。
 その瞳は、泣き出しそうなほどに揺れている。

「オリヴィア様、どうかご無理はなさらないでください」

 三日間も寝ていたらしい。その間、夢の中で弟妹たちの声を聞いた。
 姉さん姉さんと慕ってくれた弟妹たちは、ふくふくとして柔らかくて、抱きしめると温かくて、オリヴィアは大好きだった。

 マイロ、エイヴァ、ギルバート――あの子たちは夜が怖くて泣くのだ。
夜の闇に悪意を隠した親から悪魔に売られ、村の生贄にされ、黒魔術の被験体にされたから。

(帰らなきゃ……私がいないとあの子たちは眠れないんだから)

 シャーロットの薬湯のおかげもあるのか、体力が戻ってくると、屋敷の廊下をゆっくり歩いた。
 掃除をしていた小さなメイドが、慌てて頭を下げる。

「先日は……私めがお身体を勝手に……!」
「ああ、あなたなのね。有難う。助かったわ」

 少女は目を丸くし、顔を赤らめた。
そんな反応を見るとオリヴィアは複雑な気持ちになった。

(……この世界にも、少しくらいは救いがあるのね。シャーロットもこの子も、私なんかに良くしても何もないのに……。)

 けれど、オリヴィアの居場所はここではないのだ。
 あまりこの世界に入れ込まないようにしないといけないと、暖かな気持ちに無理矢理蓋をしていく。

 絶望と欲望を集め、魔界門を開く――それが帰還の鍵。

(早く帰ろう、そのためにー)

「早く良くならないと…。いっちに、いっちに…」
壁伝いに少しずつ、それでも額に汗を浮かべながらオリヴィアは歩き続けた。