悪魔の娘が帰還するまでーささやかな復讐と聖女の称号を添えてー

 意味があるのか分からない王太子主導の尋問と、その裏で陛下が参加された正式な会議が終わった午後、オリヴィアの処遇は決定した。

「婚約は一旦保留とする。オリヴィア・エルフォードには王家別荘領地にて療養を命ずる」

 王の裁定は、騒動の当日に聞いていたものと同じで、一見穏便なものに見えた。

 だが実際には、政治的な追放処分に等しい。
 水の加護を重視するこの国にとって療養には最適な海のそばの小さな城館。王家の別荘であることを考えれば悪くないが、王都から遠く離れた国境沿いで、王太子が頻繁に見舞いに行く場所ではない。

 王太子との婚約を維持し、二人の仲を改善し、進めるのであれば、もっと近場に候補はあった。

 アイラは一応、王太子主導の国家プロジェクトで迎えられた「予言の乙女」だ。特別な地位にある。

 しばらく表舞台に出さず、妃教育を詰め込み、有能な側近を付ければどうにかなると考えたのかもしれない。

 まあ政略結婚とは言え、国中の貴族の前であれほど派手に振られていながら、オリヴィアとよりを戻して王妃になるストーリーを作るより、そちらの方が現実的という判断か。

 それでももしアイラが妃教育を無事終えられないことがあった場合のスペア、もしくはアイラの尻ぬぐいの愛人としてオリヴィアを遠くの地でキープしておくために、遠く離れた場所に閉じ込めておくのだとしたらー。

「……無様ね」

 淡々と支度を進める自室で、オリヴィアは鏡に映る自分に笑いかけた。
 右頬にはまだ赤黒い痣が残り、口角には切り傷が走っている。

 扉を叩く音がして、近侍のシャーロットが入ってきた。
「オリヴィア様、馬車の準備が整いました」

 黒髪をひとつに結い上げた凛とした姿。
 彼女の瞳にはいつも微かな同情と敬意が混じっている。それが少し困るところだった。

「分かったわ。行きましょう」

 一般的な令嬢と比べれば荷物は少ないが、一人で持ちきれるものではない。
 荷物を運んでくれる他の近侍たちは、無感情でただ己の仕事を忠実にこなしていた。
(こっちの方がいいわ…。余計なことを考えなくて済むもの……。こっちで縁が出来てしまうのは、あまりないことだとは思うけど、帰る時に心残りになるのは嫌だわ……)

 今朝の空は鉛色の雲が低く垂れ込めていた。
最近は陽が差さない日が続いている。

 乗り込んだ馬車の中はひどく冷えていて、湿った空気が肌を刺す。

「寒いですね」
 向かいの席に座ったシャーロットがそう言った。王家の別荘に住む関係なのか、彼女がオリヴィアの今後の生活の世話と警護をしてくれるようだ。

 オリヴィアは答えなかった。ただ、震える指をそっとドレスの裾に隠した。
 封印解除の影響が現れ始めてしまった。夜中からオリヴィアの身体は断続的に微熱と疼痛に苛まれている。
丁度訪れた痛みの波に、頭を押さえず座った姿勢を崩さないだけで精一杯だった。

「オリヴィア様、これを」

 差し出されたのは、淡い香草の匂いがする薬湯入りの皮袋だった。
 オリヴィアは一瞬だけそれを見つめ、無言で受け取る。

「ご無理なさらないでください。体調が優れないときはお伝えを」

「……ありがとう」

 結局バレてしまってなんだかバツが悪い。
 そういえば魔界では、ありがとうは毎日言っていたのに。人間界では、初めて言った気がする。

 馬車ーー名残でそう呼ばれるが、魔法で自動運転化している、箱と車輪のような乗り物が動き出すと、窓の外の景色が流れていった。

 王都の壮麗な城壁、昼には賑わう商人の通り、まだ多くの子供たちとその親たちが眠る住宅街。
 すべてが遠ざかる。
 その向こうに、うっすらと北の空に黒い揺らめきが見えた。

(……魔界門……?)

 震える胸の奥に、微かな希望が灯る。

(そうよ、大丈夫。あの場所から帰れるかもしれないわ……母さんのところに)

 馬車は北へ、北へと進む。

 その日、オリヴィアの送別に泣いた者はいなかった。
 父も、母も、兄たちも。
 ただ一人、馬車の中でシャーロットだけが、何度も彼女の名を呼んだ。